コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

3月10日 東京大空襲で想うこと・・・ B-29戦闘員の顔がハッキリ見え忘れられなかったー大家さんの思い出

2015-03-10 | 脳裏のなかで
 きょう弥生10日は東京大空襲があった日で新聞等で特集を組んでいました。それを読んで数年前亡くなった大家さんの話を思い出しましたので・・・。

 おばあさんは浅草生まれでそうで商業学校を卒業し,以前あった丸の内の日本興業銀行で働いていた当時としてはエリートOLだったそうです。そんな中,70年前の深夜12時過ぎの今日その東京大空襲にあい九死に一生得たそうです。米軍のB-29の攻撃で浅草一帯は木造家屋のため火災が万延し炎に囲まれたそうです。浅草の家でも火が回り、娘さんだったおばあさんは二階に上がる階段付近の壁に体が挟まれたかのようになり炎から何とか外に逃げられ助かったとの事です。そして隅田川沿いに、確かお姉さんと一緒?だったと思いますが、上空からの攻撃を避け逃げ回ったそうですが、その途中隅田川上空からB-29戦闘機が低空に向かって来たそうです。その時のB-29戦闘員のパイロット?の顔が、生死を分け逃げ惑う混乱時にも関わらずハッキリと見えたそうです。そしてその米軍戦闘員の顔を忘れられない思い出でとして話して呉れました。大家おばあさんもどうにかやっと九死に一生を得て生き延びられていた事に感謝していました。

 この話は数年前、大家さんのおばあさんが亡くなる前に隣家から梯子を借りたお礼と言って高齢で足が悪いにもかかわらずお礼に来た時の頃の話です。元々私が今住んでいる家に住んでおられていたので、その隣家の方と久々に懐かしく話さたとの事です。
そしてその後、夜道のためか帰りに大家おばあさんと一緒に付き添い帰ることになり、今住んでいる近所のマンションまで送りそのままご自宅におじゃましました。その時、おばあさんがこの東京大空襲の時の話をしてくれました。なんと深夜12時近くまでお邪魔しこの東京大空襲の話をしてくれました。
 不思議にその時、焼き鮭ご飯まで御馳走になり、そのご飯がなくなりその時に、”仏様にあげたご飯もあるから”と言ってすすめてもくれました。さすがに大切な仏様にあげたご飯まで他人の私がご家族にあげたご飯を食べる事は出来ませんでしたが、今から思えば、その後ご飯は御主人と先に亡くなった娘さんにあげたご飯でしたので食べていればとおもいます・・・。それが大家おばあさんとの最期となりました。
 なんとなく東京大空襲の日の記事を読んだら思い出しましたので・・・。まだ語り尽きませんがー。




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