生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。佐藤忠男さんとは、やはり新潟県生まれとしては新潟日報の紙上で我々の映画ファンは佐藤氏の映画批評で出会いました! 毎週ほどに佐藤氏の新作映画評や批評を社会状況をからめたちょっと辛口の評論を読み育ちました。
佐藤忠男さんを初めてみたのは、上京した大学時代の国際交流基金主催1982年10月16日~21日 新橋ヤクルトホールでの第一回 国際交流基金祭 ”南アジアの名作をもとめて”の壇上での佐藤氏のお姿でした。その映画祭からアジア映画の面白さと社会性が作品を生むことを各国の上映映画と佐藤氏を司会として各国の映画監督とディスカッションから知りました!
また旧フイルムセンターや国立映画アーカイブでの珍しい映画上映でお見かけもしました。
さらには私の師である若杉光夫監督の遺品映画ディレクタース・カット未公開版「星の牧場」をフイルムセンターに寄贈する前に、撮影の岡崎宏三撮影監督の作品を上映研究する岡崎氏と由縁のある撮影部の方が主催している上映会で五反田のイマジカ試写室で行うことになりました。そうしたら当日、私も早めにイマジカに行ったのですが、ロビーのソファに一人すでに座れていた方がポツンといました。親友から佐藤氏が来場されるのは知っていましたがその友人に確認してから佐藤氏にご挨拶差し上げた次第です。あの時は、本当に驚きました。あまりにも飾りっ気のない質素で自然体なので・・・。まず私が新潟 加茂出身で小学高学年で映画が好きになりその頃から新潟日報紙上で佐藤忠男さんの映画評をよく読んでいた事を話しました。それから佐藤氏から、なぜ公開版と未公開のディレクターズ・カットが存在し、その理由を尋ねられました。その返答をさせて頂いたのが、尊敬していた佐藤忠男さんとの緊張しながらの最初の会話になりました。このディレクターズ・カットのDVDも作製しましたので、佐藤氏へもお送りしますとお約束したので名刺を頂きました。
上映後、軽い立食パーティーがありましたが佐藤氏は参加され各撮影部のテーブルを回り話されていました。会とは少し早めのお帰りになりましたので、私はエレベーターまで見送りさせて頂きました。その後に、日本映画大学の学長に就任されました。
蛇足ですが、佐藤忠男さんと新橋ヤクルトホールで国際交流基金祭 ”南アジアの名作をもとめて” で初めてお見かけする前に、実は新潟日報社が主催する映画評論大賞というものが以前ありました。私が学生で夏帰省し新潟 古町のデパート横にあった映画館で「キャット・ピープル」と「(深夜のTVの砂嵐をみる子供 題名忘れ)」の新作二本立てを観て「キャット・ピープルその映画評論大賞に応募しました。運よく入賞し二席でした。評には、大賞 優秀賞に惜しい とのコメントが付いてました。自分で書いてわかりましたが、字数が収まらなくて無理して語尾を縮めたため不自然な文章になっていたことを・・・。その審査員には、佐藤忠男さんも主幹で入っていたと記憶してます。後の表彰席には、私はすでに学生の身でしたので新潟へは帰らず、日報社本社での表彰式には出ず、代理に今入院している兄席しました。もし授賞式に出席していれば、この場が佐藤忠男さんとの初の出会いだったかもしれません。ならば私の人生が変わっれいたかもしれませんねー。 合 掌
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