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先日9日(金)、新・文芸座での先月11月21日亡くなりました撮影監督 高村倉太郎さんの特集を最後の日、観に行ってまいりました。
高村倉太郎 撮影監督
またその日は、日活作品で、私が慕い、そして唯一仏文の先輩にもあたる田中 登監督のトークがある日でもありました。
また折りしもその会場には、高村婦人と娘さんが来場されていました。
田中監督の誘いで舞台に高村婦人が上がられた時の写真です。
高村婦人いわく、ー(高村は)映画の高上をだけを願っていて、文化庁相手にフイルム保存運動に精力的であったーと顧みていました。
(秘)女郎責め地獄(1973) 日活
そして、田中登監督もー、高校生の18歳の時、大町の駅で高村さんの撮影を見て、18年後に高村カメラマンと一緒に仕事が出来たのは何か運命的な物を感じるーと感銘深く語られていました。
映画でのプロローグのタイトルについては、
廓に入る門までの石畳の上にキャスト、スタッフの名前が出るのは、
ー女郎は人に踏まれている人生であるーからと、高村カメラマンが示唆してくれたそうです。故にどんどん長くなったそうです。
この映画の導入部は傑作です・・・・。
私ながら、私も一度「一杯のかけそば」で高村さんと一緒に仕事をさせていただける機会があったのですが、先に決まっていた作品があり残念ながら実現しませんでしたが・・・・・。
しかし同時期に日活撮影所内において、高村撮影監督と同じ空気を吸っていたことは幸いです!
まだまだ興味深いお話を話されていました。その時の様子を録音してありますので時間を見て採録したいと思います。
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(秘)女郎市場(1972) 日活
高村倉太郎 撮影監督
またその日は、日活作品で、私が慕い、そして唯一仏文の先輩にもあたる田中 登監督のトークがある日でもありました。
また折りしもその会場には、高村婦人と娘さんが来場されていました。
田中監督の誘いで舞台に高村婦人が上がられた時の写真です。
高村婦人いわく、ー(高村は)映画の高上をだけを願っていて、文化庁相手にフイルム保存運動に精力的であったーと顧みていました。
(秘)女郎責め地獄(1973) 日活
そして、田中登監督もー、高校生の18歳の時、大町の駅で高村さんの撮影を見て、18年後に高村カメラマンと一緒に仕事が出来たのは何か運命的な物を感じるーと感銘深く語られていました。
映画でのプロローグのタイトルについては、
廓に入る門までの石畳の上にキャスト、スタッフの名前が出るのは、
ー女郎は人に踏まれている人生であるーからと、高村カメラマンが示唆してくれたそうです。故にどんどん長くなったそうです。
この映画の導入部は傑作です・・・・。
私ながら、私も一度「一杯のかけそば」で高村さんと一緒に仕事をさせていただける機会があったのですが、先に決まっていた作品があり残念ながら実現しませんでしたが・・・・・。
しかし同時期に日活撮影所内において、高村撮影監督と同じ空気を吸っていたことは幸いです!
まだまだ興味深いお話を話されていました。その時の様子を録音してありますので時間を見て採録したいと思います。
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(秘)女郎市場(1972) 日活
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