コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

太宰治の碧雲荘が大分・湯布院へ 保存危機、東京から移築 決定!記念 富士には、月見草がよく似合う

2016-02-22 | 紀 行&散策
 御坂峠 天下茶屋 荻窪の下宿から井伏鱒二氏に誘われ「昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。」 碧雲荘から、翌年6月新転居先「鎌滝方」へ。更に翌昭和13年9月13日にこの天下茶屋に宿泊します。

太宰の下宿、由布院で再生 荻窪の碧雲荘、文学施設に
               2016年2月18日09時14分  朝日新聞  infoseekニュース 

太宰治の碧雲荘が大分・湯布院へ 保存危機、東京から移築 決定! 記念に太宰治が書いた小説「富嶽百景」から  この碧雲荘の窓と便所から見た富士山が描かれ物語は始まります。なおここでは最初の妻 初代と暮らしていて、短編「HUMAN LOST」も執筆され太宰作品にとって重要なアパートです。

東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆しつくし、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟つぶやきのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。

(途中省略)

 私は、甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠みさかたうげへたどりつく。
御坂峠、海抜千三百米メエトル。この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔にならないやうなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思つてゐた。


 この時は富士山の峰に雲がかかりあの太宰さんが言う”風呂屋のペンキ画”は観ることができませんでした。

この峠は、甲府から東海道に出る鎌倉往還の衝しように当つてゐて、北面富士の代表観望台であると言はれ、ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑けいべつさへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲うづくまつて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。


天下茶屋前の「御坂隧道」プレート 右のトンネルは「旧御坂トンネル」御坂登山道入り口に在ります。
「御坂」の由来はその昔、日本武尊が東国遠征の際この坂(峠)を越えたからだそうです。


富士には、月見草がよく似合う 「富嶽百景」 御坂峠の天下茶屋近くにある文学碑
旅館 明治にあったものは、多分この御坂峠の天下茶屋近くの文学碑からの写しだと思います・・・。


 この時は6月で新緑の葉がいきよいよく伸びていて富士山はこのこの通り見えません・・・。

  御坂峠 天下茶屋HP

写真は2014年6月15日 御坂山から黒岳へ山行に行った時に天下茶屋を通っただけで、茶屋で一服、更に太宰治文学記念室も寄れませんでしたので、次回はゆっくり三つ峠山行の際立ち寄りたいともいますが・・・。

私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。
 老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあざやかに消えず残つた。
 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙あひたいぢし、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。
富士には、月見草がよく似合ふ。

この小説「富嶽百景」は、実は富士山と月との関連性「竹取物語」がバックボーンになっていることを知ってますか? 後この関係を話したいと思いますがいつになるかはいつもの如く、予定は未定です・・・。




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