コロンブドール

Les Films de la Colombe d'Or 白鳩が黄金の鳩になるよう人生ドラマを語る!私家版萬日誌

俳優、演出家で画家の米倉斉加年さん永眠 心よりお悔やみ申し上げます

2014-08-28 | La Colombe d`Or
         ご逝去を悼み、故人の在りし日を偲びつつ
         その御功績をたたえ 謹んで哀悼の意を表します

 俳優、演出家で画家としても知られた米倉斉加年さんが今月26日が永逝されました。 80歳

 数年前まで米倉斉加年さん主催する中野にある劇団「海流座」の公演を観させて頂いていました。その最後の舞台は2012年今頃の暑い暮夏、新宿の紀伊国屋ホールで第6回公演 モリエール作 喜劇「タルチュフ」でした。幕が開く前の口上に”このくそ暑い日にわざわざ来ていただきありがとうございます”とペテン師タルチョフよろしく述べ幕が上がったのをよく覚えています。また文庫本4ページほどある一人長科白を生まれながらのペテン師が皆をだますが如しぺらぺらと舞台でしゃべる姿が印象的で脳裏に焼き付いています。
 また先の公演 川崎の新百合ヶ丘先のアルテリオ小劇場での「海流座」第3回公演のチェーホフ作「ワーニャおじさん」では演出家兼俳優の他に美術デザイナーとしての顔を見させてくれました。舞台美術が素晴らしく驚かされました。米倉さん演じる教授の部屋がモノトーン黒一色に統一され、またそれに伴い、その場面の舞台に立っている俳優の衣装も皆黒一色に統一され、その”黒”が全ての光りを吸い込むように都会の帝政物資(資本主義に近い)主義の教授が、”田舎の全て”を吸い込むかのように、”色”で表現している点にその巧みな美術デザインによる演出を観た事です。
 また更に偶然ですが学生時代 東京六大学寅さんファンクラブ結成時の映画が奇しくも米倉さん出演の「男はつらいよ 寅次郎真実一路」(1984年12月公開)でした。米倉さん演じるドロップアウトした善良な小市民の大手証券マンの妻には大原麗子さんでした。まさかこの時、同じ民芸の若杉一家のご縁で、その後米倉斉加年さんの舞台を観に行くとはその当時は考えられませんでした・・・。住んでいる近くの坂上 宝仙寺での南風洋子さんの葬儀で弔辞「わかれの言葉」を話されたお姿が、奇しくも最初にお目にかかった時です・・・。
 最近舞台公演がないなと思い寂しかったのですが、私が最後聞いたの舞台公演は上記の「タルチュフ」公演の後、秋に北海道全土を「海流座」第1回公演と同じ演目の『父帰る』 『二十二夜待ち』を巡回公演をしているという風のたよりでした・・・。
 今思うに米倉斉加年さんが最後に演じたかったのは、善良な小市民ではなく偽善に満ちた小悪人を演じ世の中の見えない悪事にメスをさす風刺劇の道化主人公ではなかったのではないでしょうか・・・。それは、米倉さんが劇団民芸に入る前、最初に飛び込んだ当時高円寺にあった、後に寅さんのおじちゃん役になる松村達雄さんが主催した劇団「五十人劇場」でモリエールなどに接した経験から体の根底にしみ込んだ社会への善悪視線における批判風刺魂からの最後の使命だったのかもしれません。
その舞台を観られた私は幸いでした。ありがとうございました。

       心からお悔やみ申し上げます   合 掌       YOUZO


 <訃報>米倉斉加年さん80歳=俳優で演出家、絵本作家
              2014年8月27日(水)11:06 毎日新聞 gooニュース

 「ワーニャおじさん」米倉斉加年主催「海流座」第3回公演  中段目記事

                     




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