(昨日の報恩講の記事にコメントをいただいたので、ご返事です)
死は突然やってきます。私のような在所から離れた地に住む新家持ちは、亡妻の終末医療の最中に、葬儀社とお寺さんをどこにするか、どんな葬儀にするかなど準備しなければなりません。現実は悲しみに浸ってなんかおれないのです。
結果的に頼んだ葬儀屋は失敗でしたが、手次寺としてお願いしたお寺さんは大正解でした。(近くに在所と同じ宗派の寺は3つありました・・)
堅苦しく形式主義を強要されるお寺は末代まで困るのです。それと費用の強制です。
葬儀のお礼もご住職に率直にお聞きました。
今、思うと恥ずかしいような額のお礼しかしませんでした。
お寺さんは当時3億円以上の本堂と客殿を新築中でしたが、あなたは若い家内を亡くしたのだから、余計な心配は無用と良心的でした。
後で聞いた近くの商店の檀家の奥さんは70万円のお願いが建設委員会からあったとか、名古屋の義妹のお寺は葬儀のお礼を80万円求められたとか、飛騨の従姉妹は庫裏の新築に70万円とか、東京の義妹のお婆ちゃんが連れ添いを亡くされ、日蓮宗のお寺で院号をお願いしたら、院号を贈ると後々の付き合いが大変なので止めた方がよいと諭された、とか聞いたところです。
頼んだお寺さんは檀家も多く裕福な寺です。先代のご住職は亡妻と同じ57歳という若さで10年ほど前、遷化されましたが、誠実で、柔軟的思考で、真面目な尊敬できるお坊さんでした。
お寺との付き合いは大事なことなのです。
当時言って聞かされたことは「親が三度のご飯を欠かさず、子にひもじい思いをさせなかったように、親の追善法要は欠かしてはいけません」ということでした。
亡妻の医療費、葬儀、仏壇新調、墓碑建立など総額700万円ほどかかりましたが、多くの方にお見舞いや香典など助けて頂き感謝しています。