たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

懐かしの保育所

2014年01月19日 | 日記

岐阜市梅林公園

大学入試センター試験2日目は寒波がやってきました。二男がお世話になった三重大学会場も3センチの積雪で真っ白でした。なぜか当地美濃国は今年は降りません。飛騨はすごい積雪で、数河高原スキー場で昨日から二人のスキーヤーが行方不明になっています。遭難するようなスキー場ではないと思いますが救出を願っています。
数日前公園へ散策に行きました。ぽかぽかの陽気でした。古い山麓公園なので芭蕉の句碑をはじめ15もの句碑があります。案内板があって場所と読み方が解説されています。芭蕉門下10哲の一人、当地の俳人各務支考の門下の句が多いとか。各務支考の庵は岐阜市北野、美濃西国三十三霊場のひとつ、大智寺の近くに文化財として保存されています。三十三霊場は大腸がん手術待ちの間すべて回りました。

梅林公園で散策中、消防車のサイレンがけたたましく国道を行く音が聞こえました。そのうち1台が50メートルほどの近くへ来たので見に行きました。バックして方向転換中で、ボヤの通告は山の反対側だったとか。
小1時間の散策が終わり山の反対側、東側へ行ってみました。上の孫が2歳から2年間お世話になった岐阜市立梅林保育所が懐かしかったからです。
退職した平成6年、別のアパートに住んでいた長男夫婦に子ができ、嫁が1年休職して2歳から保育所に預けられた。その前年の夏過ぎ家内が乳がんを手術し、育児に耐えられない状態でした。2歳保育はまだ乳離れもできていなく、朝早く嫁が子を預け、夕方迎えに家内と行った。可哀想で耐えられなかった。
自分がゴルフに行くとか都合が悪い日はバスで家内が迎えに行った。その1年後名古屋に派遣社員で勤めることになり、家内が慣れない車で狭く交通頻繁な道路を迎えに行った。もうその頃は腰痛を発症していて、重い孫を抱きバスを立ったままで帰宅することもあると、愚痴って嘆いてばかりいた。
悪夢の2年間を思い出した。
ボヤは大したことはなく消防車は3台来ていた。園庭で元気よく遊んでいた4,5歳児達は金網越しにお爺さんによく話しかけてくれ、可愛かった。この年齢になるともう保育所も大丈夫です。