昨日は北の湖さんの訃報を悲しんで、その後旧友会のホームページを見ると10月初めに、ゴルフの月例会でご一緒した仲間の一人の死去が報じられていてビックリ。まだ73歳だった。16日死亡18日には葬儀が行われ旧友会へは事後届だったようだ。
あまりに当然で驚きました。今朝、お世話になる幹事さんに電話すると、11月例会は急に手術することになって欠席すると電話されたようだ。手術の予後が良くなかったのだろうか。詳しくはまだ不明だ。それにしても人間の命のはかなさを思う。蓮如上人のお文を音読して回向に代えます。ご冥福を祈る。浄土でもゴルフを楽しんでくれたまえ。
浄土真宗中興の祖・蓮如上人の「白骨」のお文 第五帖(編)16
”それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終(しちゅうじゅう)まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。
いまにいたりてだれか百年の形躰(ぎょうたい)をたもつべきや。
我やさき、人やさき、きょうともしらずあすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしづく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
すでに無情の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李(とうり)のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半(よわ)のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あわれといふも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば、だれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、南無阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。”
(火葬場から戻ると「還骨回向」と「初七日」が一緒に営まれる。その法要の読経の後に読まれる)
今年も多くの先輩、同輩、後輩諸氏が先立って逝かれた。合掌