たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

中学生の登校指導

2012年06月09日 | 日記

昨日の朝は嫁に頼まれ中学校PTAの登校指導員をやりました。旗振りです。7時10分から~8時まで、お願い文書は7時20分~7時50分とありましたが、指定された場所が1.5KMほどあったので余裕をもって信号機のない交差点、横断歩道での旗振りです。
自転車通学の中学生を文書にはこの交差点を直進させず、横断歩道を横切ることを指定されていました。つぎの交差点で横断歩道がない、などよく事前検討された指導文書になっていました。
・あいさつがきちんとできたか
・ヘルメットを冠っているか
・交通ルールを守っているか
・鞄は後ろの荷台にしっかりゴムひもで固定しているか

などなどのチェック項目があります。誰が、何時から何時まで、どこで指導したか、総体的感想まで記入するシートになっていました。
あいさつは、子供の方から「おはようございます」というのは比較的少なく、女子が○、男子は概ね×ですね。
交通整理のツボは心得ています。現職時代は通信設備の建設保守が仕事だったので、路上マンホールの危険作業はお手のもの、専門分野です。
・歩車道ブロックの有るほうの歩道を中学生が自転車で直進してくるので、横断歩道前で止め、車をやり過ごし、安全に渡らせるのですが、子供を止めるか、車 を止めるか、メリハリのある旗振りをしなければいけません。でないと、車が追突したり危険です。車を止めたら横断歩道の真ん中まで出て両手を広げ、旗と両手で大きなゼスチャーで車を止めなければいけません。
・中には何人か昼間点灯のランプを点けて走ってくる自転車もあってGOOD。車道を走ってきた子が1人、決められた横断歩道を渡らず直進しようとした子が一人くらいだった。概ね皆良好だった。

ところで、皆さんは自転車は車道を走るべきか、歩道を走るべきか知っていますか。爺は近く3回目の高齢者講習を6,000円で半日、実車講習も受けるのでよく知っています。
・平成20年6月1日施行道交法改正⇒普通自転車は次ぎの場合に歩道を通行することができる。
 ・普通自転車が歩道通行可、OKの標識・標示があるとき
 ・12歳以下の子供(すなわち小学生以下)、70歳以上の高齢者、身体障害者、が普通自転車を運転するとき
 ・車道・交通の状況から普通自転車の通行の安全を確保するためやむを得ないとき
原則は車道通行が正解なのです。歩道は歩行者優先です。あくまで上の3つが許容されているにすぎません。この学校は中学生でも三つ目の条件で歩道を走れと指定しているのです。

ルールも挨拶も小学生は一番感心、中学生もまずまず、一番いけないのは大人です。横断歩道で自主的一時停止した車は数台ありましたが・・。
特に私の住む団地のこの町内は路上駐車が平気な人が数人、何十年も平気の平左です。モラルやマナーなんて薬にしたくもありません。平生そう周囲から見られていることに、この鈍感さ・無神経さに呆れます。そういう人に限って町内のことに声が高いのです。


ブログランキング

2012年06月08日 | パソコン
 日時 ランキング ブログ数 比率
2012.5.8 9,784位 1,714,893 0.57%
2012.5.10 9,377 1,715,709 0.54
2012.5.11 8,921 1,716,093 0.51
2012.5.12 8.990 1,716,416 0.52
2102.5.30 9,187 1,722,930 0.53
2012.6.6 9,777 1,725,373 0.56

お恥ずかしい内容の老人のつぶやきブログですが、おかげさまで予想外の読者に支えられて、半年を毎日アップしてきました。
5月に入って、読者には目に入りませんがブログを開設すると、すなわちどこかのブログサービスに登録すると編集画面が表示されます。そこから当人のブログのアクセスランキングへリンクされます。毎日の訪問者数(IP これはIPアドレス、パソコンや携帯の端末の数)、閲覧数(PV これはページビュー、ページをめくった数)を知ることができます。
私は恥ずかしげもなく、左フレームにこの毎日の数値を表示していますが、こういうブログは少ないですね。私の場合は別に多くの閲覧者を獲得したいとか、集客したいなどという思いはなく単に遊びです。
でも、毎日100人~130人くらいの方の訪問を受け感謝とお礼を申し上げます。

私はもう一つのブログをもっています。「CORONAのブログ」、Ameba アメーバです。なぜって?Amebaのブログサービスには、読者登録というメニューがあり(gooにはありません)、ブログの更新の都度メールで知らせてくれるため、訪問してもスカ食うことがない、空鉄砲でないというメリットがあります。更新通知があったときだけ見に行けばいいわけです。
その愛読者登録を、gooブログを開設する前に、ゴルフのホームコースに女子新人プロが昨年秋所属して、ブログを出していて読者登録したら、それがすなわちブログ開設になっていたというわけです。
amebaでそのままつづければいいのですが、amebaは芸能人とかプロスポーツの方が多い、広告が多い、など老人向けブログサービスではないこと、市の講習会がgooでやられたので老人に似合うgooでアップしているわけです。 

前に何度か紹介したランキング上位の名古屋のおねえさん「くるねこ大和」は毎日25万とか。おなじく名古屋市でしょう、自宅で英語塾のおねえさん の訪問者もすごいね。この方は両サイドにブログツールを満載で文章センスもすごいですよ。
ブログサース比較


荘白川郷

2012年06月07日 | 日記

県指定天然記念物 牛丸ジュラ紀化石 高山市荘川町(旧荘川村) 牛丸

    クリックを二度:拡大してください。

荘川の地は日本列島の屋根です。太平洋と日本海に水が分かれて流れる分水嶺はここから数キロ、ひるがの高原にあります。
牛丸地区には、荘川河床にジュラ紀中期の手取層群という地層が露出しており、ここには何層もの貝化石密集層があり、貝が生きた状態のまま堆積し化石になっています。ここは約1億8000千万年前は、海に面した河口付近だった。不思議ですね。悠久な地球の歴史を知ることができます。
この小公園とつり橋があるところは、昔荘川営林署の貯木場でした。

昔は秘境の荘・白川郷でしたが、国道改修、地盤が弱いため重力式コンクリートダムが造れなく、岩石と粘土で固めたロックフィル式御母衣(みほろ)ダム、東海北陸自動車道、白川郷の世界遺産指定などで、激しい時代の波に流されて変貌してきた二つの村です。
昔の面影は全くありません。この地に私は縁あって平成4年~5年と2年間、最後の会社員生活を過ごさせていただいた思いでの地です。
私は長く通信事業に従事してきましたので、当時、白川郷から通勤していた従業員が簡単に高山へは通勤できなく、温情的に事業所が閉鎖されずに残されていたわけです。

この地は自然と伝統文化が豊かで、人情に厚く、村民は皆やさしく親切、飛騨の中でも特質される村民性です。私だけでなくここを選挙区とされる県会議員の奥様もそう言っておられらました。飛騨市河合町(旧河合村)と二ヶ村がよく似た人情の地だと・・。

母の49日忌法要の翌日、懐かしさと新緑ドライブで懐かしの荘川をここ化石ロマンの地まで来て、高速東海北陸道のパーキングエリア「ひるがの高原」、道の駅も兼ねる観光施設から、高速に入り帰宅しました。 


新緑の飛騨路

2012年06月06日 | 日記

美女街道大西展望台から、朝日町方面

母の49日忌法要の翌日、むせぶような新緑をめでながら、高山市へ出て高速を使わず、地道を荘川町経由でゆっくり帰宅した。
ビックリ峠、思案峠、辞職峠といわれた難所の、小鳥(おどり)峠、松ノ木峠、軽岡峠も随分快適な国道に改修され、さらに高速道が平行して走ります。

ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたふもの (室生犀星

ふるさとの山にむかいて言うことなし
ふるさとの山はありがたきかな(石川啄木)


縁起

2012年06月05日 | お寺参り

昨日は哲学者梅原猛氏の論文を引用し、浄土仏教の自分なりに理解の手助けになった一文を紹介した。
読まれた読者から「なんで今の(時間の)居心地がよくないのか?教えてほしい」と、コメントがあった。これに応えるにどう居心地が悪いのか、私には分らないし、分っても答えるほどの知識も器量もなく答えられない。
梅原猛先生の著書 「歎異抄入門」 PHP文庫 が退職後少し余裕が出て宗教書を読んだ初期の本である。この良書は図書館の本で読み、あとから文庫本化されたので購入し手元にある。

先生は”人生に行き詰まり、自己にたえられなくなったときに私は、何度か「歎異抄」を繰り返し読んだ。そして読むたびに私は不思議と勇気づけられ、いつしか心の傷が癒された気になるのだった。・・・私は、今なお正確な意味における専修念仏の信者ではない。にもかかわらず、私は依然として「歎異抄」の熱烈な読者であり、この書物を、数ある日本の宗教的文献の中の最も優れたものの一つであると固く信じて疑わない。”と吐露されている。

人生に行詰まった、自己にたえられなくなることは、誰にもある。そいうときに寄り添い、抱きしめてくれるのが宗教なのであろう。
昨日の梅原先生の新聞コラムの前段は、歎異抄について述べ、親鸞の口伝を弟子が書いた歎異抄ではなく、あくまでも親鸞が心魂込めて書いた主著「教行信証」に依らねばならないと論説されていた。
居心地や居場所がないと自己にたえられなくなることは凡夫の常である。

2月の仏教講座で大谷大準教授 木越 康先生は、釈迦の思想は縁によって生起していると教える。無我、空(くう)、無常、あらゆるものは、すべてのものは存在ではなく現象である。
チューリップの花を板書され、このチューリップが咲くのには何が必要かと、会場の聴衆に問われた。皆が答えたのは、土、太陽、空気、水などなどで、花一つが咲くのには沢山の縁があって咲いたのだと話された。

49日忌を済ませた亡母は「えようが はちけて 豆の皮むく」と言って、私等子供を叱った。栄耀栄華で豆の皮をむく愚かさを叱ったわけだ。大学卒業生の半数以上が、職に就いてもすぐ退職する、就職口が見つからないという。この日本の現状に、年金暮らしの老人が暇をもてあまし豆の皮をむいてはなるまい。

昨日はゴルフコンペだった。天気もよく参加者はわずかに11名、倶楽部メンバー同士の寄せ集め、同じような年代の男女老年ゴルファーの会だ。会計の役なのでいろいろわずらわしいが楽しめた。スコアはグロス99、益々下手になる。同伴プレーヤーの1人は1年先輩の年齢ながら、自分の年齢と同等以下のエージシュートを達成、グロス77と高スコアをたたき出した。エージシュートはゴルファーのあこがれであり、このプレーに同伴できて、目の保養ができたのも縁である。


往相回向、還相回向

2012年06月04日 | お寺参り

仏教の基本は、人間は生まれ変わり、死に変わりしてやがて仏になるという教えである。これを輪廻転生という。(歎異抄入門 梅原 猛著 PHP文庫)

反時代的蜜語 梅原 猛「二種回向と親鸞」 (朝日新聞の切抜きから引用)
“親鸞の主著「教行信証」証の巻で親鸞は二種回向(えこう)の説を説く。法蔵菩薩は難行苦行をし、48願を立て阿弥陀仏になりその広大な善行を人間に回向した。回向には二種がある。一種は、どのような悪人でも口称念仏をすれば必ず極楽浄土へ往生するという回向、往相(おうそう)回向である。もう一種は、極楽に行った人間がまた衆生救済のためにこの世に帰るという、還相(げんそう)回向である。

この二種回向がはっきり語られる経典は天親(てんじん)の「浄土論」と曇鸞(どんらん)の「浄土論註」である。天親によれば、極楽には五つの門があるという。極楽へ行き、(1)先ず阿弥陀仏に礼拝し、(2)次に阿弥陀仏の徳を讃嘆する。(3)次に自分も仏になることを願う(4)そして遍(あまね)く世の中を観察する。このように世の中を観察すると、阿弥陀仏の世界のすばらしさと同時にこの世で悩める人間の姿もみえてくる。とすれば(5)悩める衆生を救うためにまたこの世に帰らざるを得ない。仏教は利他の教えであるので、念仏者はいつまでの極楽浄土にとどまることができない。
この二種回向の説は法然の説でもあるが、法然の主著「選択本願念仏集」ではほとんど語られていない。しかし流罪になった親鸞は天親の「親」と曇鸞の「鸞」を取って自分の名としたが、そのとき既に「もっぱら善導に依る」という法然とはひと味違った浄土思想をもっていたのであろう。
近代真宗学はこの二種回向の説をほとんど説かない。それは当然ともいえる。なぜなら、科学を信じる現代人にとって、死後、浄土へ行くというのは幻想であり、その浄土からまた帰ってくるというのは幻想の上にまた幻想を重ねるようなものと思われるからである。
しかし念仏すれば浄土へ行き、またこの世へ帰り、また念仏すれば浄土へ行き,またまたこの世へ帰るという思想は、個人としてとしての人間を主体に考える場合、必ずしも幻想とはいえない。
遺伝子が生まれ変わり死に変わりして永遠に旅をしているという思想こそ、現代生物学が明らかにした科学的真理なのである。われわれの現在の生命の中には永遠といってよい何十億年という地球の歴史が宿っているのである。
悪人正機説に甘える近代真宗学には、永遠の自覚と利他業の実践の思想が欠如しているように思われる。二種回向の説を中心として近代を超える真宗学を樹立することが切に望まれる。“(新聞の日付はメモしていない。)

長い論文を引用したが、輪廻転生の思想が今に生きているとの分りやすい解説が参考になった。

5月の仏教講座で大谷大準教授木越康氏の講演を聴いた。梅原論文の「五つの善行」は
1、礼拝(らいはい:見業、行為のこと)2、讃嘆(さんだん:口業のこと)3、作願(さがん:意業、心の中に浄土に生まれたいと願い求めること)4、観察(かんざつ:智業、浄土の姿を心につくることができること)5、回向(えこう:方便、智業、変更のこと)という。

回向とは梵語のパリナーマ「回(めぐら)らし向ける」の義、自分のためだけでなく善根を他者にも振り向けること。菩提心を発する意、求道の心である。真宗は回向を大事にすると講話された。正信偈では
 往還回向由他力 おうげんえこうゆたりき ⇒往・還の回向は他力に由(よ)る
 正定之因唯信心 しょうじょうしいんゆいしんじん ⇒正定の因はただ信心なり
と親鸞は謳った。


輪廻転生

2012年06月03日 | お寺参り

遠藤周作 著 「万華鏡」 朝日新聞社 1993.4刊 に、「転生」について2編のエッセイを書いている。キリスト教徒である遠藤氏は、葬式の後の49日という日の意義を、尊敬する玉城康四郎先生の本で勉強する。
当時結婚して妊娠7ヶ月目で、お腹の随分大きくなった松坂慶子さんと会い、
「・・死んだら私はあなたの子となって生まれ変わってこよう」
「その時はあなたは私のお母さんです。母である以上人工栄養ではなく、母乳で私を育ててくださいね」と、からかった。
また、インドのベナレスに滞在した際は、占い師に私の前世は何であるかと問うた。占い師は
「あなたの前世は鳩である。腰を矢で射られて死んだのです」、
「それゆえ、今でもあなたは腰が時々痛むだろう」と占う。
自分のイメージと鳩はどうしても結びつかなく、来世は何に生まれ変わるかたずねると。
「鹿です」・・。
日本に戻ると早速米国ヴァージニア大学のスティーブンソン教授のよき理解者、笠原敏雄氏と会い、輪廻転生の研究者であるスティーブンソン教授の話を伺ったそうだ。

また大分前になるが敬愛する、哲学者梅原猛先生は、NHKの番組「こころの時代」だったか、著名なベテラン女性アナウンサーを相手に「母を語る」に出演されたことがある。この番組で先生は
「90歳以上も生きるのは本人も惨めだ。そこそこに仕舞って逝き、輪廻転生でまた生まれ変わり、また同じ仕事をしたい」と述懐された。
先生は、昨年の「東日本大震災復興構想会議」の委員に選出され、首相官邸で開かれた委員会で防衛大学長、五百旗頭 真議長に、「福島を見捨てるのか。福島なしで何が復興か。そんな会議ならやめてしまえ」と、机をどんどん叩き演説されたと新聞で読んだ。今年87歳になられる。
先生の全集で生い立ちの記を読んだことがある。先生は知多半島の旧家の出であるが、父が東北大学工学部学生の時、下宿していた仙台の下宿屋の娘さんとできて生まれた。
旧家の実家が反対し子供は引き離され、薄幸の母は東京で若くして亡くなったと、NHKの番組で涙を流して追憶しておられた。
父はトヨタの研究所長になり初代コロナの開発責任者もやったとか。 数代後のコロナは私が22年も長く乗った愛車でもあり、ブログIDにもしていて感慨深い。

輪廻転生は浄土仏教では、往相回向(おうそうえこう)と還相回向(げんそうえこう)の二種回向といい、梅原猛先生が新聞で解説された。分りやすい解説なので次回紹介しよう。


無常迅速なり 生死事大なり

2012年06月02日 | お寺参り

108歳も生きた亡母は一日の厳しい労働の一日を終わり、就寝の床につくと「やれやれ今日も一日無事過ごさせてもらった・・。ナマンダブ、ナマンダブ」と、仏道が身についていて、私のように頭で仏教を理解するのとは違いましたね。
また、葬儀の喪主挨拶で兄が言ったのは、「105歳の頃、取っていた”家の光”という農家向け雑誌に載っていた”生きることは食べること”という、文字を指差し、皆も読めと言った」そうです。

道元の言葉 「正法眼蔵随聞記懐奘(えじょう) 著
無常迅速なり、生死事大なり。暫(しばら)く存命の間、業(ごう)を修し、学を好まんには、ただ仏道を行じ、仏法を学すべきなり

無常は素早く、一時もとどまっていないものである。
こうしているときでも、与えられた大切な時間は失われていくのである。
短い人生で最も大事なのは,生死をきわめることだ。
わずかに命のある間、何かの業(わざ)を身につけ、何かを学ぼうとするならば、
ただ仏道を修行し、
仏法を学ぶべきである。

立松和平さんが何かに書かれていて、先生の解説です。ノートに残していました。
詳しくはサイト「道元のことば」を!

示に云(いわ)く、無常迅速(むじょうじんそく)なり、生死事大(しょうじじだい)なり。暫(しばら)く存命(ぞんめい)の間、業(ごう)を修し、学を好まんには、ただ仏道を行じ、仏法を学すべきなり。文筆詩歌(しいか)等、その詮(せん)なきなり。捨つべき道理、左右(さう)に及ばず。仏法を学し仏道を修するにも、尚ほ多般を兼ね学すべからず。況(いわ)んや教家(きょうけ)の顕密(けんみつ)の聖教(しょうぎょう)、一向に閣(さしお)くべきなり。仏祖の言語すら、多般を好み学すべからず。
(『正法眼蔵随聞記』二ノ十三)


死後の世界

2012年06月01日 | お寺参り

満中陰に合わせて庭に石楠花(しゃくなげ)が咲いた

今日は亡母の49日忌満中陰の日である。中陰の仏教的意味については前に記した。死後の世界はどうか。

仏教の基本は人間は死に変わり、生まれ変わりして、やがて仏になるという教えである。これを輪廻転生という。(歎異抄入門 梅原 猛 著 PHP文庫)
経典相互の矛盾や異説がある、仏教発生や伝播の過程における土着信仰との混淆もあるといわれる。
死後の国への出発
・死出の山へ登る(冥土の旅の出発点)星の光を頼りに7日間にわたり、険しいを八百里を行く。
・そのために湯灌の際に旅支度する。
旅支度は編み笠、草鞋、白い旅装束、首から頭陀袋(中には米または握り飯、一文銭が6枚(六道銭:りくどうせん)、三途の川の渡し賃、川幅をある宗教家は位牌の幅と言われた。位牌の裏側が俗名、表側が戒名、法名。
現世のこちら側を此岸(しがん)、あちら側を彼岸(ひがん)という。浄土真宗は浄土へ旅立つという考えをしないので旅支度をしない。平服のまま。
・こういう仏教的意味があるが、最近の葬儀社や納棺師はごちゃまぜである。

・六道とは、死後に輪廻転生する六つの世界をいう。
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道(争いばかりの世界)、人道(天界に最も近い、この一部にわれわれ人間が住んでいる)、天道の六つをいう。
・人間は六道輪廻を転生しつづける存在、六道のどこに生まれるかは、その生き物が、生きている間に行った「因果報応」によるといわれる。(善因善果、悪因悪果、自因自果)
・行く先決定の裁判官に10人の王がいる。5番目の王が閻魔王でこの王は善因のひとにはやさしく、悪因のひとには厳しく恐い。地獄道に生まれ変わった人たちの運命も握る死の世界の王である。(仏教は中国に伝わり閻魔は中国の裁判官の格好で書かれている)
・中陰とは、中有(ちゅうう)ともいい、死出の山を出発以来、閻魔さまを含めて10人の王の裁きを受けて、輪廻転生の行く先が決定されるまでの期間を中陰といい49日間ある。
・人間は死後直ちにつぎの六道世界に生まれ変わるのではなく、中陰という過渡的な状態におかれる。中有をさ迷うといわれる。
・なぜ7日ごとに法要をやるのか、この間に7つの関門を通過しなければならないので、関門の無事通過と死者を激励するため。
生まれ変わる日は7日目毎にやってくる。早い人で初七日、最も遅い人で49日目に生まれ変わるといわれる。
・49日忌供養は中陰供養ともいい、中陰にあって死後の行く先が決定していない使者のため香を手向けて慰め励ますことである。
・新たな生を得ること、行く先が決定することを生有(しょうう)という。
・満中陰とは、49日目、忌明け、喪に服していた遺族が普段の生活に戻ること、墓に納骨する。白木の位牌を塗り位牌に変える。浄土真宗は塗り位牌は避ける。遺影を仏壇に飾らない。
・満中陰法要は同級生なども招いて盛大に行うこととされている。

・仏教では霊(先祖霊、水子霊、背後霊など)を認めていないし、崇(たたり)などあり得ない。
・中陰の間は、遺族は遊興・歌舞音曲を避け静かに喪に服さねばならない。ゴルフなど論外。