布袋
古くから西宮の蛭子を出して飾り、祀っていたが、後に曳山に載せるようになった。
その後は鯛を釣りあげた蛭子に商売繁昌を祈るという。
所望はえびすさんが鯛を釣り上げる所作。
この所作から俗に「鯛釣山」と呼んでいる。この曳山が作られたころは字治橋姫山と称していたが、延宝年間以後、いまの西宮蛭子山と称している。
万治元年(一六五八)
鯛だ
能楽の「猩々」から考案したもので、むかし唐の国の楊子の里に住む高風という親孝行なものがいた。ある夜、夢に「楊子の町に出て酒を売れ」と教えられ、売っていたら海中に住む猩々から酌めども尽きず、飲めども味の変らない酒の壷を与えられたという。
所望は高風の酌で猩々が、大盃で酒を欽むところを現わしている。
寛永十四年(一六三七)
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