ふーちゃんの京都デジカメウォーキング

大文字山、愛宕山を中心に京都周辺の自然をウォーキングしながらGPS軌跡と四季の変化をカメラウォッチング!

京銀セミナー+仁丹ウオッチング、路地(ろーじ)

2017年04月15日 23時00分09秒 | 気ままにブログ


京銀セミナー+仁丹ウオッチング、路地(ろーじ)

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京都検定メモ
○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の神社/京都の寺院
1京都の古社―京都の主な神社
北区/上京区/左京区/中京区/東山区/山科区/下京区/右京区/西京区/伏見区/京都市外
五条天神宮/

五条天神宮(下京区松原通西洞院西入天神前町)
祭神は大己貴命、少彦名命、天照大神。天使社とも呼ばれた。平安遷都にあたって、空海が大和国から天神を勧請したのに始まるという。祭神の少彦名命が薬の神であるため、医家の祖神として信仰された。現在は厄除けの神としても知られる。二月の節分祭には日本最古といわれる宝船図を参拝者に配布する。

○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
祭と行事/京料理/京菓子/京都のならわし/ことばと伝説/京都の地名
1京都の通り名・数え歌2路地と辻子3難読地名とユニークな地名4京の町並み5京都の散歩道

2路地と辻子
京都には辻子(図子)とか路地(ろーじと発音する)と呼ばれ、家と家の間に通じた細い道が数多く見られる。平安京の条坊制度では、町の区画は正方形が基本であったが、商業が発達し、商人が表通りに面して店舗を建てだすと、どうしても正方形区画の中心部分が空問地となってくる。そこに新たに道を通せば、細くとも、通りに面する店舗をより多く出すことができる。一方、正方形の一区画全部か大半を占めていた武家屋敷や寺院などが移転すると、今までの区画内に新たな通りができたりする。辻子や路地はこうして生まれたとされているが、隣の通りまで突き抜けているものもあれば、行き止まりになっていて、そこに「コ」の字型に家が並び、通りの入り口に、家の数だけの表札が掛けられたところもある。このような空問を路地と呼び、辻子と区別することもあり、辻子と路地のとらえ方はさまざまといってよいだろう。て辻子だが、貞享二年(一六八五)刊行の『京羽二重』には四十七ヵ所、幕末の文久三年(一八六三)に出された『京(花洛)羽津根』にいたっては、なんと九十一力所もの辻子が掲載されている。そのうち由来のわかるものを少し紹介してみよう. 中京区の室町通と新町通の間を、三条から六角まで抜ける細い道を「了頓図子」と呼ぶ。桃山期の茶人として著名な広野了頓の屋敷があったことにちなんでおり、豊臣秀吉もここで茶を喫した。面白いことに、了頓の遺志により、夜間以外は町人たちに屋敷内を自由に通行させたという逸話が残っており、すでに辻子の役目を果たしていたことになる。次に上京区の一条上ル小川通から油小路通までが「革堂図子」。革堂は正しくは行願寺といい、西国三十三所観音霊場の第十九番札所である。革堂は天正十八年(一五九〇)、豊臣秀吉による都市改造で寺町通に移転するまで、この地に広大な寺域を占めていた。また同じく上京区東堀川通一条上ル付近にある「だいうすの辻子」は、かつてこの地にキリスト教の建物があり、デウスが詑ったものという。ただ絵図には大休寺なる寺名が見えており、このダイキュウからの転詑とする説もある。下京区の新町通と西洞院の問、四条通から綾小路通まで、屈曲して通じる細道が「膏薬図子」と呼ばれる。この地にはかつて空也上人が一宇を建て、悲運の武将平将門の霊を弔ったことから「空也供養の道場」と呼ばれた。それがいつしか詑って「膏薬」になってしまったというのだ。東山区宮川筋一丁目と二丁目の境を東西に通じる「団栗辻子」は寛文八年(一六六八)の開通とされているが、天明八年(一七八八)正月三十日早朝に発生した有名な天明の大火の火元は、この辻子内の民家であった。天明の大火が「団栗焼け」とも呼ばれるのは、そのためであり、小さな辻子が京都の歴史に名を残すことになったのである。



○歴史・史跡○神社・寺院○建築・庭園・美術○芸術・文化○生活・行事○自然・観光
京都の自然/観光
1京都観光の歴史2京都の観光資源3京都の観光行政と法整備
一自然観光資源/二文化観光資源
二、文化観光資源
前文/世界遺産/まちなか観光/体験できる観光

まちなか観光
最近、特に京都の定番コースの社寺観光だけでなく、伝統的な京町家を散策するまちなか(界わい)観光が脚光を浴びている。大規模な戦災を受けなかった京都は、市内全域が貴重な文化観光資源であり、特に、短冊形宅地の間口寸法の狭さから「鰻の寝床」とも称される京町家の復活・再生が近年、関心を高めている。町家には瓦屋根、屋根に魔除けの「鍾旭さん」、土塗りの中二階の格子状の「虫籠窓」、家屋の中程に設けられた小さな庭の「坪庭」、表通りから店舗棟、玄関棟、住居棟を一直線につなぐ土間の「通り庭・走り庭」、紅殻の千本格子の「京格子」、それを取り囲む人馬の侵入を防ぐ柵の「駒寄」、町家の格子窓や板塀の下部を竹で囲って家屋を泥はねなどから守る「犬矢来」、表に向かって長く伸びた「通り庇」、さらに商家の門口の寄り付きに張りついた上げ下げ式の「バッタリ床几」(揚見世)などの風情あふれる意匠、たたずまいなどがある。京町家やその町並みを歩いて巡るまちなか観光では、素顔の京都が体感できるのである。


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