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スタートは問題分析から 2024年度 第25回 京都・観光文化検定試験 1級

2024年12月10日 14時15分37秒 | 京都検定20

1 歴史・史跡について、次の問いに答えなさい。     

(1) 嵯峨天皇即位直後の大同5年(弘仁元年・810)、平城上皇が寵愛する尚侍とその兄の政治介入で起きた天皇・上皇間の抗争を何というか。            

(1)薬子の変

 

(2) 出水通と六軒町通の交差点に跡地を示す石碑がある、平安宮内裏の西側、豊楽院の北側に 広がった空間地を何というか。           

(2)宴の松原

 

(3) 平安宮内裏の東側にあり、流布した書籍を書き写し、収集保管をしていたとされる施設で、平治の乱の際、後白河法皇が幽閉された場所として知られるのはどこか。

(3)一本御書所

 

(4) 建武元年(1334)に鴨川に掲示された、後醍醐天皇による建武の新政を風刺した七五調の文書は何か。  

(4)二条河原落書

 

(5) 明徳2年(1391) 12月、内野が戦場になった明徳の乱で幕府軍と戦い敗死した人物は誰 か。 

(5)山名氏清

 

(6) 明徳3年(元中9年・1392) の南北朝合一で、大覚寺において三種の神器を北朝の後小松 天皇に渡した南朝最後の天皇は誰か。

(6)後亀山天皇

 

(7) 織田信長の政権下で京都所司代として活躍し、本能寺の変においては、織田信忠の宿所妙覺寺へ駆けつけ、二条御所で信忠と生死を共にした織田家家臣は誰か。     

(7)村井貞勝

 

(8) 二条城には将軍上洛の際の警護役として二条城代が置かれたが、長く上洛が途絶えたため、元禄12年(1699)に廃止された。代わりに江戸から派遣された武士の職名は何か

(8)二条在番

 

(9) 木屋町通三条上ルに寓居跡の碑が建ち、土佐勤王党を組織した土佐藩郷士は誰か。

(9)武市瑞山

(10) 煙草王・村井吉兵衛の迎賓館に「長楽館」の名を付けた明治の元勲は誰か。

(10)伊藤博文

 

2 神社・寺院について、次の問いに答えなさい。     

(11) 日本最古級の神像彫刻の作風を伝える重要文化財の男神・ 女神像3体を含めた多数の神像や、多くの古文書を所蔵する、大山咋神を祭神とする神社はどこか。      

(11)松尾大社

 

(12) かつてこの地を領していた藩主への配慮からであるといわれる、通常とは逆の「鬼は内、 福は外」という掛け声とともに豆をまく追儺式 (節分祭)が行われる福知山市の神社はどこ か。    

(12)大原神社

 

(13) 山頂付近の岩をご神体とし、日本画家・堂本印象が寄進した特徴ある石造の鳥居がある神 社はどこか。       

(13)大岩神社

 

(14) 観阿弥作とされる謡曲や、樹齢約1200年の京都市指定天然記念物であるクロガネモチの木 でも知られるのはどこか。

(14)金札宮

 

(15) 吉田神社の境内にある、母屋の平面が八角形という珍しい本殿で、全国の神々を祀っている神社はどこか。  

(15)大元宮

 

(16) 寛和2年(986)、藤原兼家の画策で花山天皇が出家・退位した、いわゆる寛和の変の舞台 となった寺院はどこか。       

(16)元慶寺

 

(17) 粟田御所ともいわれる天台宗三門跡の一つ、青蓮院の本尊は何か。           

(17)熾盛光如来

 

(18) 神護寺に残る国宝で、空海の直筆である密教の入門儀式の受法者名簿を何というか。

(18)灌頂暦名

 

(19) 大黒堂の白壁に願いを書くと叶うということにちなみ、通称「らくがき寺」ともいわれる 寺院はどこか。    

(19)単伝庵

 

(20) 高瀬川を開削した角倉了以が、豊臣秀次一族の菩提を弔うため、慶長16年(1611)に創建 した寺院はどこか。-

(20)瑞泉寺

 

3 建築・庭園・美術について、次の問いに答えなさい。         

(21) 初層のみに裳階と呼ばれる庇がつく独特な意匠で、鎌倉時代の塔の遺構として貴重な五重 塔(国宝)がある寺院はどこか。        

(21)海住山寺

 

(22) 明治時代に首相を2度務めた徳大寺家出身の元老の私邸として建てられた近代和風建築で、京都大学が所有する重要文化財の建造物の名称は何か。         

(22)清風荘

 

(23) 千利休が完成させた草庵茶室の特徴の一つである、角は丸みを残して四面に木目を出した 柱を何と呼ぶか。

(23)面柱面皮柱

 

(24) 平安後期に藤原頼通が造営した寝殿造庭園の遺構で、『栄華物語』や『小右記』にも描かれ、発掘調査によって平安京では最大規模の苑池跡が見つかった邸宅は何と呼ばれたか。      

(24)高陽院

 

(25) 浄土庭園として知られる平等院庭園の中心をなす池を何と呼ぶか

(25)阿字池

 

(26) 蕨縄などで十文字や三つ掛けをすることで「通行止め」「立ち入り禁止」を標し、庭の順 路の分岐点などに置かれている石を、通行を阻む人になぞらえて何と呼ぶか。

(26)関守石

 

(27) 退蔵院の余香苑や城南宮の楽水苑などを手掛けた昭和の作庭家は誰か。    

(27)中根金作

 

(28) 今年(2024) 国宝指定が決まった、大報恩寺の所有する定慶作の六体の像は何か

(28)六観音

 

(29) 今年(2024) 京都府指定文化財となった、水晶を唇に嵌め込んだ「玉唇」の木造阿弥陀如来立像を所有する宮津市の寺院はどこか。         

(29)仏性寺

 

(30) 大正昭和期に京都で活躍した画家で、重要文化財に指定された「漣」などの代表作がある、今年(2024)、没後50年を迎えた人物は誰か。          

(30)福田平八郎

 

4 芸術・文化、生活・行事について、次の問いに答えなさい。            

(31)現在の南丹市美山町出身の京焼の陶工で、御室に窯を築き、色絵陶器を完成させたのはだれか             

(31)野々村仁清

 

(32) 今年(2004)、藤原定家自筆の今和歌集注釈書の原本が発見されたが、その名称は何か。(32)顕注密勘

 

(33) 本能寺に受け継がれている「華道本能寺」の始祖で、塔頭高俊院の第四代住職は誰か。

(33)日甫

 

(34) 東大寺二月堂(奈良市)で行われる修二会で、2月21日の朝に京田辺市で掘り起こされた竹を奉納する「竹送り」が行われている。竹が集められる寺院はどこか。  

(34)大御堂観音寺

 

(35) 毎年4月に清涼寺で行われる大念佛狂言で、最終日の最後に上演される演目名は何 か。      

(35)餓鬼角力

 

(36) 葵祭の路頭の儀の女人列で、斎王代が乗るものは何と呼ばれているか。    

(36)腰輿

 

(37) 顔見世興行で歌舞伎役者を迎える際の祝儀として江戸時代に始まり、現在は祇園甲部の芸妓たちが黒紋付姿で拍子木を鳴らしながら舞台に上がり、祝いの口上を述べる伝統芸は何 か。        

(37)手打

 

(38) 京のブランド産品(米)に認証されている、伏見を中心に酒造りで用いられる京都独自の 酒造好適米は何か。

(38)祝

 

(39) 京都は地形上、突然の雷雨が多い地域である。そのうち奈良から北上してくる雷雲のこと を、俗に何と呼んでいるか。           

(39)山城二郎

 

(40) 京都の地名で、新町通と西洞院通の間、四条通から綾小路通まで、屈曲しで通じている辻 子(図子)を何というか。    

(40)膏薬図子

 

5 【公開テーマ問題】「法然上人」に関する次の記述について、(  ) に入れる最も適当な語句を書きなさい。     

平安末期、貴族の摂関政治が衰え、武士が台頭する時代、人々は( 41 )の世に生きてい た。( 41 ) 思想とは、釈迦の没後、説かれた正しい教えだけが残り、修行もさとりもない 時代が来るとする思想のことで、永承7年 (1052) は ( 41 ) 元年とされた。そんな時代に法然(法然房源空)は、比叡山黒谷の青龍寺で天台僧としての修行を積んでいたが、承安5年 (1175)、唐の僧 ( 42 ) の著作『観無量寿経疏』に出会い、専修念仏の道を選んだ。43歳のときのことで、これが浄土宗の開宗とされている。

「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の名号を称える専修念仏を説き、幅広い信者を得た。主著である「(43)」は建久9年(1198)、関白九条兼実の要請によって法然がまとめた著作である。 (44)が所蔵する草稿本の冒頭に記された「南無阿弥陀仏往生之業念仏為先」は数少ない法 然の真筆とされている。

一方、既存の仏教界からの反発は大きく、元久2年(1205)、笠置寺の ( 45 ) は「興福寺奏状」を起草し、法然の教義に批判を加え、専修念仏の停止を朝廷に求めた。建永2年(1207)、 専修念仏の停止が決定され、法然は流罪に処された。「(46)」と呼ばれるこの事件は、 ( 47 ) 上皇の熊野御幸の間に、法然の弟子である安楽と住蓮が鹿ヶ谷で開いた別時念仏会に 参加した院の女房の一部が出家し、同上皇が激怒したことに端を発する。法然は讃岐国(香川県)に配流されたが、やがて赦免され帰京したものの、ほどなく入寂した。その直前に弟子の源智の願いに応じて『(48)』を記している。

元禄10年(1697)、東山天皇より ( 49 ) 大師という大師号が贈られた。正徳元年(1711) の500年遠忌のときより50年ごとに天皇より加諡される慣わしとなり、(49) 大師、東漸大師、慧成大師、弘覚大師、慈教大師、明照大師、和順大師といくつも大師号があり、直近では平 成23年(2011)に ( 50 ) 大師の号が加諡された。

(41)末法

(42)善導大師

(43)選択本願念仏集

(44)廬山寺

(45)貞慶

(46)建永の法難

(47)後鳥羽

(48)一枚起請文

(49)円光

(50)法爾

 

6 今年(2024)没後100年を迎えた、「最後の文人画家」と称される富岡鉄斎について、 ( )にあてはまる最も適当な語句を書きなさい。            

(1) 代表作に「阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図」などがある富岡鉄斎は若い頃、 尼僧・歌人・陶芸家であった が西方寺近くにある。(  )に預けられ薫陶を受けた。鉄斎筆による彼女の墓石が西方寺近くにある。         

1)大田垣蓮月

 

(2) 富岡鉄斎は教育者としても活動し、明治2年(1869)に(   )がつくった私塾立命館 で教員になっている。      

2)西園寺公望

 

(3) 富岡鉄斎の揮毫した石碑や看板は数多くある。禅僧の白隠が若い頃に病気になったとき、 北白川の山中に住んでいた仙人の(   )から不老健康の「内観法」を授かったという遺跡があり、それを後世に伝えるために鉄斎が石碑を建てている。  

3)白幽子

 

(4) 富岡鉄斎の墓がある西京区の(   )には、生前に作った「瘞筆塚」があり、愛用した筆を供養したとされる。  

4)是住院

 

(5) 京都商工会議所は今年 (2024)、元京都府議会議員公舎であった旧富岡鉄斎邸を「文化と産業の交流拠点 (仮称)」として整備・開設した。鉄斎が「(  )」と名付けた画室も再 現している。

5)無量寿仏堂

 

7 京都で開催された博覧会について、(  )にあてはまる最も適当な語句を書きなさい。             

(1) 日本最初の博覧会は、明治4年(1871)に( )で実施された。これを機に、京都府 と民間によって創設された京都博覧会社は、明治5年に第一回京都博覧会を開催した。

1)岡崎西本願寺

 

(2) 明治5年(1872)の第一回京都博覧会の附博覧(余興)として、祇園町の芸妓・舞妓によ る「都をどり」が開催された。その振り付けを行ったのは、三世井上八千代を襲名していた (  )である。

2)片山春子

 

(3) 明治6年(1873) の第二回京都博覧会に際して、入洛が認められた外国人観光客向けとなる京都近郊の名所を案内する日本初の英文でのガイドブックを著した(  )は、初代京 都府議会議長を務めた。           

3)山本覚馬

 

(4) 明治28年(1895)4月、第四回内国勧業博覧会の開催日に合わせて七条停車場と岡崎の博覧会会場、南禅寺船溜を結ぶ約7キロメートルに路面電車が開通し、鴨川を渡る木橋を (  )通に架設した。  

4)二条

 

(5) 第四回内国勧業博覧会会場では、洋画家(  )の描いた油絵 『朝妝」が一般公開された。裸体画であったため展示論争が起こり、大きな波紋を呼んだ。     

5)黒田清輝

 

8北政所ねねについて150字以上200字以内の文章で書きなさい。     

(「ねねが住んだとされる、関白家の正式な邸宅として京都御所南東に構えた城郭風邸宅の現代の呼称」

「夫・秀吉の冥福を祈るため東山に建立した高台寺の山号」

「北政所が晩年を過ごしたとされる高台寺の塔頭の名称」

「その塔頭の境内にある歌仙堂に祀られている北政所の甥にあたる歌人の名称」

「丹波亀山城主だった北政所の甥で、関ヶ原の戦いで東軍に寝返った武将の名称」

は必ず含むこと)

・京都新城

・鷲峰山

・圓徳院

・木下長嘯子

・小早川秀秋

 

9醍醐寺について150字以上200字以内の文章で書きなさい。            

(「1150年前に醍醐寺を開山した僧」

「空海直筆として伝わる『大毘盧遮那成仏神変加持経』 を解説した書跡名」

「空海が弟子の真雅に授けたという『天長印信』を筆者した天皇」

「三宝院の本尊の仏像の作者」

「足利義満、義持、義教など歴代将軍の信任厚く、三宝院門跡 として初めて准三后の宣旨を授かった僧」

の名称は必ず含むこと)    

・聖宝

・大日経開題

・後醍醐天皇

・快慶

・満済

 

10 祇園祭後祭について150字以上200字以内の文章で書きなさい。  

(「今年(2024)、前懸を復元新調した山鉾の名称」

「昭和41年(1966)、前祭と後祭の山鉾巡行が統一される以前、後祭の山鉾が最初に巡行していた東西の通りの名称」

「現在、くじ改めが行われている交差点」

「平成26年(2014)の後祭が復興された年に巡行復帰を果たした山鉾の名称」

「巡行前日に行われる、楊柳観音と善哉童子を担いで町内を3周駆け回る行事の名称」

は必ず含むこと)

・橋弁慶山

・三条通

・御池通寺町

・大船鉾

・あばれ観音

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