京都では、龍安寺に行ってきました。
龍安寺には、「枯山水」がありました。「枯山水」。。。私は本当に驚きました。
庭なんですけどね、なんと言っていいか、ものすごく影響力のある庭なんです。
この庭は、ある意味、お仏像と同じ力があると言っていいかもしれません。
。。。いや、もしかしたら、お仏像よりすごいかも。

この枯山水を目の前にすると、時間がゆっくりと進むんですよ。
きっと、どんなにあせっている時でも、この枯山水を前にすると、スッと時間がゆるやかに流れるエリアに
はいるんじゃないかと思うくらいです。
そして、その庭の前に立ち尽くし、いつしか座り込んでいるんです。
座り込んでしばらくすると、いろんなことが見えてくるんです。
この庭は「哲学」を与えてくれる。そう感じました。
龍安寺は、「もと徳大寺家の別荘を、宝徳2年(1450年)に細川勝元が譲り受け、
禅寺に改めたが、戦火で焼失し、明応8年(1499年)細川政元が再興した。
美しい鏡容池は藤原時代の由緒をとどめ、方丈前庭の枯山水庭園は俗に虎の子渡しと称されて有名である。
禅では、自己が「三昧」「無」になりきることによって自他一如の世界を自覚し、
その自覚を通して出てくるものは、山川草木ことごとく神、仏であるとするが、
この庭はそうした禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれ、時間、空間を越えて、
静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭といえよう」
。。。龍安寺の入場券の裏に書いてあった文章です。
「永遠に新しい庭」「静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭」
まさに、まさにその通りだと思います。
すごいっ!!本気ですごいと思います。
この龍安寺の枯山水の作者はわからないと聞きました。
ここに来る前に、ネットでここの画像を観ていたんですが、それとは全然印象が違いますよ。
目の前にしなければです。
それと、他の枯山水もちょっと拝見しましたが、そこのとこの龍安寺の枯山水は違いました。
外国の方も多くて、この枯山水の前でジ~っとされていました。
誰もがそうなるでしょうね。
。。。だからして、独り占めしたいんです。
もし、それが出来たら、贅沢ですでよね。超贅沢。そんな贅沢したいかも。


飛鳥から京都へ移動しましたが、飛鳥は外国の影響が色濃くありました。
そして、京都はすっかり日本でした。
日本は、外国から取り入れさせてもらった文化を上手に、そしてステキに自分達風に変えていったんですね。
今、グローバル化になりつつあるんですよね。
変化していくというのは、いろんな意見があって、不安もあると思うけど、
日本人には、日本風にかえる創造力(想像力)があるんですよ。
そして、いままで培ってきた「精神」を失わなければ、いい方向にいくんじゃないかと感じます。
変化していくには、いっぱいいっぱい話し合いをしなければなんですね。

今回、この飛鳥時代に気が付いたことで、「宝の地図」を手に入れたような気がします。
宝物はあっちこっちに眠っているようです。
眠りから目を覚ませなければ。
きっとうまくいく。
宝の地図はそうささやいているようです。
龍安寺には、「枯山水」がありました。「枯山水」。。。私は本当に驚きました。
庭なんですけどね、なんと言っていいか、ものすごく影響力のある庭なんです。
この庭は、ある意味、お仏像と同じ力があると言っていいかもしれません。
。。。いや、もしかしたら、お仏像よりすごいかも。

この枯山水を目の前にすると、時間がゆっくりと進むんですよ。
きっと、どんなにあせっている時でも、この枯山水を前にすると、スッと時間がゆるやかに流れるエリアに
はいるんじゃないかと思うくらいです。
そして、その庭の前に立ち尽くし、いつしか座り込んでいるんです。
座り込んでしばらくすると、いろんなことが見えてくるんです。
この庭は「哲学」を与えてくれる。そう感じました。
龍安寺は、「もと徳大寺家の別荘を、宝徳2年(1450年)に細川勝元が譲り受け、
禅寺に改めたが、戦火で焼失し、明応8年(1499年)細川政元が再興した。
美しい鏡容池は藤原時代の由緒をとどめ、方丈前庭の枯山水庭園は俗に虎の子渡しと称されて有名である。
禅では、自己が「三昧」「無」になりきることによって自他一如の世界を自覚し、
その自覚を通して出てくるものは、山川草木ことごとく神、仏であるとするが、
この庭はそうした禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれ、時間、空間を越えて、
静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭といえよう」
。。。龍安寺の入場券の裏に書いてあった文章です。
「永遠に新しい庭」「静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭」
まさに、まさにその通りだと思います。
すごいっ!!本気ですごいと思います。
この龍安寺の枯山水の作者はわからないと聞きました。
ここに来る前に、ネットでここの画像を観ていたんですが、それとは全然印象が違いますよ。
目の前にしなければです。
それと、他の枯山水もちょっと拝見しましたが、そこのとこの龍安寺の枯山水は違いました。
外国の方も多くて、この枯山水の前でジ~っとされていました。
誰もがそうなるでしょうね。
。。。だからして、独り占めしたいんです。
もし、それが出来たら、贅沢ですでよね。超贅沢。そんな贅沢したいかも。




飛鳥から京都へ移動しましたが、飛鳥は外国の影響が色濃くありました。
そして、京都はすっかり日本でした。
日本は、外国から取り入れさせてもらった文化を上手に、そしてステキに自分達風に変えていったんですね。
今、グローバル化になりつつあるんですよね。
変化していくというのは、いろんな意見があって、不安もあると思うけど、
日本人には、日本風にかえる創造力(想像力)があるんですよ。
そして、いままで培ってきた「精神」を失わなければ、いい方向にいくんじゃないかと感じます。
変化していくには、いっぱいいっぱい話し合いをしなければなんですね。

今回、この飛鳥時代に気が付いたことで、「宝の地図」を手に入れたような気がします。
宝物はあっちこっちに眠っているようです。
眠りから目を覚ませなければ。
きっとうまくいく。
宝の地図はそうささやいているようです。