あの日から1週間。
小次郎が亡くなった日の記録です。
やっと大元の病気がわかった数時間後に逝ってしまうなんて想像も出来なかった。
小次郎の命を奪ったどうしようもない飼い主と非難されようとも、いつまでも忘れないように戒めのために自分の過ちも書き記そうと思います。
小次郎のえづきとヨダレは一向に治まる事はありませんでした。
逆にヨダレは日に日に酷くなって、夜中ずっと悶えながらチュパチュパやってる。
もう可哀想過ぎる。
結局、食道炎でもストレスでもなかったの?
ネットで調べても、どれもこれも症状が当てはまって堂々巡り。
やっぱり脳神経か!?
数値は正常とはいえ、腎不全になったのか!?
胃腸炎なのか!?
甲状腺機能亢進症の数値が悪化したのか!?
どれにしろ、胃薬も制吐剤も吐いちゃうし、どうしてあげたらいいの、小次郎!
毎日泣きたい気持ちで過ごしてても埒があかない。
掛かりつけの病院はとても信頼しているけれど、原因がわからないままじゃ辛い!
そこで、迷ったけれど近所の別の病院に行って来ました。
出来れば、掛かりつけの病院にセカンドオピニオンとして話を通しておきたかったけど、時間の猶予がない!
ぐったりした小次郎をキャリーに入れて、自転車で行くにはちょっと怖い道。
狭い道なのに自動車の往来が激しいから、小次郎を連れてなくても通りたくない道。
でも仕方ない!
今までの診察の経緯と現在の症状、血液検査のデータも見せて、とにかくヨダレをどうにかしてほしい旨を伝えると、先生いつの間にかエコー検査に入ってた!
そして「やっぱり」と。
腸に1cmほどの腫瘍があると。
エコーの映像で説明を受けたけど、イマイチ分からず。
しこりも触らせてもらいました。
そして、やっとヨダレの原因がわかったんです。
『消化器型リンパ腫』
高齢猫には多い病気だそうです。
ガンとわかった途端に、また大人気なく泣き出してしまう私。
情けない。
腫瘍が食べ物の通り道を狭くしてしまい、スムーズに通らないことによって嘔吐やヨダレとして反応してしまうとのことで、これは生理的なものとして仕方ないんだそうです。
先生は、この腫瘍が早くに見つけられなかった事も踏まえて、掛かりつけの病院の診察をフォローしながら説明してくれて「今行なっているリキッドでの食事療法は正しいと思います」と言ってくれました。
そのまま続けるべきと。
きっとそれしかなかったんだろうな。
しっかり食事を摂らせる事以外に出来ることは限られていたんだろうな。
でも、原因がはっきりわかってスッキリしました。
だって、今後はリンパ腫のことだけに絞って治療法をリサーチ出来る。
帰宅してから『消化器型リンパ腫』を調べてみると、3月上旬に激しい嘔吐から始まって、オチッコトラブルや足の麻痺など、すでに腫瘍による症状がもう始まっていたのかもと思えてきました。
目にする余命の短さもショックだけど。
小次郎の今の状態と年齢を考えて、抗ガン剤などの治療はやらずにおこうと思っていました。
延命よりも今ある苦しみを緩和してあげたいだけ。
それにしても、さちも小次郎も結局ガンかぁ…
しかも別の病院で腫瘍が見つかるパターンも一緒。
どこまでも仲良しだな、お前たち…
夜になって、病院で処方された痛み止めの「メタカム」を飲ませてみました。
先生には薬を飲ませると必ず吐いてしまう事は伝えていました。
この薬は、ハチミツ味のシロップで副作用もないらしく、吐いたらやめるようにと言われました。
薬への拒絶反応にヒヤヒヤしながら、少量のシロップを水と一緒に慎重に流し込む。
どうか小次郎の痛みを少しでも抑えてあげて!
静かに寝ていた小次郎の様子がたちまち変わりました。
発作のように頭を震わせながら苦しみ出したのです。
今までのように吐くどころの騒ぎじゃない!
「コジ!コジ!どうしたの!苦しいの!?」
「ゴメンね、ゴメンね!」
泣きながら小次郎の頭を支えて、身体をさすって落ち着かせようとしますが、かなり長い時間苦しみました。
小次郎の身体は完全に薬を受けつけなくなっているのか…
翌日から飲ませる予定だった粘膜保護薬も断念せざるを得ません…!
もう小次郎に薬を飲ませる事は不可能。
呼吸を懸命に整えようとして横たわっている小次郎が不憫で不憫で…
それと同時に、苦しませることしか出来ない自分の不甲斐なさに打ちひしがれて…
もうこのまま何もせずにいた方がいいのか…
しばらく落ち着いて寝ていた小次郎。
それでも普段より呼吸するお腹の起伏が大きいのは気になってたんです。
そして、ふと小次郎に目を向けた時、明らかにおかしな動きを始めました。
慌てて小次郎の元に行くと、前足が突っ張ったようになり、数年前に何度か起きた発作のような感じに。
母と身体をさすりながら落ちつけようとしますが、今までした事もない呼吸で、そのうち息が一瞬止まり…
「小次郎!小次郎!」
また大きく息を吹き返し…
数秒に一回の呼吸になり、私は泣きながら叫びました。
「小次郎!ダメだよ!まだ逝っちゃダメだよ!おねーちゃん、まだコジに何もしてあげられてないんだよ!」
悶えながら苦しむ小次郎の頭を抱えて、必死にさすって刺激を与える。
このところずっと小次郎の鳴き声を聞いてなかったのに、この時は小さな可愛い声で「アァーン」「アンン」と微かに鳴き声をあげました。
「助けて」「辛いよ」「もう終わらせて」って言ってるようにも感じました。
こんなに苦しんでるのに、まだこの世に引き寄せようとする私のエゴ。
私が毒を盛ったようなものなのに、酷いもんです。
でも、これが本音!
「まだ逝っちゃダメ!こんな風に逝っちゃダメ!」
だいぶ経ってから、少し呼吸が落ち着いて来たような。
それでも苦しそうなのは変わらない。
名前を呼び続けながら、身体をさする。
よりにもよって、こんな病院もやっていない時間に…!
以前教えていただいていた夜間救急の病院に電話もしたけど繋がらず。
お願い、朝まで持って、コジの命!
でも、長い、朝まで長すぎる!
動揺する私の腕の中で再び小次郎の呼吸が止まり出しました。
止まっては大きく吹き返し、止まっては吹き返し…
「コジ!これじゃ、さっちゃんの時と一緒だ!ゴメン、ゴメンね!おねーちゃんが余計なことしなければ!薬を飲ませたりしなければ!ゴメンね!小次郎、まだ逝かないで!」
とうとう小次郎の呼吸は完全に止まってしまいました。
私は子供のように泣きじゃくり「私のせいだ!私のせいだ!またやっちゃった!」と、未だに目の前で起きた事が信じられなくて、呼吸困難になりそうなくらい叫び続けました。
その横で冷静な母は「そんな事ないよ…小次郎、この1ヶ月よく頑張ったね…頑張ったよね…、お利口だったね」と、涙声で小次郎を撫でていました。
そして「もう目を瞑ってもいいんだよ」と、目が見開いたままのコジの瞼を必死に閉じさせていました。
散々泣き喚いた後、放心状態で小次郎をさする。
私はなんてバカなんだろう。
さちの時と同じ事を繰り返して。
薬を受け付けないのわかってて、なぜ飲ませたんだろう。
痛みを取り除いてあげたかったから。
吐いたらやめればいいと思ったから。
こうしていつもいつも楽にしてあげたい、辛いのを和らげてあげたいと思ってした事が全部全部裏目に出て。
結果、さちと同じように苦しいまま逝かせてしまった。
おそらく小次郎の身体は、もう薬どころか流動食とお水を受け入れるだけでも精一杯のギリギリな状態だったのかもしれない。
それならそのまま流動食とお水だけで少しずつあげていれば、小次郎はあと数日、生きていられたのかもしれないのに。
その反面、そこまで毎日痛いとか気持ち悪いとかで、前足で枕を引っ掻いたり、もがいたりしながらヨダレと格闘している小次郎の苦しみを早く終わらせてあげられたのかもしれないという傲慢な思いも湧いてくる。
勝手すぎる。
穏やかな余生をなんて言っておきながら、全く正反対じゃないか。
母の言う通り「薬やめたら?」「病院行くのやめたら?」「ネットで調べるのやめたら?」を実践していれば、結果は違っていたのかも。
こんな無知で判断能力の欠ける飼い主のせいで、小次郎に一番避けたかった死に方をさせてしまった。
小次郎への申し訳なさで胸が潰されそうになりながらも、なんとか小次郎を楽な姿勢で寝かせて、ずっと身体を撫でました。
病気になっても毛並みだけは綺麗だよね…
小次郎の前足を触ってみると…
後ろ足は特にだけど、もう紙っぺらのように薄くて軽くて…
体力が戻ったらリハビリして、完全に歩けなくても自分の行きたい場所に這って行けるくらいにまでなれたらなって、微かな希望を持っていたけど、もうそんな筋肉もなくなってたんだね…
本当にギリギリの身体で、私たちにされるがままに頑張ってくれてたんだね…!
可哀想な事をしてしまった。
今まで我が家を明るくしてくれた小次郎に恩返しがしたかったのに、何も出来ないまま…
どうしてこんな弱った身体の老猫が最期の最期で苦しんで逝かなきゃいけないんだろう。
どうして家族を癒してくれた動物がどの子も穏やかに眠るように死を迎える事が出来ないんだろう。
この日は、いつものように小次郎と私と母と並んで寝たんだけど、1つ違うのは、小次郎が辛そうにして一晩中寝られず、私たちも小次郎の世話で一睡も出来ず……から解放された事。
皮肉にも、私も母も、そして小次郎もようやく深い眠りにつける夜を過ごしたのです。
小次郎が亡くなった日の記録です。
やっと大元の病気がわかった数時間後に逝ってしまうなんて想像も出来なかった。
小次郎の命を奪ったどうしようもない飼い主と非難されようとも、いつまでも忘れないように戒めのために自分の過ちも書き記そうと思います。
小次郎のえづきとヨダレは一向に治まる事はありませんでした。
逆にヨダレは日に日に酷くなって、夜中ずっと悶えながらチュパチュパやってる。
もう可哀想過ぎる。
ネットで調べても、どれもこれも症状が当てはまって堂々巡り。
やっぱり脳神経か!?
数値は正常とはいえ、腎不全になったのか!?
胃腸炎なのか!?
甲状腺機能亢進症の数値が悪化したのか!?
どれにしろ、胃薬も制吐剤も吐いちゃうし、どうしてあげたらいいの、小次郎!
毎日泣きたい気持ちで過ごしてても埒があかない。
掛かりつけの病院はとても信頼しているけれど、原因がわからないままじゃ辛い!
そこで、迷ったけれど近所の別の病院に行って来ました。
出来れば、掛かりつけの病院にセカンドオピニオンとして話を通しておきたかったけど、時間の猶予がない!
ぐったりした小次郎をキャリーに入れて、自転車で行くにはちょっと怖い道。
狭い道なのに自動車の往来が激しいから、小次郎を連れてなくても通りたくない道。
でも仕方ない!
今までの診察の経緯と現在の症状、血液検査のデータも見せて、とにかくヨダレをどうにかしてほしい旨を伝えると、先生いつの間にかエコー検査に入ってた!
そして「やっぱり」と。
腸に1cmほどの腫瘍があると。
エコーの映像で説明を受けたけど、イマイチ分からず。
しこりも触らせてもらいました。
そして、やっとヨダレの原因がわかったんです。
『消化器型リンパ腫』
高齢猫には多い病気だそうです。
ガンとわかった途端に、また大人気なく泣き出してしまう私。
情けない。
腫瘍が食べ物の通り道を狭くしてしまい、スムーズに通らないことによって嘔吐やヨダレとして反応してしまうとのことで、これは生理的なものとして仕方ないんだそうです。
先生は、この腫瘍が早くに見つけられなかった事も踏まえて、掛かりつけの病院の診察をフォローしながら説明してくれて「今行なっているリキッドでの食事療法は正しいと思います」と言ってくれました。
そのまま続けるべきと。
きっとそれしかなかったんだろうな。
しっかり食事を摂らせる事以外に出来ることは限られていたんだろうな。
でも、原因がはっきりわかってスッキリしました。
だって、今後はリンパ腫のことだけに絞って治療法をリサーチ出来る。
帰宅してから『消化器型リンパ腫』を調べてみると、3月上旬に激しい嘔吐から始まって、オチッコトラブルや足の麻痺など、すでに腫瘍による症状がもう始まっていたのかもと思えてきました。
目にする余命の短さもショックだけど。
小次郎の今の状態と年齢を考えて、抗ガン剤などの治療はやらずにおこうと思っていました。
延命よりも今ある苦しみを緩和してあげたいだけ。
それにしても、さちも小次郎も結局ガンかぁ…
しかも別の病院で腫瘍が見つかるパターンも一緒。
どこまでも仲良しだな、お前たち…
先生には薬を飲ませると必ず吐いてしまう事は伝えていました。
この薬は、ハチミツ味のシロップで副作用もないらしく、吐いたらやめるようにと言われました。
薬への拒絶反応にヒヤヒヤしながら、少量のシロップを水と一緒に慎重に流し込む。
どうか小次郎の痛みを少しでも抑えてあげて!
静かに寝ていた小次郎の様子がたちまち変わりました。
発作のように頭を震わせながら苦しみ出したのです。
今までのように吐くどころの騒ぎじゃない!
「コジ!コジ!どうしたの!苦しいの!?」
「ゴメンね、ゴメンね!」
泣きながら小次郎の頭を支えて、身体をさすって落ち着かせようとしますが、かなり長い時間苦しみました。
小次郎の身体は完全に薬を受けつけなくなっているのか…
翌日から飲ませる予定だった粘膜保護薬も断念せざるを得ません…!
もう小次郎に薬を飲ませる事は不可能。
呼吸を懸命に整えようとして横たわっている小次郎が不憫で不憫で…
それと同時に、苦しませることしか出来ない自分の不甲斐なさに打ちひしがれて…
もうこのまま何もせずにいた方がいいのか…
しばらく落ち着いて寝ていた小次郎。
それでも普段より呼吸するお腹の起伏が大きいのは気になってたんです。
そして、ふと小次郎に目を向けた時、明らかにおかしな動きを始めました。
慌てて小次郎の元に行くと、前足が突っ張ったようになり、数年前に何度か起きた発作のような感じに。
母と身体をさすりながら落ちつけようとしますが、今までした事もない呼吸で、そのうち息が一瞬止まり…
「小次郎!小次郎!」
また大きく息を吹き返し…
数秒に一回の呼吸になり、私は泣きながら叫びました。
「小次郎!ダメだよ!まだ逝っちゃダメだよ!おねーちゃん、まだコジに何もしてあげられてないんだよ!」
悶えながら苦しむ小次郎の頭を抱えて、必死にさすって刺激を与える。
このところずっと小次郎の鳴き声を聞いてなかったのに、この時は小さな可愛い声で「アァーン」「アンン」と微かに鳴き声をあげました。
「助けて」「辛いよ」「もう終わらせて」って言ってるようにも感じました。
こんなに苦しんでるのに、まだこの世に引き寄せようとする私のエゴ。
私が毒を盛ったようなものなのに、酷いもんです。
でも、これが本音!
「まだ逝っちゃダメ!こんな風に逝っちゃダメ!」
だいぶ経ってから、少し呼吸が落ち着いて来たような。
それでも苦しそうなのは変わらない。
名前を呼び続けながら、身体をさする。
よりにもよって、こんな病院もやっていない時間に…!
以前教えていただいていた夜間救急の病院に電話もしたけど繋がらず。
お願い、朝まで持って、コジの命!
でも、長い、朝まで長すぎる!
動揺する私の腕の中で再び小次郎の呼吸が止まり出しました。
止まっては大きく吹き返し、止まっては吹き返し…
「コジ!これじゃ、さっちゃんの時と一緒だ!ゴメン、ゴメンね!おねーちゃんが余計なことしなければ!薬を飲ませたりしなければ!ゴメンね!小次郎、まだ逝かないで!」
とうとう小次郎の呼吸は完全に止まってしまいました。
私は子供のように泣きじゃくり「私のせいだ!私のせいだ!またやっちゃった!」と、未だに目の前で起きた事が信じられなくて、呼吸困難になりそうなくらい叫び続けました。
その横で冷静な母は「そんな事ないよ…小次郎、この1ヶ月よく頑張ったね…頑張ったよね…、お利口だったね」と、涙声で小次郎を撫でていました。
そして「もう目を瞑ってもいいんだよ」と、目が見開いたままのコジの瞼を必死に閉じさせていました。
散々泣き喚いた後、放心状態で小次郎をさする。
私はなんてバカなんだろう。
さちの時と同じ事を繰り返して。
薬を受け付けないのわかってて、なぜ飲ませたんだろう。
痛みを取り除いてあげたかったから。
吐いたらやめればいいと思ったから。
こうしていつもいつも楽にしてあげたい、辛いのを和らげてあげたいと思ってした事が全部全部裏目に出て。
結果、さちと同じように苦しいまま逝かせてしまった。
おそらく小次郎の身体は、もう薬どころか流動食とお水を受け入れるだけでも精一杯のギリギリな状態だったのかもしれない。
それならそのまま流動食とお水だけで少しずつあげていれば、小次郎はあと数日、生きていられたのかもしれないのに。
その反面、そこまで毎日痛いとか気持ち悪いとかで、前足で枕を引っ掻いたり、もがいたりしながらヨダレと格闘している小次郎の苦しみを早く終わらせてあげられたのかもしれないという傲慢な思いも湧いてくる。
勝手すぎる。
穏やかな余生をなんて言っておきながら、全く正反対じゃないか。
母の言う通り「薬やめたら?」「病院行くのやめたら?」「ネットで調べるのやめたら?」を実践していれば、結果は違っていたのかも。
こんな無知で判断能力の欠ける飼い主のせいで、小次郎に一番避けたかった死に方をさせてしまった。
小次郎への申し訳なさで胸が潰されそうになりながらも、なんとか小次郎を楽な姿勢で寝かせて、ずっと身体を撫でました。
病気になっても毛並みだけは綺麗だよね…
小次郎の前足を触ってみると…
後ろ足は特にだけど、もう紙っぺらのように薄くて軽くて…
体力が戻ったらリハビリして、完全に歩けなくても自分の行きたい場所に這って行けるくらいにまでなれたらなって、微かな希望を持っていたけど、もうそんな筋肉もなくなってたんだね…
本当にギリギリの身体で、私たちにされるがままに頑張ってくれてたんだね…!
可哀想な事をしてしまった。
今まで我が家を明るくしてくれた小次郎に恩返しがしたかったのに、何も出来ないまま…
どうしてこんな弱った身体の老猫が最期の最期で苦しんで逝かなきゃいけないんだろう。
どうして家族を癒してくれた動物がどの子も穏やかに眠るように死を迎える事が出来ないんだろう。
この日は、いつものように小次郎と私と母と並んで寝たんだけど、1つ違うのは、小次郎が辛そうにして一晩中寝られず、私たちも小次郎の世話で一睡も出来ず……から解放された事。
皮肉にも、私も母も、そして小次郎もようやく深い眠りにつける夜を過ごしたのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます