このお菓子は『シベリア』という不思議な名前のお菓子です。
ご覧のように羊羹(当店は水羊羹)をカステラではさんだものです。
大正から昭和中頃の時代には、おやつの定番として活躍しましたが
時代の流れの中で次第に忘れられてしまったお菓子です。
ところが当店では、大正5年(1916年)創業以来変わらぬ製法で
未だに現役・主役で活躍中!!
全国のシベリア・ファン様に支えられて、毎日シベリアを作り続けることが出来ます事は私共にとりまして、何よりの幸せです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
『シベリア物語』
『シベリア』というお菓子がうまれたのは明治後半から大正初期頃です。当時のパン屋では、どの店でも、このお菓子が作られていました。パン焼きがまの余熱を利用して焼いたカステラと、あんぱんに使うあんを使って作られました。
和菓子のような製品ですが、パン屋で作られたのには、この様ないきさつがあったのです。シベリアパン、シベリアケーキと呼ばれることもあります。しかし、製造に手間と時間がかかることから、いつの間にか、シベリアはパン屋の店先から姿を消していきました。さいわい当店のシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま、今日に至っております。
名前の由来
①夢のシベリア鉄道説
ようかん部分が、大雪原を走るシベリア鉄道に見える。
②掘ってびっくり地層説
断面がシベリアの凍土の状態に似ている。
③心あたたかオーバー説
シベリアは極寒の地、ようかんに
暖かいカステラのオーバーをきせた。
④ドッテテ ドッテテ シベリア出兵説
大正7年にシベリア出兵事件があり、
その頃作られたのでこの名前になった。
⑤思ひ出の喫茶店名説
小樽の町で亡命ロシア人経営の
『シベリア』という喫茶店で売られていたから。
⑥闘うお菓子屋さん説
日露戦争(1904年に)従軍した菓子職人が発明したから。
⑦恋するお姫様説
ロシア革命で、神戸に亡命した美しい貴族の姫君が、
恋人の亡がらが埋まっているシベリアの凍土を
想いながら作ったから。
当店HP 『横浜桜木町シベリアのコテイベーカリー』 も是非ご覧下さいm(__)m
ご覧のように羊羹(当店は水羊羹)をカステラではさんだものです。
大正から昭和中頃の時代には、おやつの定番として活躍しましたが
時代の流れの中で次第に忘れられてしまったお菓子です。
ところが当店では、大正5年(1916年)創業以来変わらぬ製法で
未だに現役・主役で活躍中!!
全国のシベリア・ファン様に支えられて、毎日シベリアを作り続けることが出来ます事は私共にとりまして、何よりの幸せです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
『シベリア物語』
『シベリア』というお菓子がうまれたのは明治後半から大正初期頃です。当時のパン屋では、どの店でも、このお菓子が作られていました。パン焼きがまの余熱を利用して焼いたカステラと、あんぱんに使うあんを使って作られました。
和菓子のような製品ですが、パン屋で作られたのには、この様ないきさつがあったのです。シベリアパン、シベリアケーキと呼ばれることもあります。しかし、製造に手間と時間がかかることから、いつの間にか、シベリアはパン屋の店先から姿を消していきました。さいわい当店のシベリアは、お客様に愛され続け、大正5年(1916年)創業以来、製法も当時のまま、今日に至っております。
名前の由来
①夢のシベリア鉄道説
ようかん部分が、大雪原を走るシベリア鉄道に見える。
②掘ってびっくり地層説
断面がシベリアの凍土の状態に似ている。
③心あたたかオーバー説
シベリアは極寒の地、ようかんに
暖かいカステラのオーバーをきせた。
④ドッテテ ドッテテ シベリア出兵説
大正7年にシベリア出兵事件があり、
その頃作られたのでこの名前になった。
⑤思ひ出の喫茶店名説
小樽の町で亡命ロシア人経営の
『シベリア』という喫茶店で売られていたから。
⑥闘うお菓子屋さん説
日露戦争(1904年に)従軍した菓子職人が発明したから。
⑦恋するお姫様説
ロシア革命で、神戸に亡命した美しい貴族の姫君が、
恋人の亡がらが埋まっているシベリアの凍土を
想いながら作ったから。
当店HP 『横浜桜木町シベリアのコテイベーカリー』 も是非ご覧下さいm(__)m