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下岡蓮杖最初の写真館は横浜・野毛にあった!

2012年01月11日 19時08分45秒 | 街のこと
 
横浜・馬車道には下岡蓮杖の顕彰碑があります。
碑文には
日本写真の開祖
写真師・下岡蓮杖顕彰碑 

と書かれています。
蓮杖が弁天通りに写真館を開業したことを記念して建てられました。  

この画像は2008年5月に撮影したものですが
下岡蓮杖の記事を書こうと思い、いろいろな本を読んでいるうちに

蓮杖が初めて写真館を開業したのは野毛だった。

という事を知りました。
住民にとっては、とても嬉しいことなので
蓮杖初の野毛の写真館の場所を調べてから
記事を書こうと保留にしてきました。

ところが図書館や資料館で資料を調べても
慶応年間の野毛の地図を見つけることができないません。
保留のまま3年の歳月が流れてしまいました。

資料を読んでみると

野毛(現在の横浜市中区野毛町)の粗末な写真場であるが、日本最初の営業写真家の誕生である。蓮杖は開業にあたり、守護神として豆州下田から稲荷神社をうつし、社の近くに楠を植えた。蓮杖の二ひさの回想録に、この稲荷神社と大樹となった楠が明治三十五年ごろまで野毛に残っていたとある。
(『写真伝来と下岡蓮杖』藤倉忠明)


他の資料では…

蓮杖は野毛で床店を借りて写真業を始め、後に弁天通りに移ることとなる。…(略)…野毛については、下田から「続々移民が入り込んで益々にぎやかになった」とか、「豆州下田より移し奉る稲荷神社」があったという記録があるので、下田出身の蓮杖が開業するにはふさわしい場所であった。…(略)…慶応年間の野毛の地図を見ると、通りの真中に楠があり、通りに面して髪結床もある。家並の裏手は畑である。蓮杖の創業時の景観も、これとあまり変わらないものであったろう。野外のスタジオは裏手の畑の一画に設けられていたに違いない。(『幕末明治 横浜写真館物語』斉藤多喜夫)

大きな楠、稲荷の社、床屋…という、かなり分かりやすそうな手がかりがあるのですが
それが描かれている地図は、とうとう見つかりませんでした。

『横浜歴史と文化』(高村直助)には
「横浜開港場の図」万延元年(1860)という絵が掲載されていて
絵の右端に野毛が描かれ、大きな木も描かれています。
もしかしたらこれが楠では?…と、思わず期待してしまいます。

この話を1年ほど前に横浜開港資料館の方にお話ししていたのですが
昨年末になって職員の方から
「もしかしたら野毛の写真館の場所が分かるかも知れない」
というお知らせをいただきました。
横浜開港資料館でも蓮杖の展示があるそうですので、
その際に写真館の場所が分かるかもしれません、とても楽しみです。


2012年を蓮杖の写真館の開業150周年の年として
ヨコハマフォトフェスティバルが開催されます。

蓮杖がさまざまな困難を乗り越えて
横浜に写真館を開業した年から150年が過ぎ
現代はデジカメの発達により誰でも手軽に写真をたのしめる時代になりました。
今年はちょっと立ち止まって写真の歴史に思いを馳せてみようと思います。






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