不安という現象は
日々の心がけや生きる意味などという論理とは
歯車がかみ合わなくなる。
意識回復への可能性が低いと診断されると
そこには、ぬかるみ的な世界しか見いだせない。
ゼロではない部分に焦点を合わせようとしても、
残りの可能性を受け止めるしかない、と呟く私がいる。
各専門医の方から、原因や今後の見通しや体の機能的現状など、それぞれの説明を聞けば聞くほど、
厚生省作成ロードマップに沿って、ベルトコンベア式に運ばれていってしまうイメージに支配される。
誰の声も届かない世界へトボトボと連れて行かれている雰囲気もする。
事実、呼吸はしているのだけれど、口や腕に多くの管が通されているだけで反応がない。
複数のモニターが何を示していて総合的に何をどのように心配するべきなのかすらわからない。
処置説明を聞いても、他の選択肢をググってみても判断はできる筈もなく、
それが正しく実行されているのかもわからない。
人ががひとであり続けることとはどういうことなのか。
その手ほどきを受けているのだろうか。
確からしいことは・・・
いのちとは炎である。そう言われれば、今はうなづけることだけだ。