晴れ渡った空。マスクなしに朝の新鮮な空気を味わう。
ソーシャルディスタンス十分な距離から、かつての国民服よろしく、いつだってマスクをしているであろう御仁からも冷ややかな風が流れてくる。
あれから一年以上が経つけれど、公な検証もなく場当たり的な対応と説明が続いている。
かつて致死率80%・90%と言う結果を残した病気と同じ扱いをする不自然さを、一年たってもメディアは総務省への配慮からか報じない。
「勝った勝ったぞまた勝った」とかつて報じられたように、「増えた増えたぞまた増えた」気の緩みは許されないとやっている。
民主主義なのだから、多数派に任せてマイノリティーは黙って従っていればいいのかもしれないと澄み渡った空に深呼吸。
外食産業を生贄に、政(まつりごと)は今日も祈りをささげ続けている。
日本の農業を守りたまえ、食料自給率を上げ給えとか祝詞を上げているけれど、迫真の演技は天に通じるであろうか。
家庭内感染が感染経路の50%以上を占めているとわかっているから、自粛ファーストな街の空気にそれでも美しいものを探して歩く。
一日一万件の検査実施が保健所の努力目標としてあり、他の感染症リスクの高い時期が過ぎ、新コロ追跡調査に熱が入ってきたとも聞く。
確かに保健所の追跡実施が多くなれば、若者からの検出割合が増え、減ると高齢者の占める割合が増える傾向にあると感じている。
それに第何波というのを幾つか経験したことを考えると、一旦拡大したんなら、また一旦終息に向かうのだろう。
楽観しすぎているのかもしれないけれど、朝の空気に触れているとそんなもんだろうという気がしてくる。
本当に危なければ、医師会の人だって警笛ばかり鳴らしていないで、病床数を増やしているだろう。
もっと言えば、火葬場や葬儀場から悲しみの煙がモクモクと早朝からも上がっていることだろう。