昨日まで揺れていた桜の花びらが、アスファルトの上を流れていく。
バタバタと慌ただしい日々にも一旦の区切りがつきそうな気配が漂い始めた。
こうなってくるとまた、仕事が再び流れ出すまでの苦痛と苦悩が始まる。
なるようにしかならない。
どれだけ唸ってみたところで、努力と結果に確かな因果関係はない。
分かってはいるけれど、気晴らしに遊んだとしても、やはり肩の力は抜けちゃいない。
いつも結果だけで裁かれることへの恐怖と罪悪がデンと居座って私を押さえつけている。
失敗は枚挙にいとまがなく、コツコツ積み上げた利益も一瞬にして吹き飛ぶ。
そんなこと、これまで何度経験してきたことだろうか。
狂気と危険、無謀と勇気のせめぎ合いの中を、これからも素足で歩き続ける
経験という過去の価値観に染まった私からの解放を行っていかないと、新たな私は生まれてこない。
かと言って、その新たな私とやらが、存在に耐えうる代物かどうかはわからない。
イバラの道も一歩から、終わりの見えていないのは私だからかもしれないのに、それでも進み続ける奇行。
結果が出てから論を立てる評論家に聞いてみても、その真っ当でまともな回答を、役に立てる術を私は知らないようだ。
本当にそんな事でいいのかと、私にプレッシャーをかける何かが、心のどこかに今日もある。
絶望していると、摩耗の苦しみでしかなく、悪戯にすり減っている痛みでしかなくなってくる。
だから、生みの苦しみか磨かれている痛みであってくれと、出鱈目でも本当でも、にっこり微笑んで今日も祈る。
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