余りにも無力で、ありのままに、ないがまま途方に暮れることがよくある。
あさひの向こう側にいた頃があった事を教えてくれる風が吹く。
挫ける私というが、挫けているのは自意識コントロールしている私の一部。
本当の私なんて、捉えたくとも条件なしに捉えることなんてできない。
自分を見失うなんて言うけれど、とてもニュートラルな状態なのかもしれない。
本当のこと?
それを知ったり手に入れたりすることで生活が安定するのなら、それを目指すのはありだろう。
補助金でもつけてくれるのなら、追及もするさ。
補助金なんてなくとも自然とそちらへ向かっていくのが本当の姿だとしても、
補助金を貰えるほうがお得で現実的なんだ。
そもそも本当のことは学者か宗教者に任せればいいじゃないか、それが仕事なんだから。
一銭の儲けにもならないどころか、七面倒くさいことで手に入るであろう儲けも消えて、
関係もぎくしゃくすることの方がリスクと考える俺の邪魔をしないでくれ。
友達?金のない奴のところにさへ集まるのが真の友達かもしれないけれど、
儲けの期待できるところに集まる、お前らの言う仮の友達が俺の現実なんだ。
行ったり来たり、今日も揺れている。
気が付けばいつも肩に力が入っていて、届きそうで届かない望む結果に振り回されて今日もここで立ち尽くしている。
解放されたいようでいて、実はそこに居心地の良さを感じ始めているのかもしれない。
迷いなんて微塵も感じさせないまっしぐらな人達の現実だって、きっと多面的に違いない。
本当も現実も分けずに、ひらけたり照らされたりできないもんかなぁ。
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