ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

ヤワに生きることのすすめ

2009-12-16 06:02:43 | 観想
ヤワに生きることのすすめ

人間の営みなんて、ある意味、退屈で、その退屈感を耐え忍んで頑張っていたとしても、うまくいかないときは、徹底的にうまくいかないわけで、度重なる失策を重ねてしまうようなこともしばしば起こる。だからと言って、うまくいかないことで世の中を斜交いにみたり、自分の個性の良きところまで歪めてしまっては、自分から生きる価値をドブにでも投げ捨てているようなものではないか。以前のブログで、人生とは不公平なものである、と定義づけたことがあるが、これを書いているいまの心境も底では何ら変わることはない。僕はいまだに、不公平感を抱きつつ生きていると思う。金持ちとそうでない人間との差異を比較してみればよいが、まあ、貧乏な状況からは、よくもこれだけの不幸のかたちがあるものだ、と慨嘆させられるほどに、不幸が連鎖していく。かつて金持ちだった人間が貧困の底に落ちるような出来事が起これば、そこは底なしの暗い穴ぐらのごとき様相で、貧困は第一世代に止まらず、第二、第三世代にまで受け渡されることも珍しくはない。

自分の長きに渡る生涯を鳥瞰してみても、まだ人間としての意識のない幼児期に、富裕層から極貧の層の生活まで、一家ともども陥った。祖父の代で財産を全て投げ出すハメになったのである。第二世代の僕の両親などは、特に親父などは、どうしようもない甘えを鬼籍に入るまで捨てきれずにいた。当然僕の生きるべき時代にすべてを巻き返すことなど出来るはずもない。凡庸な教師の道を選んだが、いくら新たなことに挑戦してみても、学校社会などは、どこかで生活の安寧を優先して退屈感に耐えて生きるだけのことになる。僕がもぐりこんだのは京都の私学だったが、日々、金銭感覚が麻痺するほどに、生活は安定していたのである。これでいいのか?とも思ってはみたが、今度はどうしてもぶち壊したくなった。私学に働く教師が崩壊の道をたどろうとするなら、私学経営者に徹底的に嫌われることをやり抜けばよいだけである。ちょっとした学校改革も、自分の暴れっぷりの副産物として残る。少しはいい気分にはなれる。しかし、僕は確実に破滅の方へ、雪崩をうつように、転がっていたわけで、思い通りに学校を追放された。すべてはご破算になり、中高年にもなって、また無一物になった。いまもその延長線上に生き延びているようなものだ。貧乏なんて、伝染病のごとく伝播していくもののようだ。たぶん、僕の生涯は、この路線上に止まって、息絶えるのだろう。自己憐憫などは毛頭ない。世の中を生き抜くためにはどうしても何ほどかの退屈感を耐え忍ばなければならなかったと思うが、そういう選択肢が僕の裡にはなかっただけのことだ。


文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃