○逢いたくていま
MISIAという歌手の紡ぎ出す歌声の魅力は、それを明瞭には理論化できないわけで、情緒的な表現で申し訳ない限りだが、敢えていうならば、彼女のどこにだってとどくだろう声の豊かさと広がりが、自分の心の狭隘さをたやすくうち崩してくれるということだろうか。身体的な変化で云えば、空気がたくさん吸える。また、そのことがとても心地よい。敢えていうならば、癒されるのである。僕の手許にあるのは、たった一枚のCDだが、そのBallade集に聴き入ると、いろんな胸のつっかえがとれるのだから、不思議である。彼女がゴスペルソングの訓練を受けたということなどは、特に僕の興味を惹かない。たぶん、そのような訓練が彼女の歌の技術的な、そして歌に込める心とはいかなるものか、ということを彼女自身が考える大いなるきっかけになったとは思う。しかし、それよりも、MISIAが持って生れた5オクターブの音域とは、僕には100メートルを10秒以内で走るくらいに、凄い才能ではないか、と思えるのである。歌の専門家からすれば、そんなことはない、とおっしゃるかも知れないが。もう一つ、彼女の魅力は、彼女が創る歌詞の繊細さと、エネルギッシュな感性が同居しているということである。
「逢いたくていま」は、「JIN-仁-」というテレビドラマの主題歌として流行したと記憶する。MISIAが書き綴った歌詞と、現代から幕末の江戸へタイムスリップした青年医師の物語が、思想的にどのように通底しているのかは想像の域を出ない。たぶん、この青年医師が、現代に残してこざるを得なかった恋人に対する恋情の表現として、MISIAの恋歌を重ねているのだろう。音域の広さとどこまでもとどく声量の過剰とも云える豊饒さは、たとえば、ドリカムと似たところもあるだろうが、僕の感じ方からすると、それは似て非なるもの、だ。ドリカムは、もっと野生的な感じがする。ソウルっぽいとも言える。ドリカムが謳うゴスペルソングは堂に入ったものかも知れないが、やや、繊細に過ぎるMISIAの声質の方に、断然僕は惹かれるし、繊細さでしか伝え得ないことの有意味さを感じるのである。
僕の手許にあるCDから判断すると、MISIAには作曲の才能あるいは、作曲する意図はないらしい。彼女が手掛けるのは、あくまで詩だ。彼女の歌の表現力の豊かさと天才的な声の優れた質量、声質とメロディの絶妙なバランス、そういう全ての要素が、MISIAという謎の多い歌姫をカリスマ的な存在にまで高めるのだろう。
「逢いたくていま」の詩の素材は、確かに単純な恋歌の装いを施しているが、しかし、いくつかの詩のレフレインに必ずMISIAが抜かすことなく書き入れている、気をつけていなければ、単なる過去への郷愁の表現にしか聞こえないそれらが在る。彼女はこの歌詞に3度、同種の表現をさりげなく挟みこんでいる。「今 逢いたい あなたに伝えたいことが たくさんある」と謳い、「今
逢いたい あなたに聞いてほしいこと いっぱいある」さらに「今 逢いたい あなたに知ってほしいこと いっぱいある」と重ねて謳う。別に僕は、何らかの意味をこじつけようとは思わない。
MISIAの詩は、彼女の豊饒過ぎる歌とともに、大切な相手に伝えたきことがたくさんあり、聞いてほしいことがたくさんあると重ね、さらに、知ってほしいことがいっぱいあると主張する。ここに、人間存在としての僕たちが、生きる意味の根底になければならない重大な三要素がありはしまいか?現代という時代において、他者とのコミュニケーションがうまくとれない、と嘆息している人々にとって、MISIAが提示してみせる恋歌にのっけた思想は、おそらくはどのような深淵な言葉のカラクリを凌駕して、伝わってくる生の真実ではなかろうか?
MISIAにこのような詩に対する想いが在る限り、彼女は一歌手から、普遍性を持ったカリスマ的な歌姫としての意味を独占し続けることだろう。僕は少なくともそう思う。
推薦CD:「MISIA JUST BALLADE」このCDはお薦めです。どうぞ、楽しんでください。
京都カウンセリングルーム
アラカルト京都カウンセリングルーム 長野安晃
MISIAという歌手の紡ぎ出す歌声の魅力は、それを明瞭には理論化できないわけで、情緒的な表現で申し訳ない限りだが、敢えていうならば、彼女のどこにだってとどくだろう声の豊かさと広がりが、自分の心の狭隘さをたやすくうち崩してくれるということだろうか。身体的な変化で云えば、空気がたくさん吸える。また、そのことがとても心地よい。敢えていうならば、癒されるのである。僕の手許にあるのは、たった一枚のCDだが、そのBallade集に聴き入ると、いろんな胸のつっかえがとれるのだから、不思議である。彼女がゴスペルソングの訓練を受けたということなどは、特に僕の興味を惹かない。たぶん、そのような訓練が彼女の歌の技術的な、そして歌に込める心とはいかなるものか、ということを彼女自身が考える大いなるきっかけになったとは思う。しかし、それよりも、MISIAが持って生れた5オクターブの音域とは、僕には100メートルを10秒以内で走るくらいに、凄い才能ではないか、と思えるのである。歌の専門家からすれば、そんなことはない、とおっしゃるかも知れないが。もう一つ、彼女の魅力は、彼女が創る歌詞の繊細さと、エネルギッシュな感性が同居しているということである。
「逢いたくていま」は、「JIN-仁-」というテレビドラマの主題歌として流行したと記憶する。MISIAが書き綴った歌詞と、現代から幕末の江戸へタイムスリップした青年医師の物語が、思想的にどのように通底しているのかは想像の域を出ない。たぶん、この青年医師が、現代に残してこざるを得なかった恋人に対する恋情の表現として、MISIAの恋歌を重ねているのだろう。音域の広さとどこまでもとどく声量の過剰とも云える豊饒さは、たとえば、ドリカムと似たところもあるだろうが、僕の感じ方からすると、それは似て非なるもの、だ。ドリカムは、もっと野生的な感じがする。ソウルっぽいとも言える。ドリカムが謳うゴスペルソングは堂に入ったものかも知れないが、やや、繊細に過ぎるMISIAの声質の方に、断然僕は惹かれるし、繊細さでしか伝え得ないことの有意味さを感じるのである。
僕の手許にあるCDから判断すると、MISIAには作曲の才能あるいは、作曲する意図はないらしい。彼女が手掛けるのは、あくまで詩だ。彼女の歌の表現力の豊かさと天才的な声の優れた質量、声質とメロディの絶妙なバランス、そういう全ての要素が、MISIAという謎の多い歌姫をカリスマ的な存在にまで高めるのだろう。
「逢いたくていま」の詩の素材は、確かに単純な恋歌の装いを施しているが、しかし、いくつかの詩のレフレインに必ずMISIAが抜かすことなく書き入れている、気をつけていなければ、単なる過去への郷愁の表現にしか聞こえないそれらが在る。彼女はこの歌詞に3度、同種の表現をさりげなく挟みこんでいる。「今 逢いたい あなたに伝えたいことが たくさんある」と謳い、「今
逢いたい あなたに聞いてほしいこと いっぱいある」さらに「今 逢いたい あなたに知ってほしいこと いっぱいある」と重ねて謳う。別に僕は、何らかの意味をこじつけようとは思わない。
MISIAの詩は、彼女の豊饒過ぎる歌とともに、大切な相手に伝えたきことがたくさんあり、聞いてほしいことがたくさんあると重ね、さらに、知ってほしいことがいっぱいあると主張する。ここに、人間存在としての僕たちが、生きる意味の根底になければならない重大な三要素がありはしまいか?現代という時代において、他者とのコミュニケーションがうまくとれない、と嘆息している人々にとって、MISIAが提示してみせる恋歌にのっけた思想は、おそらくはどのような深淵な言葉のカラクリを凌駕して、伝わってくる生の真実ではなかろうか?
MISIAにこのような詩に対する想いが在る限り、彼女は一歌手から、普遍性を持ったカリスマ的な歌姫としての意味を独占し続けることだろう。僕は少なくともそう思う。
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