ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○どこでもないどこかへ。

2011-03-03 12:50:58 | 観想
○どこでもないどこかへ。

「どこでもないどこか」というエッセイは、たしか日野啓三の書だったと思うが、今日は、僕なりの<どこでもないどこか>について少しばかり書こうと思う。

いまにして分かるのだが、僕のこれまでの人生とは、ずっと<どこでもないどこか>を探し求めているようなものだった、と思う。勿論、<どこでもないどこか>とは、<身の丈に合った自分ではない自分探しの旅>だったと言い換えてもよい。

身の丈をわきまえない言動、生き方の模索とは、若者の特権である。また、そうでなければ、若者は、自分の可能性を自ら限定的に見定めてしまうし、そんな生き方などちっともおもしろくないのは当然だろう、と思う。老成した青年が昨今目につくのも、若者に冒険を許さない社会的風潮があるからだろう。無茶をしているうちに路頭に迷いかねない、という不安を常に抱えさせられているのが、現代の若者たちの置かれた状況だとも言えるからだ。当然のことだが、僕は、こういう若者たちの姿には共感出来ない。自分が社会的失格者だとしても、やはり老成した若者なんて、どうせ人生のどこかで己れの生のつまらなさに身悶えることになる。だからこそ、少しは無茶もしてみるものだ、と本気で思っている。その結末が、たとえばいつまでも生にまつわる退屈感を払拭出来ず、何かを成し遂げることも出来ないままに、鬱屈した心境から抜け出せない僕のような人間になるのは、単なる力不足が招いたものに過ぎない。角度を変えて言えば、生きる力、考える力なき人間は、冒険をいくら回避したところで、つまらないところで挫折するから、結局は同じことなのだろうな。

さて、少々開き直って言うならば、<どこでもないどこか>へ行こうとして、もがき苦しみ、それでも何とか日常性という枠の中でも、長年それなりの生を営もうとはしたが、<どこでもないどこか>を追い求める精神のベクトルと、安寧に生き抜こうとする日常性のベクトルとは、常に背反するわけで、当然のことながら、僕の日常性は徐々に解体の憂き目に遭う方向へと傾斜していった。

長年、学校空間に身を置いたが、学校というものの存在理由は、そもそも現社会体制を維持するための価値観を伝播させるための装置なのである。その上、教師たちを縛っている価値観ほど、時代に取り残される宿命を背負ったものはないとういうのは、皮肉としか言いようがない。教師存在というのは、時代の流れから確実に取り残される。なぜなら、ぼんやりとしていると、学校空間の中でしか通用しない価値意識の中に、己れの存在そのものを収斂させてしまうからである。いっとき馬鹿げた校則が話題になって、あまりにあほらしくて世間の笑いものになったことがある。ごく最近も、まだ懲りないのか、ある田舎の高校の校則の中に、「女子生徒の胸や陰部に当たる部分を何秒以上(何秒なのか忘れた、馬鹿げているもので)見たら、校則違反だというのがあった。誰が判断する?教師だろうね。そういうことだから、ええ歳こいたおっさんの教師が性犯罪を絶え間なく起こす。時代に取り残されるどころか、とてつもなく矮小化され、歪曲化された価値観が支配する世界が学校空間だ。当然、僕の自意識からすれば、リノベーションどころか、革命的に変革したくなる。だから敵も増える。安逸さを貪る人間は、逆説的だが、命がけで安逸さを保守しようとするから、なかなかに手ごわいのである。プロレスに金網デスマッチというのがあるが、僕の教師生活の23年間は、閉じた世界の中の革命ごっこだった。そりゃあ、いくら闘ったつもりでいても、成長しないね。惨めな現在があるのは必然的な結果だ、と思う。僕の裡なる<どこでもないどこか>は、長い間つまらねえ闇の中でもがいていたようなもので、行き着く果ては、日常性の破綻。それだけだった。

文学ノートぼくはかつてここにいた
長野安晃