ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○無名のままに発言することの意味と限界とを識ったうえで。

2011-03-16 19:43:10 | Weblog
○無名のままに発言することの意味と限界とを識ったうえで。

僕が、このブログを書き始めて、ずいぶんと長い時間が経つ。ブログと云っても、事実そのままのことを書いたつもりで、その中には、ある程度の虚構も混じっているのだから、こういう媒体は、実に不思議なものだ、とつくづく想う。それでも、ほぼ、僕という人間のこれまでの言動や、そこから掴み取った考え方や、現在の生き方の根幹は、書き通せているという自覚はある。自分の思想の構築の始まりからして、いまや、誰一人として本気にはしないだろうし、僕自身が自己の強がりを根拠にして無価値な抗いと、その結末たる孤独の淵への道筋をひた走っているという自覚のもとに、<連帯を求めて、孤立を怖れず!>という古風なスローガンを捨てきれないでいるのであるからである。

ある若き学者のたまごがほざいたね。君の書くことは、データもなければ、参考文献もないものに過ぎんから、ブログの炎上もありだなって。僕を怒らせたのは、その後の言葉。言った本人には自覚がまるでない。有名人なら確実に炎上だろうけれど、君は無名だから、注目もされないか、と。発言者の有名・無名の概念って何だろうって考えたけれど、そいつも大した基準でものを言っているのではない。学者の世界と云っても、狭隘な世界だ。誰が何を言ったか、誰が誰のお気に入りか、誰の派閥に所属できるか、学会とやらで肩で風を切って闊歩している連中を主流とするならば、その陰に隠れて細々と研究せざるを得ないのが、反主流だろうな。まあ、その程度の小世界である。そんなところで生きている人間に、無名などという烙印を押されたくはないね、正直なところ。

現代において、有名、無名などという概念自体が、虚妄に近い。世の移り変わりは激しいわけで、有名も、無名と同義語になるスパンはとても短いのである。いいじゃあないか、はじめから無名であるところから、自己の考えを発信しても。それが時代とともに埋もれ去るのか、何かの拍子で、残るのかは誰にも分かりはしない。大学だって、高学歴ワーキングプアなんていうが、それは、大学自体の教育力量が落ちてきているからである。その原因は、問題の学者のたまごさんが、怖れ、従順に派閥の中にもぐり込もうとしている、その学閥・派閥そのものの中枢にいる人間がダメだということだ。しかし、そうであっても、現実の移り変わりも早いということだ。大学の教授職は、70歳まで居座ろうとすれば出来るそうな。しかし、この種の制度だって、日本の大学の世界的評価が、東大を筆頭に格下になっている現状の原因が、こういう研究者としての盛りをとうに過ぎた連中を、高額な給与を支払って生き残らせていることに、一つの大きな要因があるとするなら、こういう制度も近いうちに激変するだろう。僕に難癖をつけてきた、大学のたまごさん、君こそ学問の蓄積とともに、知的な訓練を積み、洞察力で未来を見通すことをしないと、いつまでもうだつがあがらんぜ。

やっぱり、僕は、無名者として、発言し続けるね。近いうちに小説もものにするがね。売れない小説をね。

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○情報と経済の悪しき論理の関係性ー利権を保守することの醜悪さについての観想として。

2011-03-16 15:16:00 | Weblog
○情報と経済の悪しき論理の関係性ー利権を保守することの醜悪さについての観想として。
 この数日の、特にテレビ報道を観ていて感じることを書くと、今日のブログの主題に突き当たると思う。
 福島原発の解説者として、テレビに登場するエセ学者、評論家たちは即刻退散すること。もし、責任持って意見を言うなら、テレビ局のヘリでも使って、現地を視察してから物を言うこと。テレビ局はそれくらいの報道に対する責任を持たないと、情報が錯綜する。おかしなことがいっぱい語られるけれど、不謹慎を許してもらえるならば、今日のある番組の一人の解説者がのたまったことったらないな。聞くに堪えない。彼は言った、平然と。放射能の数値が、通常の何十倍、あるいは100倍を超えているといっても、それはたとえて言えば、レントゲンで被曝する程度だと。あるいは、CTスキャンにかかるときの被曝量なんだと。アホを言うな!レントゲンでも年に何度も受けるハメになったら、まともな医師なら、その回数を確かめて慎重に対処する。CTスキャンだって、そうそう何度も一年内に受けるわけではない。この解説者がこの期に及んで原発安全論を展開するのは、原発に関わって、金銭に限らず、何がしかの恩恵を受けてきた証左ではなかろうか。いま、現地に放射されている放射能は、常時漂っているんだ。まったく意味なきことを原発の安全性擁護の苦しい言い訳にしている。まったくお話にならない。解説するなら、まず現地に飛べ!テレビ局はヘリを持っているだろう?いったい何人が現場に行くやら?政府官僚たちも防御服を着ながらしたり顔で会議の模様を報道させるな!君たちこそ現場に行きなさい!前にも書いたが、東京電力の偉いさん方こそ、現場からの中継で報告なさい。それが責任というものではないかろうか?
 東京電力会社というのに、なんで福島県という過疎の海辺に原発を造る?地域のゴロツキ議員と、自民党時代の属議員の馴れ合い、利権がらみの結果だ。石原慎太郎、君は天罰などと言うまえに、東京に公営カジノの誘致に関心があるようだが、それよりも、原発推進派なんだから、東京湾に造ればよい。そういう提案をするべきだ。都民の賛意を得られるか?次の都知事当選の行方もあぶないな。同じ公営カジノ誘致のために大勢の付き添いを連れて海外視察で大枚の税金を使い、偉そうなことを言っている大阪府知事の橋下さん、関電なのに何で同じように過疎の福井県に原発がある?同じ理由なんだ。君の、強気の独裁的なやり方が、大阪府民の現実のやるせなさへの憂さ晴らしにはちょうどいいのかもしれないが、原発は大阪府内の海辺に造ればいい。府民がどういうかだけれど。神戸は、阪神・淡路大震災から立ち直った感があるが、それにしても、住民の反対を押し切って、神戸空港を無理やり造ったではないか。赤字だろう?神戸の海は埋め立てで神戸空港を造る以前に既に台無しだ。いっそのこと、また埋め立てて、神戸に同じ種の原発を造ってもいいではないか。僕の住んでいる京都も、チェルノブイリ型の原発を御所の有り余っている土地にでもぶったてればいい。そういう提案をしてごらん、日本中が原発について、初めて真剣に考えるから。利権がらみの、それも一部の人間しか潤わないのに、過疎の地方にアブナイ原発を押し付けてそれで済み、としていた時代は終わった、と考えるべきときだ。原子力推進委員会という、自民党時代から、たっぷりと税金が注がれてきた団体に関わってきた、学者たちは公私に渡って利益を得ているはずだ。日本人が、不公平な政治・経済のあり方であっても、ただ便利性だけを好み、その一つの結果としての原発の反対者にはなれないと決め込んでいる利権屋みたいな政治家や、彼らの提灯持ちのエセ学者は去れ!
 劣化ウランの処理方法も確立していない。それを未来の世代に無責任に残していくのか?原子力という強烈なエネルギーと切り離せない負の要素は、現在も僕たちの生活を脅かしている。今回のような隠蔽し切れない事態があれば、仕方なしに原子力推進委員会関連の連中が表舞台に出て、原子力の擁護に必死だが、もうすでに、核を持っている国々がどれだけ海上で、あるいは、地下で、核爆発の実験を繰り返してきたことだろう。すでにそのツケは、僕たち庶民が背負っている。情報が入って来ないだけで、チェルノブイリなどは、まだ廃墟だろう。ガン患者で溢れ返っていると聞く。中国からの黄砂の影響のことが今頃は話題になるが、それなら、チェルノブイリの放射能が日本に影響を及ぼさないはずがないし、いまや、中国からの農産物などをどんどん輸入しているが、中国の核開発における地下実験の影響を農産物が受けていないと考える方が、どうかしている。アメリカやフランスが何度も何度も繰り返し行った太平洋上の核実験の影響が魚に影響を与えてないはずがない。それを僕たちは食っている。日本でガン死が一番になったのは、果たしてその他の疾患の治療が向上したからなのだろうか?僕たちはヒシヒシと押し寄せている放射能という前世紀からの怪物が撒き散らしたあとに生きていること、そういう中でも目先の金ほしさに人を人とも思わぬ人間たちがいるということ、忘れないでおきたいね。
 今回の地震・大津波の犠牲者のみなさんや、被害者のみなさんへの深い同情の想いを、単なる不幸な自然災害の結果への想いなどと錯誤しないこと。これが僕は大切だと思うのだが、みなさんはどうだろうか?ここに書き綴ったのは、僕個人の妄想に過ぎる観想なのだろうか?ご批判を覚悟で書き遺す。

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