ヤスの雑草日記(ヤスの創る癒しの場)

私の人生の総括集です。みなさんと共有出来ることがあれば幸いです。

○まるでシュルレアリズムの自動記述みたいに蘇ってくる過去って、なんなんだ?

2011-03-23 18:09:27 | Weblog
○まるでシュルレアリズムの自動記述みたいに蘇ってくる過去って、なんなんだ?
 人の成育歴なんて、その中に不幸の芽を探そうとすれば、その人の数だけ在るものだろうから、僕がこれまで自分史のように書き綴ってきたものの内実なんて、単なるひとつの呟きだろう、っていう程度に読んでくださればよい代物だ。少なくとも僕には、そういう認識はあるので、つまらねえ、と、せせら笑って読み飛ばして頂いていっこうに差し支えのないことばかりである。そういう自覚の中で、時折自分を苦しめることが繰り返し思い浮かんでくることがある。自己の存在に対する確信など勿論失せてしまい、生きる意欲を著しく喪失させる事柄だ。なかなか突き抜けることが出来ずにいる自分が情けなくもある。
 最大の苦渋。父母の不仲というか、勝手気ままな生活のありようの中で、幼いながらも自分の存在の意味を確かめるために、血縁の人々の中にある種の救いを求めていた。両祖父母が存命中は彼らが文字通り可愛がってくれたので、幼い心の傷が癒えるのも早かった。しかし、たぶん、彼らよりももっと大切で重要な僕の逃げ場でもあり、救いの対象であったのは、父の妹夫婦の存在。この叔母は幼い頃からいつも怒らせると手ひどい暴力を僕に振るう父から守ってくれた。母親のヒステリーからも守ってくれた。決して豊かではない叔母夫婦の家に逃げ込むことで、そして叔母の手料理を喰らうことで、僕は何とか両親と繋がっているような少年だった。しかし、これがそもそも大きな思い違いであったことにはっきりと気づいたのは、僕がそれまでの教師という仕事を辞めることになった、47歳にもなってのことだ。勿論薄々違和感は感じてもいたのに、敢えて深く考えることを避けていたのだ、と思う。今にして思えば、父が58歳にて肝臓がんのために死去したときから、叔母の態度は極端に変わった。これまでと同じ素振りをしていても、言葉にトゲが混じるようになった。子ども心なりに父と叔母との兄妹仲が異常によかったことは感じていた。僕には分かる。叔母は、父を愛するための道具として、その表現手段として、僕を愛したのだ、と思う。父の存在がなければ、僕という人間は、彼女に自分の子ども以上に愛されることなどあり得なかったと思う。余りにも長きに渡る錯誤が、叔母の、そして叔母のいいなりの叔父の言動の豹変ぶりの意味の理解を阻み、頼りどころを失った絶望感と、自分という人間は、自分一個の存在では、他者に(最も近しい近親者にさえ見放されるのだから)愛されることのない人間だ、ということをつくづく思い知った。僕がいっとき、深いうつ病に陥ったのは、教師という身分を失ったことが直接の原因ではない。それは、叔母という、安心立命して心を委ねる場を喪失したからだ。僕は血縁に対する人並み以上の思い入れをする人間になってしまっていたから、これまで付き合いが途絶えながらも関係性が続いていると思い込んでいた、従兄弟たちと幼い頃に仲がよかったように言葉を交わそうと試みた。しかし全て裏切られた。焦りは何も生み出しはしない。そういう典型例のような出来事だ。
 従属的な苦渋。事業に失敗した父の借金は、今の金銭的な価値に換算したら、たぶん、数億に達していたと思う。母の実家まで抵当に入れた。母は年老いてから(と思い込んでいたが、あの頃はまだ35歳に過ぎなかった)水商売で手っ取り早く金を稼ごうとした。たとえヒステリーでも清楚な感じの母が、見る間に、えげつなく全ての領域に渡って、センスを落としていくのを目の当たりにして、嫌な予感がしていたら、父は母の、金、金、金という価値観の変容に耐え切れず、若いオナゴと駆け落ちした。母は彼らをつけねらい、出刃包丁を体の真正面に構えて父に体ごとぶつかっていった。殺すつもりだったのだ。心臓目掛けた切っ先が逸れて左肺深くに突き刺さった。瀕死の重体。生き残ったが、数年後に肺結核、強い薬の影響で(少なくとも遠因で)、肝臓にガン。ガンの全身への転移にて58歳で死す。母と何度も関係性の修復を試みた。が、彼女には、父の死が、自分の殺人未遂の影響によるかも知れないという想像力がまったく欠如していた。父の死は、彼女の裡では、天罰が下ったというようなアホウな解釈に摩り替わってしまっていた。彼女に、何がしかの気づきが訪れることはなかった。絶縁した。
 僕には、血縁の絆とは、単なる空疎なエセらごとにしか思えなくなった。たぶん、僕の生のはじまりから、独りぼっちで、世界に投げ出された存在なのだろう、という考えが、自動記述的に頭の中に上書きされていく。どんなに親密な関係性を構築しても、いつかは砂の城のように虚しく、跡形もなく、流れさっていくような気分にしばしば陥る。発作のように。昨夜も同じ発作的孤独感に苛まれた。現実に僕の生は、人生という舞台の最終番に差し掛かっている。人は独りでこの世界から去っていく、という概念がこれほど深く血肉化してしまった自分のこれまでの生に対して、良い評価など微塵も下せない。ここまで来ると、生にリアリティがあるとも思えない。むしろ、それは、僕にとって、とてもシュールな存在なのだ。

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