41.山沢損
損は損なう、減らすの意味。対の益と共に考察するのが手っ取り早いです。下を減らして、上を益するのが損。上を減らして、下を益するのが益。基準となる卦は各々、損は泰、益は否。泰の九三と上六、同様に否の九四と初六を交易させる卦象です。損は下位の利を減らし、それを上位にもたらすことなので、当然、タイミングを間違えば反感を買います。政府の税収のようなものです。損の時は話の内容が抽象的になって、うやむやのまま損をする傾向がありますから、目的や意志を持っていないと、ただの捨て金(死に金)になってしまいかねません。何のために、サービスや奉仕をして相手に尽くす(利を献上する)のかを理解しておく必要があります。
裏卦は沢山咸。咸は直感的に物事の雰囲気や状態などを感じ取るという意味の卦です。相手の気持ちに敏感に反応するとか、外的な刺激に心が動くという状態。損との対比で読むならば、困っている人や助けを求めている人がいたら、理屈で考える前に手を差し伸べたり、優しい言葉をかけて安心させようとするでしょう。一方、これを損の視点で反面教師としてみれば、その時だけの刹那的な援助ではなく、長期的展望で物事を判断しろという示唆と取れます。相手に与えることへの影響や効果を考えることが大切です。気まぐれ的な奉仕や支援が仇となって、かえって相手をダメにしてしまうケースもあります。無思慮・無分別の犠牲は自他共に報われないことが少なくないのです。
確かに、見返りを求めない無償のボランティアは賞賛に値する行為ですが、それを続けることによって施した本人が貧しさを感じたり、辛い思いを抱くようでは本末転倒です。募金や献金、はたまた仏教における布施など形は様々ですが、それらすることで自分の生活に響くと不安になるのならしないほうが良いはずです。それよりは、より建設的な方向に使って自分を育み、もっと豊かになってから継続的な支援を行ったほうが心は晴れ晴れするでしょう。これは店や企業でのキャンペーンについても同じで、採算を度外視したイベントを行う時には、そのタイミングが非常に重要です。お客に喜ばれるからといって闇雲に出血大サービスをしたり、人気や評判を取ろうと安っぽいことをし続ければ、そのシワ寄せは従業員やその家族にまで及びかねません。時と場合を考えることが必要です。
シンメトリーというか類似関係は風天小畜。小畜も損も、上下関係や立場の違い(優劣・ギャップ)が意味の基底にある卦です。小畜では内卦乾の進行を外卦巽が向かい風として押さえ留め、損では施政を行なう側と一般市民という対比があります。しかし、どちらもマイナス要因ばかりではありません。今、力を溜めたり周りに恩沢をもたらすことで、将来の展望とか、因果応報のような精神的および心理的な働きに理解を示しやすくなるという面もあります。
また、一つ前の解&比で築いてきた親密な関係性を犠牲にする・捨てる・手放すことで、別の価値観を受け容れようともします。ただし、それも自分の最低限の安全や立場が保障されている間の話です。限度を超えた奉仕や泣き寝入り、理由も分からずに犠牲にされることが続けば心身はバランスを崩してしまいます。自分から喜んで相手を益する意志がある時のみ、山沢損の意義が有効に働くことを肝に銘じておきましょう。
損と補完関係になる卦は无妄です。外卦乾の本質的な意志が、内卦震の動機や行動と直結している状態。人為的な作為を施さないように警告している卦。日常的な事で言えば、情報を編集せずにストレートに送受信する必要性。知られてはマズイ部分をカットしたり捻じ曲げたりせずに、真実をありのままを伝えるというスタイル。合成化学肥料を使わない有機農業や自然の産物を有効利用するなど。ただ、こうした无妄的手法が最良というわけではないので注意が必要です。その時々の条件によって、人工的な働きかけが必要になることがありますし、逆に人の手を加えなくては生態系が保全されないという場合もあるでしょう。この辺の理論と実践は臨機応変に捉えるべきです。特定の考え方や方法論を絶対視すると、必ずどこかで見落としや弊害が生じてきます。
ともかく、この无妄の純真さによって損が補完されることで、人や財の流れが循環するようになります。邪な気持ちのない純粋な働きかけが、いつしか巡り巡って自分の元に返ってくる。「いいことをすれば、いいことが起き、悪いことをすれば、悪いことが起きる」という単純明快な法則性への理解が進展する。でも現実として、これを認識するには随分と複雑な世の中になってしまったかもしれません。昔は「徳」という概念で語られた内容ですが、偽善や打算という利己性に心を奪われがちな僕ら現代人には実感しづらいものになってきています。「良いことをしたのに、結局は損しただけ」と嘆いたり、「アイツは不条理なことばかりしているのに、のうのうと贅沢に生きている」と羨んだり…。しかし、こうした心理自体が循環の流れを阻んだり、歪めてしまっていることになかなか気づかなくなっているように思えます。
<爻意は後日、追加更新します。>
損は損なう、減らすの意味。対の益と共に考察するのが手っ取り早いです。下を減らして、上を益するのが損。上を減らして、下を益するのが益。基準となる卦は各々、損は泰、益は否。泰の九三と上六、同様に否の九四と初六を交易させる卦象です。損は下位の利を減らし、それを上位にもたらすことなので、当然、タイミングを間違えば反感を買います。政府の税収のようなものです。損の時は話の内容が抽象的になって、うやむやのまま損をする傾向がありますから、目的や意志を持っていないと、ただの捨て金(死に金)になってしまいかねません。何のために、サービスや奉仕をして相手に尽くす(利を献上する)のかを理解しておく必要があります。
裏卦は沢山咸。咸は直感的に物事の雰囲気や状態などを感じ取るという意味の卦です。相手の気持ちに敏感に反応するとか、外的な刺激に心が動くという状態。損との対比で読むならば、困っている人や助けを求めている人がいたら、理屈で考える前に手を差し伸べたり、優しい言葉をかけて安心させようとするでしょう。一方、これを損の視点で反面教師としてみれば、その時だけの刹那的な援助ではなく、長期的展望で物事を判断しろという示唆と取れます。相手に与えることへの影響や効果を考えることが大切です。気まぐれ的な奉仕や支援が仇となって、かえって相手をダメにしてしまうケースもあります。無思慮・無分別の犠牲は自他共に報われないことが少なくないのです。
確かに、見返りを求めない無償のボランティアは賞賛に値する行為ですが、それを続けることによって施した本人が貧しさを感じたり、辛い思いを抱くようでは本末転倒です。募金や献金、はたまた仏教における布施など形は様々ですが、それらすることで自分の生活に響くと不安になるのならしないほうが良いはずです。それよりは、より建設的な方向に使って自分を育み、もっと豊かになってから継続的な支援を行ったほうが心は晴れ晴れするでしょう。これは店や企業でのキャンペーンについても同じで、採算を度外視したイベントを行う時には、そのタイミングが非常に重要です。お客に喜ばれるからといって闇雲に出血大サービスをしたり、人気や評判を取ろうと安っぽいことをし続ければ、そのシワ寄せは従業員やその家族にまで及びかねません。時と場合を考えることが必要です。
シンメトリーというか類似関係は風天小畜。小畜も損も、上下関係や立場の違い(優劣・ギャップ)が意味の基底にある卦です。小畜では内卦乾の進行を外卦巽が向かい風として押さえ留め、損では施政を行なう側と一般市民という対比があります。しかし、どちらもマイナス要因ばかりではありません。今、力を溜めたり周りに恩沢をもたらすことで、将来の展望とか、因果応報のような精神的および心理的な働きに理解を示しやすくなるという面もあります。
また、一つ前の解&比で築いてきた親密な関係性を犠牲にする・捨てる・手放すことで、別の価値観を受け容れようともします。ただし、それも自分の最低限の安全や立場が保障されている間の話です。限度を超えた奉仕や泣き寝入り、理由も分からずに犠牲にされることが続けば心身はバランスを崩してしまいます。自分から喜んで相手を益する意志がある時のみ、山沢損の意義が有効に働くことを肝に銘じておきましょう。
損と補完関係になる卦は无妄です。外卦乾の本質的な意志が、内卦震の動機や行動と直結している状態。人為的な作為を施さないように警告している卦。日常的な事で言えば、情報を編集せずにストレートに送受信する必要性。知られてはマズイ部分をカットしたり捻じ曲げたりせずに、真実をありのままを伝えるというスタイル。合成化学肥料を使わない有機農業や自然の産物を有効利用するなど。ただ、こうした无妄的手法が最良というわけではないので注意が必要です。その時々の条件によって、人工的な働きかけが必要になることがありますし、逆に人の手を加えなくては生態系が保全されないという場合もあるでしょう。この辺の理論と実践は臨機応変に捉えるべきです。特定の考え方や方法論を絶対視すると、必ずどこかで見落としや弊害が生じてきます。
ともかく、この无妄の純真さによって損が補完されることで、人や財の流れが循環するようになります。邪な気持ちのない純粋な働きかけが、いつしか巡り巡って自分の元に返ってくる。「いいことをすれば、いいことが起き、悪いことをすれば、悪いことが起きる」という単純明快な法則性への理解が進展する。でも現実として、これを認識するには随分と複雑な世の中になってしまったかもしれません。昔は「徳」という概念で語られた内容ですが、偽善や打算という利己性に心を奪われがちな僕ら現代人には実感しづらいものになってきています。「良いことをしたのに、結局は損しただけ」と嘆いたり、「アイツは不条理なことばかりしているのに、のうのうと贅沢に生きている」と羨んだり…。しかし、こうした心理自体が循環の流れを阻んだり、歪めてしまっていることになかなか気づかなくなっているように思えます。
<爻意は後日、追加更新します。>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます