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18.山風蠱

2009-08-21 20:02:37 | 易の解釈
18.山風蠱

蠱とは、皿の上の虫の意味。やってみるとわかりますが、食べ残しを庭などに放置しておくと、ナメクジやら見たことのないような虫がどこからともなく湧いて群がっています。一瞬ゾッとする光景です。上卦艮(山)は静止、下卦巽(風)は風化。留め置くと風化して腐ってしまう象意。老朽化。長期間にわたる使用によって性能が劣化したり故障したり、酷ければ事故や災害などの危険を招いたりします。豫で出した例で言えば、使わないリモコンに電池を入れっぱなしにした結果、液漏れしてしまった状態でしょうか。先の随の段階で全体を俯瞰してチェックした際に、きちんとメンテナンスしたり、修理、買い替えをしておけば、こうした事態は未然に防ぐことができたかもしれません。

また、時代に合わなくなって用済みとされたり、「税金の無駄遣いだから止めるか、改めるかしろ!」等と抗議を受けて改善を迫られるような状況です。先の随で豫の流れに身を任せっきりになって、自分自身の内面の動機とか周りの変化に向き合わなくなった結果、現実とのギャップが発生してしまったのです。既に虫が湧くほど腐ってしまった状態なので、このままズルズルと時間稼ぎをすることなどできません。早急な処置が必要です。現状よりも悪化させないために思い切った対応策を講じなくてはならないケースが多いです。

基本的に内部に関する問題が蠱のテーマなので、自身の生活、体調(精神状態)、身内、同僚などのスタッフを改めて見直すことが求められます。随が他者など(兌)に従って付いて行ったのに対し、蠱は内部(社内風土など)の乱れ、特に目上とか上層に対する恨みつらみ、不平不満、イラ立ちが現象化しやすい時です。思わぬショックを被りがちで、それが元で心理的に不安定になったりします。

そして状況的に、そうした問題点の原因を自分ではなく周囲の人間に探してしまうのですが、それはできれば控えた方が良いかもしれません。まずは自分自身の内側に混乱(トラブル)の元になるような鬱積した感情がないか振り返ってみましょう。もし内省によって何らかの解決へのヒントをつかむことができたら、まずはそれを実行してみることです。思いつめていた気持ちを思い切って相手に吐き出して(伝えて)みるとか、問題への理解度が進んだら、それを仲間に報告してみるとか。とにかく、いきなり外部に責任を追及しない方がいいだろうと思います。

蠱の時期は、自分の身の上について、また心理的な悩みとか葛藤について考えざるを得ない場合が多いです。自分の見たくなかった面、嫌な性格、受け容れたくない考えとか方針、認めたくない悪事などに焦点化されやすく、そのことで苦悩する傾向があります。自分自身の影との対話。実際には、この陰影(弱点)を克服することで今までにない強さを獲得できるのですが、それには相当の辛苦を伴うと覚悟しておいた方がいいです。内面のクリーンアップは意外に大変です。でも、これを乗り越えることができれば、地沢臨としての新たな希望がもたらされます。

これは対称関係の鼎も同じで、革で討論や検分してきた事柄に対して、現実的な施策を要求されています。土台やシステムが不安定になっているところを、改めて立て直す作業。旧態依然とした内容に別の視点を導入して、新規の駆動力にすることで行き詰まりを打開する等。そうすることで新しい関係の構築を画策しているのです。蠱も鼎も屯・晋から16番目の卦。これらは30を一つの節目・区切りとしているので、15と16の間は陰陽の転換点のような趣があります。十五夜お月様としての洋々たる満月を過ぎて「かげり」が出てきた状態です。この陰影は今までの自分の底辺を覆すような働きをするので、当初は足がぐらついた椅子のように不安定になってしまうのですが、実はこれが一つのサインになっていることに後に気がつきます。病気が健康問題へのシグナルであるのと同様です。

この蠱や鼎で改善や変更を余儀なくされた物事(人や状況・環境など)は、それ自体に何かしら問題点があったのです。ただ気づかずにいただけか、わざと無視してきたのか、いずれにせよ見過ごしてきたことを何らかの形をとって代弁してくれた、と考えるとポジティブになれます。そこで指摘されたり教えられたことを無駄にしないようにすれば、補強どころか、かなり怖いものなしになれます。



◆初六

蠱は、ある出来事の発生によって物事が壊乱し、収拾がつかずに動揺している状態を表す卦です。これに対処するには、確たる信念と思い切った行動力が必要ですが、この初六でその大事を任される人物は、まだ若い子供です。それは10歳に満たない少年少女の時もあれば、ティーンエイジャー(13~19歳)だったりします。多くは唐突に、のっぴきならない事態に放り込まれる傾向があり、ほぼ爻辞通り、父(父方)関連の問題が尾を引いて若者に圧し掛かってきます。その他、頭の固い人物への確執や反発、問題の根源となっている上層との不和、都合次第で抑制されたり勝手に担ぎ上げられて利用されるなどの理不尽さに耐えられなくなる、さらには熟成してゆく仇への復讐心といった事例まで様々です。ここでの「父(考)」の役割は象徴的で、一義的ではないことを理解する必要があるでしょう。大概、「父」(上位者)との関係で従うことを強制されると、それに対する反抗心が湧き上がって葛藤が起こります。他方、この「父」が失墜するか死んでしまうと(自業自得だけでなく、策略に嵌められることも含む)、そこに付随する種々の問題(責任や債務など)が遺された者――特に次代を担う若者に一挙に押し寄せ、苦難の道を行くように働きかけてきます。それでも、負荷が強い分だけ早熟しやすく、最終的には試練を乗り越えて立派に立て直したり、芯の通った頼もしい人格を得ることが多いです。

◇九二

初六では父でしたが、九二では母です。母の残した問題を幹(正)す子供。もちろん、「父」同様に「母」も「子供」も特定の意味に留まりません。相手となる人物・対象が「母」のような存在であれば、その人にとっての母として解釈しますし、「子供」というのも生徒や弟子などであったりします。また初九および六五との関係で、全的な信を置いてきた「父母(親・社会の枠組みなどの象徴)」的存在として、この九二の人に影響を与えてきた場合もあるでしょう。しかし、残念なことに九二が付き従ってきた父・母は社会的にか個人的にか何らかの禍根を残してしまったのです。精神的な親とも言えるような相手との繋がりが断たれ、あるいは自ら断ち切って解放した時、この九二の人の新たな人生が始まります。この人が出直すには、過去に対する多くの反省と思考転換が必要なのですが、なかなか以前に受けた「父・母」の影響から脱却し切れません。そのため九二への警戒が解かれず(陰位陽爻の不当位)、過失を抱えたまま生きざるを得ないこともあります。害意はないと幾ら述べても信用されないかもしれません。また、新しい方法論や考え方を見出して主張したいことが出てきても、事情から強くは打ち出せません。しかし、失敗の教訓を生かすことと自制心を持つこと、そして自分を支えてくれる全てに対する感謝を旨とすれば、これから作り上げていく道の真ん中を歩いていけるはずです。

◇九三

陽位陽爻で正位ですが不中(中位を外れている)、上九とも不応です。唯一、応じ合えるのは六四ですが、六四は傍観的というか受容的というか、荒っぽい事態に陥っても「大丈夫、時が解決するさ」と笑って受け入れてしまいます。呼応できる相手がそんな状態なので、九三はつい剛毅に過ぎてしまいます。ここでは自らの失敗に起因するものを含め、突発的に生じた内外のトラブル(アクシデント)への対処を求められます。事態の深刻さに放置することはできず、窮状を救おうと無理をして状況を悪化させてしまうこともあります。自身の中に潜む破壊衝動が形を成したとも言えなくもないですが、ともかく最悪の事態に陥る可能性が高いので、それ相応の心の準備と共に、できるだけバックアップなどの処置をしておくことが大切です。重い十字架を背負ったようなプレッシャーを感じるかもしれません。しかし、こうした修羅場を潜り抜けた経験が多い人ほど、少々の問題では動揺しない強さを身につけられるものなので決して嫌悪することばかりではありません。本気で苦労することで得られるものも多いはずです。つまらない慣習や馴れ合いの関係には迎合できない性分なので人当たりがキツクなりがちですが、内面では当事者も苦しんでいることを知ると、物の見方に幅が出てきます。

◆六四

陰位陰爻の正位ですが、蠱という大事を行う時にあって頼りなさ過ぎです。比爻の九三が破天荒なタイプなのに対して、いわば六四は「ゆるキャラ」で、やる気がないと揶揄されがちでしょう。主に考えることは二つ。一つは「そのうち何とかなる」という根拠のない楽観視と、もう一つは「どうせやってもムダ」という一度は改めようとしたが徒労に終わった失望感です。あるいは単なる虚無主義か、方法が悪かったか、働きかけが手ぬるかったか…。ただ多くの卦では、三爻でやり過ぎた場合、四爻で反省してクールダウンするものなので、これはむしろ自然な流れとも言えます。強靭な刷新力はなくても、柔らかく状況を受け入れて成り行きに身を任せることができるのは、ある意味で強みです。もし目的に届かず無意味に奔走して疲れてしまったら、外卦艮の静止の徳に従って、下手に動かずに九二・九三の応援なり救援を待つことも手段の一つ。逸る人々にリラックスをもたらすこともあれば、逆に助けられもします。ただ、直近の問題に関心を寄せるよりも、もっとタイムスパンの長い事柄に意識を向けやすく、無気力感を漂わせがちです。それは事態を収束させるべく奮闘している人達をイラつかせる恐れがあるので注意が必要ですが、一方で、固定観念に縛られない緩慢な精神から思いがけないアイデアが出てきたり、小さなこだわりを捨てさせる契機にもなり得るので、決して意味のないことではありません。

◆六五

上卦艮における中位にあって九二と正応ですが、陽位陰爻で力強さはありません。既に過去の出来事を自分の力で変えたり、対処することはできなくなっており、状況的には九二の動静次第でこの六五の展開が決まると言ってもいいほどです。もし六五が本人を表示するならば、本人に深く関わってくる他者(わが子・若者・友達・敵・交際相手など)が鍵になります。六五は頑固だが人の善い年寄りで表されることが多く、九二の人物に対して始めは価値観の違いから反発しながらも、後には認めて託す(九二が六五の意志を受け継ぐ)という傾向が見られます。大概、生活環境や立場、ジェネレーションギャップ、禍根から来る心理的・感情的反応、そして各人の意思や考え方の違いから主張がぶつかり合います。たとえ喧嘩にはならなくても、両者の間に大きな認識のズレを感じてしまいます。そして多くは、六五自身が凝り固まった考えを改めることで、他者を、そして自分自身を許し、因縁の呪縛から解放するのです。これは双方に和解をもたらし、これまでにない良い関係を築き上げるための第一歩になる可能性があるので重要です。蠱という現状を収めるため、人々の将来や夢と一緒に九二に命運を託すわけですが、それが順調にゆけば栄誉ある(というほどではなくても好ましい)結果を得られます。

◇上九

上九は艮の頭の陽爻です。そこから孤高を決め込むという性質が出てきます。問題の渦中にある九三との密なコネクションもなく、あるのは世話人を務める六五との縁くらいです。上九は次の臨に近い位置にあるため、他の爻とは違って気持ちが遊離しがちでしょう。おそらく現実のトラブルに足を突っ込むと、影で理想論や机上論を振り回すだけで大して役に立てず、かえって鬱陶しがられて弾き出されてしまうことが多いのではないでしょうか。結果的に上九は、問題の辺縁に立って自分からは深入りはせずに、蠱における建て直し案を投げかけることになるのだと思います。これは眼前の問題の対処に追われている人間に、今後どうすべきかという指針を与える可能性があり、時には重要な役割を演じることもあるでしょう。次卦の臨は「期待を抱く、抱かせる」という意味の卦ですので、この上九の胸中には「人々を希望のある未来に導きたい」という想いが秘められているのかもしれません。ただし、それには当然ながら公共の利益を考えたものでなくてはならず、自身の功名心とか虚栄心、または限られた人々だけが得をするような方向性の持つものであってはならないので、いかに人々や社会をよく見て、本当に目指す価値のある未来像を示せるかが重要になってきます。この時、自分の中の思い込みや現実味のない空想を一掃する必要が生じるはずですが、クリーンアップするほどに世間から指標を求められるようになるのではないかと思います。




※大意は2009年8月21日に、爻意は2010年6月16日に追加更新。


1 コメント

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勉強になります (sonny)
2013-01-12 01:42:42
非常にわかりやすい解釈で大変参考になります。もっと早く出会いたかったです。わたしの占断のバイブルです。
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