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17.沢雷随

2009-08-21 17:31:11 | 易の解釈
17.沢雷随

豫が九四の求心力によって人々の意思をまとめていった結果、一つのストリーム(潮流)が生まれました。そして随では、その流れゆく先を見つめ、流れに逆らわずに身を任せていこうとするのです。ここから随行とか従うというような意味合いが出てきます。時・状況・人物・指令などに従う。人生の時々刻々でタイミングを計る卦です。豫が春の芽吹きとして地を奮(震)わせたのとは逆に、秋の紅葉(兌)として落日を過ごす時期。高見の見物・様子見を決め込んだり、状況や情勢を客観的に捉えて臨機応変に対処してゆかなければならないことが多いです。スタイル自体はこれまでと変わらなくても、内部編成が行われるか目される時でもあります。現時点でのピークを迎える一方で、新局面へ向かう流れが出てくるという状態。

随の時は自分自身の力はあまり強くないことが多く、必然的に牽引力のある者、その時のポピュラーな風潮に寄りかかってゆく傾向があります。ことわざの「寄らば大樹の陰」ではないですが、特定の人物や商品、はたまた身命を預けられそうな思想・価値観など、何か頼れる存在を求めて、それに付随しようとします。これには相手や対象におもねることのメリットもあるわけですが、「知らないおじさんに声をかけられても、付いて行っちゃダメ!」の禁を破ってしまうようなところもあるので、かなりリスクが高いことも想定すべきです。元々の性格傾向として奉仕とか犠牲精神の強い人以外では、こうした行動はいずれ収束して方向転換することになります。それまでは同じような繰り返しの中に生きるかもしれませんが、その経験をしている間、何度も何度も自分自身と対話することになるでしょう。

錯卦・綜卦(陰陽および視点の反転)は山風蠱。先の泰・否のように、互いの性質が正反対となる関係です。随は周囲の動き・流れを見ながら身の処し方を考えるのに対し、蠱は自らの内面の衝動とか葛藤、対抗するものへの反発心などによって否応なく事態が進んでいく卦です。自分の私情とか都合、体調次第でスケジュールが乱れることもしばしばでしょう。また、属する環境の内部腐敗が目立つようになり、関係者は苛立ちを隠せなくなります。このように、内面とか内部の改革を欲するのが蠱の意義です。これに対し随は、外部の進行に反することなく上手く状況に組しようとします。八方美人的とも言えなくもないですが、関わる人達の長所に取り入ることができるので、内心ではメリットを求める気持ちが強いかもしれません。反面、人間関係では別れや裏切りといった乱れが生じやすくなるので、きちんと説明するなどして周囲の反感を買わないように配慮したほうが良い時もあります。少なくとも、衝動的に事を進めて相手を出し抜くようなことはしないようにしましょう。

シンメトリー関係になる対称卦(注:僕が勝手に名づけた)は沢火革。随も革も今の状況に対するメリットとデメリットを考慮している卦です。良い所と悪い所を客観視または鳥瞰することで、全体の流れを把握し、どこにどう手を入れるべきかを見定めている状態です。この後、蠱と鼎にて具体的な処置や対策に追われることになりますが、今はまず状況を的確につかむことがポイントになっています。共に屯・晋から15番目で、現状での峠を越えて、何か別の地平線(方向性・視点など)を見据えている段階だからです。外的な需要を満たすために、転居・転職・転勤(出稼ぎ)するケースも少なくありません。少なくとも今の生活を何かしらを変えなくてはやっていけないということを予感し、それに従った行動をとるべく心が動いている時です。

内卦震の影響で、上卦兌を見たら飛びついていく傾向をもっていますから、この内面の働きを自覚していないと、いつまでも何度でも同じ轍を踏んでしまうかもしれません。随の時は、自分の意に添うことを見つけたらすぐ行動できるのは長所なのですが、それは後々のことを考えない短慮さでもあります。もし状況が許せば、一度、深呼吸して冷静さを取り戻すことも大切です。そうして落ち着いた後でもなお、目的の事柄を追求していきたいと思うのならば、それは「その道を行け」という天啓かもしれません。もっとも天啓だとしても、いつも上手くいくわけでもないし、すぐに天職だと思い至るわけではないでしょう。おそらくほとんどはそれとは逆で、辛く厳しい道のりとなるはずです。しかし、それでも進みたいという気持ちが前に出ている限りは、どんな経験も有意義なものに変わります。

余談ですが、もしかしたら随卦は四柱推命での従格(外格)に近いかもしれません。対する蠱も内格的なバランスを図る内容のように思えます。どういう生き方がその人にとって適しているのかはホロスコープなり命式(命盤)を見なければ正確なことは言えませんが、20代中盤から30代になる頃には、自分の人生の傾向というものを大まかに把握できてくるものなので、ある程度は推測できると思います。ただ、10代に関しては、特殊な道を早々から歩いている人を除いて、一般的にはまだ難しいかもしれません。ベースとなる重要な体験とか社会的な経験が不足しているからです。しかし、それも追々補填され、年を取るに従って感覚的に分かってくるだろうと思います。


◇初九

豫から随への間には鼎という橋が架けられています。鼎とは古代の料理の鍋や器で、多彩な食材やスパイスが混ぜ合わされる様子を示しています。もっともこれは象徴的な意味合いなので、現実的な衣食住に関わることばかりでなく、仕事場の転属や対人面での新展開だったりします。豫の上六で時の要求に否応なく駆り出された人は、この随に入ると適合を余儀なくされ、とにかくまず第一に生活を安定させようとします。状況的に自分の立脚点は他の人に比べて劣っているか、経済的にも環境的にも不平不足を感じる傾向があります。現実の貧しさに対処するために都会へ出稼ぎに行く、年上の兄や姉がまだ幼い弟や妹の生活費を工面するためにアルバイトをして奮闘する、個人的にしたいことがあっても必要な費用がないため単純に稼げる仕事を求める、といったことです。結果的に、より収入の良い仕事への転職を考えたり、専業主婦から共働きに変わるケースが見られます。単に自分のための小遣い稼ぎならば別にする必要のないことですが、生活が掛かっている切実な状況ではそうもいかないわけです。大概、慣れない環境で、しかも単独で頑張っていかなくてはならないために大変ですが、生活に余裕ができてくれば気持ちも楽になって周りとも上手くやっていけるようになります。

◆六二

随卦は、内卦震が動いて外卦兌のメリットを求めるという内容です。主体性という誰も代わりが務まらないものがあってこその随卦。そこには震(動く側)としての本人の意向がベースにあるので、もし上位目線(九五の親心)から線路を敷設され、それを押し付けられるようなことがあると板挟みにあって苦しみます。この六二では、兌としての利=メリットを得ようと動く前に、予め将来に対する展望や予測を立てるため、あるいは単純に保身から、今後の筋道を作っておこうとする性質があります。探りを入れて状況を把握しようとしたり、追跡して何が起こるのかを見たい気持ちが起きやすいですが、かなりの危険を伴います。初九と六二の関係は随のミニチュア版とも言え、功利的・即物的な視点が主体になっています。一方、六二は九五と正応なので立場的には九五に随うように求められるでしょう。本心と現実(表面的に欲することや指示・要求されること)とが食い違っている場合、選択には慎重な判断が必要です。近視眼的な考えで甘い話に乗ったり危ない橋を渡るよりは、ただ現状維持するか、潔く身を退いたほうがいい時もあります。それはリスクを避けるためだったり、最も大切なものを尊重するためだったりするでしょうが、とにかく安易な行動に出ることだけは控えるべきです。

◆六三

初九に牽かれながらも九五との関係で板挟みにながちな六二の関係とは違い、六三は応じる相手が上におらず、また初九と六二の間に割って入るのも難しいため、必然的に気持ちは九四へと向かいます。ところが、その九四もこの六三も共に不中不正の身なので、心底から意気投合することは期待できません。それぞれに主張があるか相手に求めるものがあって、表面的には仲良くしていても肝心なところでは折り合えない関係になりやすいです。というのは、それぞれ不当位の身として自分自身を守りたい気持ちがあるので、互いに客観的に相手を見て深みに引き込まれないように気を張っているからです。どちらかが大切な話だと考えて理解してもらおうと一生懸命に説明しても、上手くスルーされて別の話に強引に持って行かれることもあるでしょう。互いのエゴが関与する中では、利害が一致するとか一時的に相手と協同する必要があることならばそれなりに上手くいきますが、長期的関係や、どちらか片方の主張だけを通そうとする場合には思うようにはいかないのです。ただこれを逆手に取れば、派遣社員やアルバイトを募集して短期の仕事を一気に片付ける、というような用い方は可能だと思います。たとえ一期一会的な関係に終始するとしても、その善し悪しは見方次第です。

◇九四

内卦震の動機、そしてその結果としての外卦兌(メリット、アドバンテージ)を示す領域に来ましたが、九四は不中不正なため、身に余る待遇や恩恵を得ると何らかの問題が生じる恐れがあります。六三の中で書いたように、九四は六三と見かけ上の協力関係になりやすいのですが、それぞれの立場から共感しあえない面も含まれています。時に美味しい果実だけを掠め取ろうとしたり、敵情視察のような内偵関係が明らかになることも。後で事情が分かってお咎めなしになる場合もありますが、縁や絆の深さ、そして何より誠実さが鍵になることは確実です。ともかく、野望や嫉妬といった欲深さに起因する要らぬトラブルを回避するには、自分自身に必要な分を得たら、余剰は社会や他者に還元することを心がけると良いと思います。実際に助けを求めている人や本当に困っている人に手を差し伸べられる気持ちのゆとりを持つことが、ひいては九四の人生をも救うことになります。経済的に余裕があるのなら金銭的な支援を、専門技術などの能力で貢献できるのならばその道で奉仕するのも良いでしょう。ただし、それは生活の基盤を崩さない範囲で、という条件付です。背伸び・高望み・無茶…平たく言えば進化への目論見が仇となって隙を生み出し、現在の立脚点を危うくしやすいのです。

◇九五

陽位陽爻で中位を得、下には六二の正応がいます。ただ、六二には別に心を寄せる初九がいるため、九五が意図して伝えようとすることは六二には押し付けがましく思われがちで、理解されなかったり敬遠されてしまったりします。これは親から子、先生から生徒、先輩から後輩といった上下関係で特に起こりやすいことですが、先人達が培ってきた伝統や経験を次の世代に伝えようとする時に、口で説明するだけでは分かってもらえず、じれったい気持ちになるかもしれません。老婆心から良かれと思ってしたことも「余計なお世話」と一蹴されることもあるでしょう。世襲制のような流れを受け継ぐとか、上の意向で目標を決められることに対して同意できない人は、個人としての幸せを殊更に追求する生き方をしようとするでしょう。一方、自ら納得して、あるいは事情を察して渋々でも従わざるを得ない人は、その役割を果たせるようなペルソナをまとうことで要求に応じようとします。これは内面の欲求は別に持ちながら、社会における体裁も守るという巧みな対処法です。意識的にスイッチすることで本心と外面とを切り離せますが、完全に別個にすることは難しく、ストレスを抱えて悩む場合もあるでしょう。易に「孚」(誠)の字が出てくる時は考えさせられることが多いです。

◆上六

随の最後にあって、次の蠱の前兆を感じている上六は、すでに小規模な潮流が山場を超えようとしていることに気が付きます。それは家長の死による世代交代であったり、上役の引退や辞任に伴う人事異動だったりします。こうした時に先任の慣習や人的な繋がりを維持するか、あるいは蠱の予感に従って新たに編成していくかで状況は異なってきます。しかし、どちらにしても突発的な事態に対する頑迷とも言えるような処置が求められる傾向があるようです。重く圧し掛かる問題と責任とを肩に乗せて働き詰めになったり、壮健だった者が急病にかかって床に伏し、その後継者を確保するために奔走したり…。例えば、人徳や信頼または相当に影響力のある人が亡くなった場合、重厚で壮大な葬式が催されますが、それが「西山に亨す」というシチュエーションを表すこともあります。そうして蠱の初六に出てくるような「父」を失ったり、跡継ぎとして後任を託されたりするわけです。ただし、そのやり方は先例と同じとは限りません。もはや時代に合わなくなっているのならば変えていこうとしますし、変動する環境や制約だけでなく「子」自身の考え方や気持ちも関係してきます。随の上六の段階では「父」の状態に焦点が当たっていますが、徐々に「子」の視点へと遷移していきます。


※大意は2009年8月21日に、爻意は2010年6月13日に追加更新。


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