55.雷火豊
豊は盛大さを意味する語。Max(パワー全開)状態を示しています。個人や集団で盛り上がって最高潮を迎える時ですが、「祭りの後の静けさ」のように栄枯盛衰の憂いも内蔵しています。自分の力やグループの力を最大限に活用することに躍起になりやすく、そのために心身のバランスが極端になりがちです。活動中は神経が昂進しているため意に介しませんが、一旦めどが立つと途端に調子を崩してしまう傾向が見られます。自分でも分かっていながらオーバーワークしたり、機械を酷使してオーバーヒートさせてしまうことがあるので注意が必要です。
上卦震は外部からの強い刺激に触発されることを示し、内卦の離はそうした状況下で自分を見失わないようにする必要性を示しています。この内的な明察がなければ、震の勢いに飲み込まれて気がついたときには凋落…ということになってしまうでしょう。そうならないためにも、“かなり無理しているなぁ”と感じてきたら、すかさず休憩や休暇を入れるなどして調整を図ることが大切です。また、権限や勢いがあると人は傲慢になったり力押しで事を進めるきらいがあります。財力に物を言わせたり、権威を笠に着て威張っていると、周囲の反発を招くのは必至ですし、そうした後ろ盾がなくなった時に自らの無力さに苛まれます。普段から本当の実力を備えることを意識しましょう。
綜卦は火山旅。旅行の卦ですが、現代のようなお気楽な旅行とは趣が異なります。かつては移動手段といえば主に徒歩、良くて馬車でした。一般人がそうそう遠出できるわけもなく、今みたいに温泉旅行や名所観光を気軽に楽しむことを想定した卦ではありません。むしろ、旅は豊を過ぎて落ちぶれた人、または疲れてしまった人の精神状態を表わしています。親しい人が離れてしまって孤独だったり、心身を癒すために静養を必要としている状態が多いでしょう。また、旅には宿場やお供がいるものですが、そうしたものとの関係を説いた卦でもあります。この時、傷心しているか、休息を求めているか、誰かへのメッセージを携えているか分かりませんが、いずれにせよ旅の時は疲弊した心を癒すことが先決です。
裏卦は風水渙。渙は散らす。外卦巽の風が内卦坎の水を吹き散らしていく様を表象したものです。水面に風が吹けば波が立ち、流動的になります。人間関係や仕事、環境などに変化が起こりやすい時です。風水渙は水沢節とセットなので、節度に対する放縦(気ままさ)を意味しているとも取れます。これは一面では空気を軽くするような楽観的な傾向を生みますが、半面、締りのなさでもあるので物忘れするなど抜けた面が出てきやすいでしょう。放っておくと散漫になってしまうのが渙で、そうならないように管理して防ぐのが節。また、豊では中央集権化、渙では分散と方向性は逆ですが、力をどう扱うかという点で共通しています。そしてこの反動として、旅(個別化)や節(規制)が制御機構として働いています。
類似関係は山地剥。剥がす・剥がされる、崩す・崩されるという意味で、「足元注意」の標識を思わせる卦です。砂場で山を作って棒を立て、順番に土を削っていくゲームのような感じです。人間の体で言えば、足腰が弱くなると途端に衰弱が激しくなることと同じです。精神は気張っているのに身体がついてこなかったり、頭でっかちになって要領を得ない対応をする傾向が出てきます。また、一陽が五陰に追い立てられるように、事情があってその場に居られなくなるケースも多いです。豊も剥もそれぞれの卦義における到達点を示すため、その先は下り坂です。限度を超えれば、玉座を追われてしまいます。
豊と剥は屯&晋から21番目で3巡目の3。3は能動性の数字で、2の1との枝分かれとは違って、第三者の視点としての分離を意味しています。1と2という結ばれつつも相対する概念から離れて、別角度からそれらが何であるかを明示しようとするわけです。1という動機や要求があり、失敗を避けるために2で可能性を枝分かれさせて(避難路を作り)、3で1と2の全体を概観しながらアプローチする。21の場合、3巡目の3なので能動→受動→能動と外向きです。あらゆる可能性(20)に満ち溢れた中で、一つの明示的な目的(1)に向かって邁進する姿勢を表わす数字だと思います。それが豊や剥の意味の基調となっています。
補完関係は地天泰、その先のヴィジョンは天地否。豊が人や物事の盛りを示すのならば、泰は平穏無事を求める意志を示しています。これは互いの欠乏を補う関係なので、豊としての盛り上がりの果ての虚無感は、泰の安定化によって回復し、泰で行き過ぎた平和ボケは、豊としてのイベントや行事(もしものための予行演習など)といった力の発露でバランスを得ます。この時、内外の情勢に動揺して浮き沈みしてしまう癖を矯正するために、否の教訓である「心を強く保つ」という性質が必要です。否はプレッシャーの強い状況を意味するため、その中で精神を乱さずに忍耐強くあることが求められます。豊や泰においては「治にいて乱を忘れず」や「盛者必衰の理」といった心構えが大切だといわれています。易を学ぶ人ならばよく見聞きする話ですが、身に備えることは簡単ではありません。それでも、そうした認識を持っているだけでも行動や判断、生活の仕方は違ってくるだろうとは思います。
<爻意は後日、追加更新します。>
豊は盛大さを意味する語。Max(パワー全開)状態を示しています。個人や集団で盛り上がって最高潮を迎える時ですが、「祭りの後の静けさ」のように栄枯盛衰の憂いも内蔵しています。自分の力やグループの力を最大限に活用することに躍起になりやすく、そのために心身のバランスが極端になりがちです。活動中は神経が昂進しているため意に介しませんが、一旦めどが立つと途端に調子を崩してしまう傾向が見られます。自分でも分かっていながらオーバーワークしたり、機械を酷使してオーバーヒートさせてしまうことがあるので注意が必要です。
上卦震は外部からの強い刺激に触発されることを示し、内卦の離はそうした状況下で自分を見失わないようにする必要性を示しています。この内的な明察がなければ、震の勢いに飲み込まれて気がついたときには凋落…ということになってしまうでしょう。そうならないためにも、“かなり無理しているなぁ”と感じてきたら、すかさず休憩や休暇を入れるなどして調整を図ることが大切です。また、権限や勢いがあると人は傲慢になったり力押しで事を進めるきらいがあります。財力に物を言わせたり、権威を笠に着て威張っていると、周囲の反発を招くのは必至ですし、そうした後ろ盾がなくなった時に自らの無力さに苛まれます。普段から本当の実力を備えることを意識しましょう。
綜卦は火山旅。旅行の卦ですが、現代のようなお気楽な旅行とは趣が異なります。かつては移動手段といえば主に徒歩、良くて馬車でした。一般人がそうそう遠出できるわけもなく、今みたいに温泉旅行や名所観光を気軽に楽しむことを想定した卦ではありません。むしろ、旅は豊を過ぎて落ちぶれた人、または疲れてしまった人の精神状態を表わしています。親しい人が離れてしまって孤独だったり、心身を癒すために静養を必要としている状態が多いでしょう。また、旅には宿場やお供がいるものですが、そうしたものとの関係を説いた卦でもあります。この時、傷心しているか、休息を求めているか、誰かへのメッセージを携えているか分かりませんが、いずれにせよ旅の時は疲弊した心を癒すことが先決です。
裏卦は風水渙。渙は散らす。外卦巽の風が内卦坎の水を吹き散らしていく様を表象したものです。水面に風が吹けば波が立ち、流動的になります。人間関係や仕事、環境などに変化が起こりやすい時です。風水渙は水沢節とセットなので、節度に対する放縦(気ままさ)を意味しているとも取れます。これは一面では空気を軽くするような楽観的な傾向を生みますが、半面、締りのなさでもあるので物忘れするなど抜けた面が出てきやすいでしょう。放っておくと散漫になってしまうのが渙で、そうならないように管理して防ぐのが節。また、豊では中央集権化、渙では分散と方向性は逆ですが、力をどう扱うかという点で共通しています。そしてこの反動として、旅(個別化)や節(規制)が制御機構として働いています。
類似関係は山地剥。剥がす・剥がされる、崩す・崩されるという意味で、「足元注意」の標識を思わせる卦です。砂場で山を作って棒を立て、順番に土を削っていくゲームのような感じです。人間の体で言えば、足腰が弱くなると途端に衰弱が激しくなることと同じです。精神は気張っているのに身体がついてこなかったり、頭でっかちになって要領を得ない対応をする傾向が出てきます。また、一陽が五陰に追い立てられるように、事情があってその場に居られなくなるケースも多いです。豊も剥もそれぞれの卦義における到達点を示すため、その先は下り坂です。限度を超えれば、玉座を追われてしまいます。
豊と剥は屯&晋から21番目で3巡目の3。3は能動性の数字で、2の1との枝分かれとは違って、第三者の視点としての分離を意味しています。1と2という結ばれつつも相対する概念から離れて、別角度からそれらが何であるかを明示しようとするわけです。1という動機や要求があり、失敗を避けるために2で可能性を枝分かれさせて(避難路を作り)、3で1と2の全体を概観しながらアプローチする。21の場合、3巡目の3なので能動→受動→能動と外向きです。あらゆる可能性(20)に満ち溢れた中で、一つの明示的な目的(1)に向かって邁進する姿勢を表わす数字だと思います。それが豊や剥の意味の基調となっています。
補完関係は地天泰、その先のヴィジョンは天地否。豊が人や物事の盛りを示すのならば、泰は平穏無事を求める意志を示しています。これは互いの欠乏を補う関係なので、豊としての盛り上がりの果ての虚無感は、泰の安定化によって回復し、泰で行き過ぎた平和ボケは、豊としてのイベントや行事(もしものための予行演習など)といった力の発露でバランスを得ます。この時、内外の情勢に動揺して浮き沈みしてしまう癖を矯正するために、否の教訓である「心を強く保つ」という性質が必要です。否はプレッシャーの強い状況を意味するため、その中で精神を乱さずに忍耐強くあることが求められます。豊や泰においては「治にいて乱を忘れず」や「盛者必衰の理」といった心構えが大切だといわれています。易を学ぶ人ならばよく見聞きする話ですが、身に備えることは簡単ではありません。それでも、そうした認識を持っているだけでも行動や判断、生活の仕方は違ってくるだろうとは思います。
<爻意は後日、追加更新します。>
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