若干21歳でツール・ド・フランスを征した時にはただただ驚くばかりでしたが、翌年にはモニュメントのひとつリエージュ・バストーニュ・リエージュを征してしまうのです。ブエルタ総合3位やツールの総合優勝などの活躍で登りに強いクライマーというイメージが徐々に変わって行きました。この年の夏にはツールを連覇し、東京オリンピックでは銅メダルを獲得し、翌年のツールでは3連覇が確実と見ていたら、ユンボ・ヴィスマの徹底攻撃に合い、ヴィンゲゴーに敗れることになるのです。
私はメルクスのように、このころからポガチャルがメルクスを越える選手になるなんて想像すら出来ないばかりか、ヴィンゲゴー時代の到来を予想していたのです。グランツールをメインで見ている者には分からなかったのですが、ツールでヴィンゲゴーに負けていた年もポガチャルはイル・ロンバルディアやロンド・ファン・フラーンデレンといったモニュメントを勝っていたのです。グランツールの完全制覇とモニュメントの完全制覇という大偉業へ向けてのポガチャルの歩みは止まってはいなかったのです。
ポガチャルが今年ジロに初参戦しWツールを目指すことを知り、改めてツールでのポガチャルの敗因を調べてみました。その結果分かったのは2022年は明らかにチーム力の差で負けていたことと、2023年はリエージュでの落車で手首を骨折したことによる調整不足が敗因だと分かりました。
敗因が分かれば対策も取れるのが道理で、UAEはポガチャルの為にチーム力のアップに動き、ポガチャルも高所や暑さ対策を着実に進めていたことが分かりました。その結果がWツールに世界選手権というトリプルクラウンという偉業に結び付いたのだろうと考えています。改めてポガチャルの進化の凄まじさに驚くばかりなのです。
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