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【霊告月記】第三十四回  今年の夏は、徂徠学。 景気づけに花火と中川家

2018年08月01日 10時00分00秒 | 霊告月記31~35

【霊告月記】第三十四回  今年の夏は、徂徠学。景気づけに花火と中川家




夏は楽しい。大学や高校の夏休みの頃の記憶がまるで昨日のことのように鮮明に蘇ってくる。命の根源の記憶が再生されて身内に溢れ出す。夏はいい!

今夏の私の目標は徂徠学への挑戦だ。導いてくれるのは、まだ読んでないので正確に言うなら導いてくれそうなのは、子安宣邦氏の『徂徠学講義  『弁名』を読む』という書だ。この本にはこんなことが書いてある。著者の言葉を一部引用する。

『弁名』はその重要性にもかかわらず,ほとんど読まれてこなかった。丸山眞男以来,徂徠を論じるものは多い。しかし『弁名』によって論じるものは希れというより,ほとんどないといっていい。それは『弁名』というテキストがわれわれの簡単な接近を阻んでいるからである。その理由の第一は徂徠のテキストの難解さにある。だがその難解さの原因が,もっぱら漢文テキストにあるということなら,すでにその書き下し文があり,現代語訳があり,注釈もある今日,『弁名』テキストへの接近は容易であるはずである。だが『弁名』本文が書き下されたから,あるいは現代語訳されたから分かるわけではないのである。大体徂徠テキストを現代語訳し,解説する当の漢学者たちに徂徠が分かっていたわけではないのだから。彼らが分かっていないのは徂徠学の問題構成であり,言説構成のあり方である。


         子安宣邦(1933~ )   於:台北  2014/4

徂徠学とは何かの問いに,私はあらためて次のように答えたい。それは日本思想史上はじめての人間社会の全体への視点をもって構成された社会哲学の儒学的展開であると。  (子安宣邦『徂徠学講義 『弁名』を読む』岩波書店 2008年)

子安思想史の最高峰の作品『徂徠学講義 『弁名』を読む』を繙くことによって、この夏、私は大いなる飛躍をかちとりたいと思っている。近況報告でした。

  ※参考※⇒ 子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-   

】 霊告 【  ここ( 『弁明』緒言ー引用者注 )にあるのは人間の概念的言語の成立をめぐる日本思想史上最初で最後ともいえる反省的な批判的分析力をもった文章である。   子安 宣邦

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【霊告月記】第三十三回 カゲロウを巡る旅

2018年07月01日 10時00分00秒 | 霊告月記31~35

【霊告月記】第三十三回  カゲロウを巡る旅

カゲロウというあるひとつの生物を巡って連想ゲームのように記事を作ってみた。最初に「 I was born 」と題する吉野弘の詩。次に今西錦司の講演の一節。最後にカゲロウの羽化の一瞬を捉えた動画。この二つの文章と一つの動画の引用でもって私のカゲロウを巡る旅の日記とする

カゲロウは命の儚さ切なさを想起させる絶好のメタファーであり、そのことは日本人の集合的無意識に確固として書き込まれている。吉野弘の「I was born」は生れて死にいく生物の定めを美しい日本語で捕えた傑作である。おそらく今西錦司が生物学のフィールドワークの対象としてカゲロウを選んだ動機にもこのような日本人の無意識の根源に降り立って行こうとする決意があったのではないかと想像される。しかし逆にカゲロウを通して今西が発見したものは生命の永遠性無限性雄大性そのものであった。35億年の生物進化のヴィジョンを今西はカゲロウの棲み分けという事実の発見によって基礎付けたのである。カゲロウが教えてくれたのだ、地球に住まう生物が棲み分けという事実を通して生命と環境を調和させているという根源的なその真理を。水生昆虫であるカゲロウは羽化し空を飛び回って充実した生を楽しみやがて多くの子孫を生んで速やかに退場する。カゲロウは35億年そのような生と死を繰り返してきたのだ。カゲロウがどうして儚い命を象徴するだけの存在でありえようか。事実はその反対である。人間もまた生物35億年の進化の歴史を背負ってこの世に存在する。35億年+100年が人に与えられた時間、35憶年+数日がカゲロウの生きる時間。35億年から勘定すれば100年と数日は加えられた微細な誤差に過ぎない。カゲロウよ、美しいその生を永遠に生きよ。

            ★
        
        I was born        
                                   吉野 弘

確か 英語を習い始めて間もない頃だ。

或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやっ てくる。物憂げに ゆっくりと。

 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。 

 女はゆき過ぎた。 

 少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
 ----やっぱり I was born なんだね----
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
---- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね----
 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。 僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。そ れを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。

  父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
----蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね----
 僕は父を見た。父は続けた。
----友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは----。 

 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
----ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいで いた白い僕の肉体----。

                ★

   今西錦司の講演より


私は若いころカゲロウの幼虫を調べておった。伝説では毎日、加茂川の石を全部ひっくり返してたというが、そういうわけにはまいりません、石がたくさんありすぎまして 。しかしそのときに棲みわけということを発見した。そういうことがあるかもしらんという予想なんか全然なしに、バ ッタリ事実とぶつかったんです。その事実は前から石をひっくり返してるときにわかっていたはずであるにもかかわらず、ある日、突然にそれが見つかる。その辺に、発見というもののおもしろみがあるんです。
そんならこれは何か。 棲みわけには相違ないのですけれども、なにが棲みわけているのかという問題ですね。これを私はーつの社会現象と見たんです。これは個体の問題でなくて 「種社会」 の棲みわけである。種社会という言葉をそれ以後使うことになるのですが、棲みわけとは種社会の自己限定である、そういうふうにこの現象を解読したんです。
ところが種社会というのは、生物の世界におけるもっとも基本的な構成単位である。けれどもそのもうーつ下に個体という構成単位があって、種社会はそれに属する個体によって構成されている。一方で、この種社会というものは、もうーつ上の生物全体社会からみたら、 一つの部分社会であるにすぎない。そういう種社会がたくさん寄り集まりまして、生物全体社会というーつのシステムをつくっているのであります。
 (今西錦司「進化論も進化する」)


               ★
      
★水生昆虫カゲロウ羽化~Aquatic insect Emergence


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【霊告月記】第三十二回  演劇『薄明の彼方へ』感想

2018年06月01日 10時00分00秒 | 霊告月記31~35

 【霊告月記】第三十二回    演劇『薄明の彼方へ』感想

ユニットX日和えっくすでーびより、と読む)の『薄明の彼方へ』を観劇しました。語呂あわせになりますが感激の舞台でした。

まずユニット名の「X日和」。この命名からしてユニークです。言葉の選択にセンスのよさを感じます。オリジナリティがある。そして主宰者谷口由佳さんの公演の謳い文句もふるっています。

<明治維新150周年の2018年、5月。【平成】最後の1年が始まる。「新しい時代」へ目が向けられる一方、今まであったことを見返してみる昨今。時代が変わっても、きっと忘れちゃいけないことがある
> 

ユニット名「X日和」のコンセプトにふさわしく、幕末のXday=新天皇即位の一瞬に、新旧時代の転換の様相を写し取ろうというアイデアから出発した劇です。

まず、戯曲が素晴らしい。それにユニットの相方である宮坂有貴さんの才能が加わって、この劇のパワーが倍増されているなと直観しました。宮坂さんは「演出補佐」をされていると同時に、この劇では「維新」役で存在感を示しています。

宮坂さんが演じた「維新」という役はいかなるものか? まず、「維新」とは時代の転換を象徴する言葉です。この劇の中の「維新」の役割は、シェイクスピアの「マクベス」の中の三人の魔女に匹敵する重要なキャラクターです。

マクベスの「魔女」は三人で一つの役割を果たすのですが、「維新」は一人でマクベスの「魔女」三人分の働きをこなします。この難しい役どころを宮坂さんはその華麗な演技力でカバーし存在感を示しています。 

      宮坂有貴さん(左)  作・演出の谷口由佳さん(右)


舞台は、Xday前夜の江戸の裏長屋に西から武家の娘・一如(いちにょ)がやってくるところから始まります。再び主宰者の紹介文を引用すれば、劇の設定はかくのごとし。

<【あらすじ】 江戸の片隅にたたずむ、とある貧乏長屋。そこで気ままに暮らす人々の元に、やってきた新参者。それは、武家の娘・一如だった。
「貴殿らに、私の兄の、仇討ちを手伝ってもらいたい。」
苦しみも、弱さも、抱えたまんま、時代が変わる。
烏合の舟(しゅう)、薄明の彼方へーー。>  (公演チラシより)

仇討ちというのは、江戸時代の価値観であって、明治時代には時代遅れの考えです。「ええじぇないか」の踊りが乱舞する転換期の世相の中においては、仇討ちなど時代遅れの行為であることを一如は充分に意識しつつも、あえて自らの決断としてこの旧時代の価値観を選択したのです。この決断を見守るのが裏長屋に住む多彩なキャラクターたちというわけです。

この裏長屋に住むキャラクターの中で、特に重要な役が盲目の噺家「風来(ふうらい)」です。そしてこの風来にとりついた妖精というか、守護霊というか、他界の生き物が、「維新」です。維新は、奇妙に華やかな衣装をまとい、風来と意味深な対話を交わします。

この対話の部分は思想的にも深く、台本の密度を宮坂さんは立派にこなしていらっしゃいます。風来役の役者もその役どころを存分に演じきって、この劇の孕む思想的濃度を増すことに貢献しています。この二人の掛け合いと存在感が、戯曲の孕む世界観の奥行きを鮮やかに可視化し作品の完成度を高めていました。


登場人物の衣装は斬新であり、役者たちの熱演に心うたれました。黒子が回り舞台を廻す仕掛けや花道まで作られており、照明や美術等も立派な出来です。明治大学演劇学科の知識・経験を総動員させた感があって、立派にプロの舞台として通用するレベルでした。

この劇は、幕末のXdayに照準を合わせ、善と悪が反転し、美と醜が交代し、真と偽がまじりあう時代の転換の様相をみごとに写し取った総合芸術であり、傑作時代劇です。
マクベスの魔女は、「きれいはきたない、きたないはきれい」とまじないを唱え、「さあ、霧の中を飛んで行こう」と叫んで、「マクベス」という劇は始まっています。 霧の中を飛ぶという経験。時代が転換するとはそのような経験を指すのでしょう。

ユニットX日和の第2回公演『薄明の彼方へ』は、演劇でしか味わえないこの「霧の中を飛ぶ」という経験を存分に味あわせてくれた。ユニットX日和は多彩な劇的術策を施して、平成のとある劇場に新たな
Xdayをまざまざと現出させることに成功したのです。

詩的言語の特徴はその多義性にあると思います。ここで述べたのは私なりの一解釈に過ぎません。おそらくもっと違う色々な解釈をこのユニットの当事者達は考えだし編み出して、今後それを新たな演劇行為として実践し、われわれを啓発してくれることでしょう。

演劇ファンの皆さん、ユニットX日和の今後に期待することと致しませう。 
そして愛する母校の後輩であるユニットX日和にはこのエールを贈ります。
⇒ ユニットX日和は、日本の新しい紫式部をめざせ!

     ※ユニットX日和
【Twitter】→  http://twitter.com/yu2tXm 

】 霊告【   孫子の兵法が完成するのは人類が戦争を廃棄した日である。その日こそ孫氏のXdayなのだ。諸国民よ、孫氏に学べ。そして孫氏の兵法を完成させよ。


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【霊告月記】第三十一回 北一輝の霊告「日本は革命党の父である」

2018年05月01日 10時00分00秒 | 霊告月記31~35

【霊告月記】第三十一回 北一輝の霊告「日本は革命党の父である」

   日露戦争後に出現した天才思想家北一輝は日本と中国のありうべき将来を大胆に予言した。その言葉は霊告と呼んでさしつかえない洞察力に満ちたものであった。
 もし日本人が北一輝の忠告を受け入れて王道のアジアを築くことを試みていたならば、日本の歴史はいや世界の歴史は、いまよりもずっとましなものになっていたはずである。アジア主義が勝利した20世紀の世界を思い描いてみよう。それはなんと素晴らしい絵であることか。
  だが日本は北一輝の霊告を聞き逃した。これは痛恨の一事と云っても過言ではない。日本は道を失ったのだから。
   はっきりと知るべきことがある。いまなお北一輝の肉声は失われてはいない。21世紀の東アジアを我々はいかに構想すべきか。南北朝鮮が握手を交わし歴史の転換が刻まれようとする今こそ北一輝の霊告を傾聴する意義あることを私は強調したい。そこからのみ道の回復はなされるであろう。


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   北一輝の霊告 
   日本は革命党の父である   
                       1911年11月5日 於:上海
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一寸の書簡のつもりが長くなつたから序で二時間もある故一つ議論を書く

政治階級によつて其国の政策を批評すべきは固より、国風全体を判定することも或程度まではよろしい。藤原氏が治者階級であつた時は政策は文治主義で国風は文弱であつた。武人が治者階級であつた間も同様に政策は武断主義で、国風は殺伐であつた。

この原則からの推論が現今の支那に及ぶときに、満人の政治時代と、漢人自らの政治時代、特に我が革命党の政治時代とは明白に裁然と区分されねばならぬ。直裁簡明に単刀直入的なる革命党の一般的気風は、実に日本教育より継承したものである。

僕が立つ前一寸君の宅で報知記者に、支那革命党の秘密の一端を話した時に語を強めて、日本教育が今の革命思想を産みたるもので、多い時一万五千、前後を通じて幾万の留学生即ち四億万漢人のあらゆる為政者階級の代表的子弟に日本の国家主義、民族主義を吹き込だから排満興漢の思想が出来たのだと云つた。

日本の教育家も政治家も支那通と云ふ方々も或は明確に意識されないかも知れないが、これほど明かに思想的系統の示されて居る事例は余り類があるまい。日本は革命党の父である、新国家の産婆である、日本の教育勅語は数万全漢民の代表者の上に此の大黄国を産むべき精液として降り注がられたものである。

日本が唐の教育を細き管より吸収してあつた時には、日本の政策も国風も万事唐的であつた。大黄国が日本の教育によつて産れ、其の国家の中心点たる革命党の年少者が日本的思想を有し、日本的風采に化し、日本的行動を取りつゝある事実は直ちに新国家の政策も国風も日本的であることを証明して居るし、結論はこうだ、新しき大黄国は日本と等しく国権と民族の名の下に行動すべし。この点は明らかに排日を意味すると同時に根本的に精神的に親日である。

従来の支那漫遊者が、居留地辺で満人の奴隷としての遺伝を有する苦力等が更に国威萎魔の為めに外人の奴隷として唯々たるを見、又同様なる満洲に於ける其等の有様を二大戦役中見て居るもの、多い為めに暴慢の程度が分らない位である。

この国権と民族の覚醒が来た、而も日本的に来つた、新興国に対し一点でも其れに対する侮りが見えたら最後、日本は全四百余州からボイコツトされるのだ。其ボイコツトたるや一時的経済的でない、永久的に一切の方面からゼネラルボイコツトだ。苦力が政治し、満洲土人が治者であるならば政策も国風も奴隷的のものと見て、従来の漫遊者や渡満者の見解に従て今日までの通りの対清策でよろしい。

革命党、即ち数万の日本的頭脳が治者階級を形づくつて居る新支那に対しては、日本の対支那策も一変しなければならぬ、--而も其一変たるや支那の革命しつゝあるに併行して革命的一変たるべきは申すまでもない。

     革命の頭脳宋教仁  
  盟友宋教仁の葬儀に臨む北一輝

さらば根本的精神的の親日とは何だか、これは外ではない思想上の父であるといふことだ。古今これほどの親善の関係はあろうか。興国の思想を産みつけたる父である。若し其上に日本が新興国分娩の今日の際列国の野心より能く之を防禦して、立派に産婆の役をも勤めてやつたらどれほどであろうか。

敢て僕は補助を要むるとは云はぬ。又実際今日までは何等の補助もない。只万々一列国の或者が野心の牙を露はしたる時、我が愛児なり一指を触る、ものは我が敵たるべしと宣言して、前に立ち塞つて蔽ふだけの覚悟があればよろしい。毛唐共の御先棒は北清事件の馬鹿をしただけで沢山である。日本は嘗ても申す通り東洋外交の主権者である根本の自信を此の際に固めることが大事である。
(北輝次郎発清藤幸七郎宛書簡 『北一輝著作集』第三巻 158頁~159頁)

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  ※関連記事※ ⇒ アジア主義の生誕=美しいアジアの私たち

】 霊告 【 世界革命をねがうがゆえに中国の革命にのぞみを託する 北一輝

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