【霊告日記】第三十一回 イスラム国とは何か トルコ国民の合唱
★ 世界に拡がる< I AM KENJI >の声 日本政府は後藤さん解放に全力を尽くせ! ★ 
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フランスで起こったテロ事件の問題の背景には欧米で格差社会が拡大していることが挙げられる。このような中にあってオバマ大統領が富裕層への大幅増税方針を一般教書で表明した。富裕層への大幅増税策は明らかにトマ・ピケティ効果であろう。ピケティの『21世紀の資本』はアメリカで50万部を超える大ベストセラーとなった。ピケティはこの書の中で国際的に連携して富裕層への大増税を行うべきことを主張している。日本の野党も連携してピケティの主張を取り入れるべきだ。全世界で一斉に格差の縮減を図ることこそがテロを廃絶する唯一の解決策だ。一見迂遠なように見えてこれだけがテロ廃絶の近道だ。日本もアメリカを見習って富裕層への大幅増税策を図るべきだ。新自由主義の時代は終わったのだ!
偏狭なナショナリズムの考え方から我々は脱出しなければならない。ナショナリズムではなくパトリオティズムが基礎にならないといけない。パトリオティズムが昇華されたものがアジア主義だと私は考えている。アジア主義に立脚した政治制度とはどんなものか? 私の課題はそういうふうに立てられます。
「涙のムハンマド」の諷刺画を載せるかどうかで日本の新聞は判断が分かれました。東京新聞は掲載したが後で謝罪した。誰も他者の信仰を侮辱する権利は持っていない。マルクスは宗教を批判しましたが、その批判は極めて慎重なものでした。マルクスは宗教的幻想を生み出す現実そのものを批判した。宗教それ自体を決して否定したのではない。この批判のスタイルこそマルクスの思想の偉大さを証明するものだった。
「言論の自由」と「言葉の暴力」とは違うものであり、「言論の自由」は守られるべきであるが、「言葉の暴力」は否定されるべき。もちろん「言葉の暴力」にテロで応じるのも間違いである。キリスト教社会では、イスラム教は蔑視とまではいかなくとも、軽視されている風潮があるがゆえに、「言葉の暴力」が「言論の自由」と取り違えられた側面が今回の諷刺画騒動にあるのではないか。
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折口信夫は人間の思考能力を「別化性能」と「類化性能」のふたつに分けて考えた。ものごとの差異を見抜く能力が「別化性能」であり、一見するとかけ離れたように見えるもののあいだに類似性や共通性を発見するのが「類化性能」である。
「私は、人類学・言語学・社会学系統の学問で、不確実な印象記なる文献や、最小公倍数を求める統計に、絶対の価値を信じる研究態度には、根本において誤りがあると思ふ。記録は、自己の経験記以外のものは、真相を逸した、孫引き同様の物となることが多い。計数によるものは、範疇を以て、事を律し易い上に、其結論を応用するには、あまり単純であり、概算的である。比較研究は、事象・物品を一つ位置に据ゑて、見比べる事だけではない。其幾種の事物の間の関係を、正しく通観する心の活動がなければならぬ。此比較能力の程度が、人々の、学究的価値を定めるものである。だから、まづ正しい実感を、鋭敏に、痛切に起す素地を――天稟以上に――作らねばならぬ。而も、機会ある毎に、此能力を馴らして置く事が肝腎である。
比較能力にも、類化性能と、別化性能とがある。類似点を直観する傾向と、突嗟に差異点を感ずるものとである。この二性能が、完全に融合してゐる事が理想だが、さうはゆくものではない。
私には、この別化性能に、不足がある様である。」(折口信夫『古代研究』追ひ書き)
イスラム国について、私なりに、今はただこの「類化性能」の思考方法を使って若干の考察をしてみよう。
中東地域に於けるイスラム国の反撃は、それと同様のものを我が国の歴史に探し求めるならば、神風連の乱が思い浮かぶ。神風連についてご存知ない方に、少しだけご説明しますと、橋川文三が『歴史と体験』という著作の中で「失われた怒り」という題のエッセーで神風連の反乱について書いています。
三島由紀夫は この橋川のエッセーにインスパイアされて『豊穣の海』の第2巻「奔馬」を書き上げました。この小説の中で実に三島らしい筆致で神風連の反撃の様相を活写しています。
類推をもう少し推し進めると、西南戦争も思い浮かべられます。もし西南戦争で西郷軍が政府軍に勝利したらどうなるか? 「敬天愛人」の理念が国是となる。それはまさにイスラム国そのものです。イスラムの理念は平等と分かち合いです。西郷はカリフのような存在となってアジアに新しい道義的国家を樹立したに違いないのです。いまのイスラム国と自称している勢力が西郷軍の保持していた道義性を持っているとは私は考えませんが、通底するものがまったくないとも言えない。
西郷隆盛の「敬天愛人」の理念はキリスト教のマタイ伝から来ています。これに関して私は書いたものがありますので未詳の方はご参照下さい。⇒好日30 西郷隆盛の「敬天愛人」
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「イスラム国」という呼称は止めてISとかISILとかの略称を使用した方が良いのではないかという考え方が出ている。多くのイスラム教徒の賛同を得られていない感のある現イスラム国には疑問を呈せざるを得ないという考え方がその背景にあるのだろう。しかしイスラム教徒でない人間がどこがイスラム国でありどこがイスラム国でないか議論するのは僭越ではないか。
イスラム国という名称に少なくない数のイスラム教徒と世界から集った若者が自らの命を賭けて戦っている。自らの死と引き換えにイスラム国の理念を守ろうとしている。もし彼らにイスラム国という名称を使うのをやめろという要求を出すのなら、もしその要求が通れば自らの命と引き換えにしてもいいという程の覚悟が必要であると考えます。
単なる名前のことで何をそんなに大げさなという意見もあるかもしれませんが、少なくとも孔子ならばそんなふうなことは言わないであろうという確信が私にはあります。<子路が曰く、衛の君、子を待ちて政を為さば、子将になにをか先にせん。子ののたまわく、必ずや名を正さんか。『論語』巻第七の三>という証言もあるくらいだ。
イスラム学の研究者の研究成果を参照するならば、 歴史の長いスパンを取れば中東全域を覆うカリフ制がいつか復活するであろうという予測も成り立ちます。イスラム国はすべてのイスラム教徒の心の中に実在している。イスラム教徒のいる地域はすべて「イスラム国」に所属するというのがイスラム教の正統教義である。西はモロッコから東はインドネシアまですべての地域が本来は「イスラム国」。そのように多くのイスラム教徒が信じている。
しかし現存のイスラム諸国家ではイスラム教徒に言論の自由は与えられていない。「イスラム国」の理念は封殺されている。この「イスラム国」の理念を解き放ったのが、「イスラム国」と自称する勢力であった。「イスラム国」の理念の潜勢力はイスラム圏の近代国民国家の政治体制をすべて薙ぎ倒すかもしれない!
「西欧列強が秘密協定によって引いた国境線によって作られた国々の枠組みは「サイクス・ピコ体制」と呼ばれている。イスラーム国は、目標のひとつとしてサイクス・ピコ体制の打破を掲げている。彼らの主張によれば、(西欧列強のズル賢い秘密協定によって)「押しつけられた国境」を消し去ろうとしているという事になる。」(ウイキペディア記事「イスラーム国」より)
多くのイスラム教徒は西欧がコンパスと定規で恣意的に引いた現在の国境線(=いわゆ「サイクス・ピコ体制」)を認めていない。真に存在すべきなのはすべてのイスラム教徒とイスラム地域を包括したイスラム国だと考えています。したがって仮に現在のイスラム国を欧米の軍事力が打倒したとしても「イスラム国」の理念を滅ぼすことは不可能である。
1月30日午前8時45分現在、イスラム国に人質になっている後藤健二さんの釈放の事実はまだ確認されていない。今はただ後藤健二さんがすみやかに解放されることを祈って走り書きにしか過ぎないこの考察の筆を置くことにする。I AM KENJI !
】 霊告 【 日本とトルコは手を取り合ってアジア主義の再興に努めよ 日本とトルコの友情は永遠に不滅である 北 一輝
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■追記:2月1日 10:00
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悲しい結末となりました。後藤健二さんのご冥福を心よりお祈り致します。合掌
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