【ダンボールの部屋】 いつも輝いて煌めいていましょう!

ダンボールの部屋へようこそ!!! ここはWEBの聖地だ ヽ(^0^)ノ

【霊告月記】第五十五回 「ラス・メニーナス」と「資本論」

2020年06月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第五十五回    「ラス・メニーナス」と「資本論」

エッセー:その1 ベラスケス「ラス・メニーナス」 
               

この絵が他の絵と違っているところは、フーコーがもしかしたら分析済みかどうか知りませんが、次の点にあるかもしれません。普通の絵は、画家が自然や風景や人物を、その独自の画風で描く。描かれたその絵は、画家の観た対象物として、そこにある。そうすると、その絵を鑑賞する私たちの視線は、画家の視線と二重になる。画家の視線と重ね合わせて、対象を見る。こういうことがある。絵を描くという体験と、絵を見るという体験とは、重ね合わせられる。逆に言うと、そこに描かれたのは、画家の観た対象だけであって、画家は隠れている。その隠れた画家の視線でもって、描かれた対象=絵画を私たちは見る。隠れるという点に於いても、画家と我々は、重ね合わされるわけです。

この絵は、どうか? この絵には、何が描かれているか。絵を描いている画家が描かれている。そして、絵を描く現場に居合わせた人が描かれている。その絵を私たちが鑑賞する時、私たたちの視線は、描かれている対象=国王の視線に重ね合わされる。こんどは隠れているのは画家ではなく、その画家が描いている対象=国王である。画家は隠れていない。相変わらず、上の場合と同じく、鑑賞者である我々は隠れています。我々は隠れている国王の視線でもって、国王を描いている画家や、その立会人=国王の家族を眺めている。そういう構造になっている。こんな風な解読をフーコーさんは行っているのでしょうか? たぶん、きっと、そうなんでしょうけど・・・。文学で云うメタ・フィクションの作品の構造と同じです。

写真は瞬間を捉える。ベラスケスは写真芸術が到来する数世紀前に絵画で瞬間を捉える試みをしていた。ドナルド・キーンが指摘しているのですが、芭蕉は一句の中で瞬間と永遠を共存させています。ほとんどの俳句がそうだというのです。典型的な例句:古池やかわずとびこむ水の音。古池の静寂。そこにカエルが飛び込む。一瞬の運動と響く音と水面の波動。すべてはおさまり元の静寂に戻る。古池の醸し出す永遠。こういう構造になっています。ベラスケスもある特定の一瞬を描くまでに、どれほどの長考が必要であったか、また描き終えるのにどれだけの膨大なエネルギーと費やされた時間が必要であったのかが思われます。芭蕉もベラスケスもその「貫道するものは一なり」ということが言えるのかもしれません。

芭蕉とベラスケスの対比、続けます。瞬間と永遠の共存が両者の芸術の中に看取されるのだという指摘を致しました。例を「夏草や」の句にとって考察してみましょう。ここには、見えるもの(夏草&古城)と見えないもの(つわものどもの夢)が一枚のダブローの中におさめられています。ベラスケスのタブローには、ある偶然性によって集められた人物や物が、美的秩序の中に収められている。その空間的な構図もまた芭蕉とベラスケスには貫道するものがあるのです。その慣道するあるものの正体は何か?それこそゲーテがファウストをして生涯の最後に叫ばしめた言葉に他なりません。ファウスト曰く「時よ止まれ!お前は美しい」です。ゲーテ・ベラスケス・芭蕉の巨匠トリオの描く視線と思考をカシャと撮影してみました。この写真、いかがですか? 良い写真が撮れていますでしょうか?


         ★        ★      ★

エッセー:その2 青春の書としての「資本論」


資本論は私にとって青春の書である。「資本論を読んでいない頭は子供の脳である(中江丑吉)」という意見もあるくらいだが、すくなくとも私にとって資本論は青春の書であったし、いまでもその認識は変わらない。

一年間の自宅浪人をした後に明治大学政治学科に合格した。合格発表を見たすぐその足で神田神保町に行って、向坂逸郎訳岩波書店発行の大型本の『資本論』を買い求めた。それから帰省して4月7日の大学の入学式に出席するため上京するまでの約40日間、故郷の自宅で資本論だけを読み続けた。

一日約10時間40日間読み続けたので合計400時間くらいを資本論読書に費やした勘定になる。資本論を読んでいる間に19歳の誕生日を迎えた。3月13日が私の誕生日であった。


資本論は気迫を込めて三度読みを実行した。資本論全三巻の内、第一巻と第二巻はその三度読みによって完全に理解したと思ったのだが、時間切れで第三巻まで読み進めることはできなかった。しかしこの第三巻こそは資本論の核であり中枢である。中江ではないけれども資本論第三巻を理解できていない間は子供の脳であるということはたしかであろう。

資本論は私の青春の書であると最初に述べた。しかし資本論第三巻を完璧に読み終えて理解できてはじめて子供の頭脳を卒業し大人の頭脳に成長できるのだと私は思っている。

蛇足だが、時事問題にさして興味が持てない理由は、こういう課題を私は抱えているからである。
                                     

※参考:向坂逸郎訳『資本論』第三巻冒頭の文の引用※

「第一巻では、それ自体として見られた資本主義的生産過程、すなわち、外的事情の副次的影響は、すべてまた度外視されて、直接的生産過程としての資本主義的生産過程が呈示する諸現象を、研究した。しかし、この直接的生産過程は、資本の生涯の全部ではない。それは現実の世界では、流通過程によって補足されるのである。

この流通過程が、第二巻の研究の対象をなした。そこでは、とくに第三篇で、社会的再生産過程の媒介としての流通過程の考察に際して、資本主義的生産過程は、全体としてこれを見れば、生産過程と流通過程との統一であることが示された。

この第三巻のかかわるところは、この統一について、 一般的反省を試みることではありえない。肝要なのは、むしろ、全体として見られた資本の運動過程から生ずる、具体的な諸形態を発見し、説明することである。

その現実の運動においては、諸資本は、直接的生産過程における資本の態容と流通過程における資本の態容が、ただ特殊の因子として現われるにすぎないような、具体的な諸形態において、相互に相対している。

したがって、われわれが、この巻で展開するような資本の諸態容は、社会の表面に現われ、種々の資本の相互に相対する行動、すなわち、競争のうちに現われ、そして生産担当者自身の普通の意識に現われるときの形態に、 一歩一歩近づくのである。」


★一万人を超える明治大学女子学生が校歌を熱唱~ブラボー!!!★
 

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
★ダンボールの部屋へようこそ!!!⇒コンテンツ総目次&本文へのリンク


【霊告月記】第四十五回 今アジアで一番過激な政党「めだか党」政見放送

2019年08月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第四十五回 今アジアで一番過激な政党「めだか党」政見放送
    ※パソコン故障のため一回休載しましたが、完全復旧。今月より連載再開致します

】 霊告 【 めだかの学校は川の中・・・誰が生徒か、先生か? 


哲学者の鶴見俊輔さんは「めだかの学校」の唱歌が大好きだそうだ。この唱歌に含まれている「誰が生徒か、先生か?」という歌詞がたいそう素晴らしいから、というのがその理由である。

                  鶴見俊輔  1922-2015

なるほど。民主主義とは人民支配のことだ。人民支配という言い方はちょっと固いので、民衆支配でも市民支配でもいいのだが、要は、支配されるのも民衆なら、支配するのも民衆でなくてはならない。これが民主主義であろう。ならば、「誰が生徒か、先生か?」の歌詞は、「誰が支配されている人で、誰が支配している人でしょう? どんどん交替するのね。いいかも!」と解釈することが可能となる。「めだかの学校って理想的な学校じゃなくない?」という結論にすばやく到達するのだ。われらの哲学者は、「めだかの学校」の唱歌に、民主主義の精神を読み取ったわけである。      

鶴見俊輔は、民主主義に関してだけではない、アジアの民衆が獲得すべき歴史認識=開かれたナショナリズムについても、「民魂」という概念を駆使して、こんなに分かりやすく説いている。

「それぞれのくにの民衆が、それぞれの道を歩いてきた。その伝統を民魂と考えるならば、日本に独自の民魂があり、それを支えとして未来を考えることは、他のくにぐにに民魂があることを否定することにはならない。そう考える時、それは、日本国民であることをやめないままに、ちがうくにぐにの民魂と対話する道をもさがすことができる」。(講談社学術文庫版・橋川文三『昭和維新試論』「解説/鶴見俊輔」313P~314P)
            

たしかにこれは「もう一つのナショナリズム」(子安宣邦)をかんがえさせてくれる貴重な発言というべきであろう。それでは、お待たせしました。今アジアで一番過激な政党「めだか党」を紹介致します。どなたさまも心してお聞きください。

【めだか党 政見放送】日本選挙区【川野 めだ子】さんの政見放送です

       めだか党代表  川野だめ子  33才
 
めだかの学校党(略称・めだか党)は、現状の日本とアジアを、ぜんぶぶっ壊す!  日本もアジアもぜんぶぶっ壊す!  めだかの学校は川の中にある。日本もアジアも川の中に沈めよう。みんなで沈めば、怖くない!!!  では、めだか党の代表めだ子が歌うたいます。だめ子じゃないですよ、めだ子です。まちがえないで下さいよ、管理人さん!

  めだかの学校は 川の中
   そっとのぞいて みてごらん
   そっとのぞいて みてごらん
  みんなでおゆうぎ しているよ

  めだかの学校の めだかたち
   だれが生徒か 先生か
   だれが生徒か 先生か
  みんなで げんきに 遊んでる
 
  めだかの学校は うれしそう
   水に流れて つーいつい
   水に流れて つーいつい
  みんなが そろって つーいつい
  (めだかの学校:茶木滋作詞・中田喜直作曲)

めだか党は、現状の日本とアジアを、ぜんぶぶっ壊す!  日本もアジアもぜんぶぶっ壊す!  めだかの学校は川の中にある。日本もアジアも川の中に沈めよう。みんなで沈めば、怖くない!!!
 ・・・今アジアで一番過激な政党と噂される
めだか党の政見放送でした。川野めだ子に清き一票を!ご清聴ありがとうございました。

爆笑【N国党 政見放送】埼玉選挙区【佐藤 恵理子】さんの政見放送です

□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

★ダンボールの部屋へようこそ!!!⇒コンテンツ総目次&本文へのリンク 


【霊告月記】第四十四回 張一兵と子安宣邦:現存する世界最高の思想家

2019年06月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第四十四回 張一兵と子安宣邦:現存する世界最高の思想家

 世界史的洞察の領野を開拓した東アジアの高峰。それが現存する世界最高の思想家であるところの中国の張一兵氏と日本の子安宣邦氏である。そのような内実を持った思想的理解の一端を先日ツイッターに投稿しました。以下は5月28日に於ける私のツイッター記事の転載です。

◆5月26日:廣松渉没後25年ミニシンポ・張一兵「フーコーへ帰れ」出版記念講演会:◆ このシンポジユウムに参加してきました。私も二度張一兵先生に質問しましたが、通訳の女性の丁助教授の日本語がたいそう素晴らしかったこともあって、驚くほど深い思想的な内実を伴ったご回答を頂きました。

会場で購入した先生の著書『フーコーへ帰れ』はまだ読み始めたばかりですが、翻訳者の中野英夫さんの精魂込めたお仕事の賜物でしょう、シンポジウムでの深遠で明晰な語り口が完璧に再現されています。張一兵著『フーコーへ帰れ』は私にとって決定的な転機をもたらす重要な書物になる予感がします。       


張一兵氏が東京で講演したその同じ日、子安宣邦氏は北京で講演していた。奇しくも日中双方の思想史研究の第一人者が、双方の相手の国で講演していたわけである。子安氏は北京講演の報告をフェイスブックでなさっている。私はその子安先生の報告にコメントを付けたので、次に転載しておきます。

「私の思想史におけるフーコーの受容とその後を問う女性読者がいた。このような読者がいて、はじめて私の著書の中国語訳があるのだろう(子安宣邦)」とのこと。私も先生の思想史におけるフーコーの受容には大いなる関心を抱いています。この点に関しては私の理解はまだ判然としておりません。

肝心のフーコー理解がまだその中国の女性読者ほどには追いついてないからです。偶然ですが二日前から日本語訳の張一兵『フーコーへ帰れ』を読み始めています。日本語版で760頁の大著ですが、とてつもなく面白い本です。

     
                                       撮影:菅原 秀宣氏


もしかするとその中国の女性読者は『フーコーへ帰れ』を中国語原文ですでに読み終えており、そのフーコー理解を踏まえて先生に質問したのかもしれません。同じ問題意識を共有するその中国の女性に熱い連帯の挨拶を送りたいと思います。

 以上です。いまこのツイッター記事に付け加えることは何もありません。私はいまこのような認識を持しており、堡塁は確保した、ここから前進していくのだという決意を申し述べたかっただけです。

】霊告【 規律訓練システムについて究極の洞察を語るミシェル・フーコー
  

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■■□■□

★ダンボールの部屋へようこそ!!! ⇒ コンテンツ総目次&本文へのリンク                           


【霊告月記】第四十三回  時をかける少年 

2019年05月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第四十三回   時をかける少年 

               時をかける少年       はるか遠い未来から来た少年

】 霊告 【 時をかける少年のための序曲「時をかける少女」    by 原田知世

 
ぼくはロートレアモンが好きだ。ロートレアモンは24才と10ケ月の若さで亡くなっている。だからぼくは人から「何才ですか?」と聞かれた時、「24才と10ケ月です」と答えるのを常としている。プロフィールの画像もロートレアモンの肖像画を使っている。

ぼくは24才と10ケ月を迎えた時、もうそれ以降いっさい年をとらないことに決めた。その決断はいまも続いている。もしいまロートレアモンが生きていたら、このことについてどうかんがえるだろう、このもんだいに関して何と答えるだろう。そのように考えそのように発言している。そのようにして表現者としてのぼくは存在を続けている。

この姿勢はけっして変えない。不滅のロートレアモン。それが私の存在理由だ。

ロートレアモンの本名はイジドール・デュカス。デュカスはロートレアモン伯爵という筆名を使って『マルドロールの歌』という散文詩を上梓した。その後本名のイジドール・デュカスの名で『ポエジ ⅠⅡー未来の書の序文』を刊行する。その書には次のエピグラムが掲げられている。

ぼくは憂鬱を勇気に、疑惑を確信に、絶望を希望に、悪意を善に、懐疑を信頼に、屍理屈を沈着冷静に、倣慢を謙抑に置きかえる。

本文から断片を幾つか抜き書きしてみよう。

暁が現われるとすぐに、少女たちはバラを摘みに出かける。無邪気さの流れが谷間や首都をかけめぐり、もっとも熱狂的な詩人たちの知性を助け、幼児には保護を、若者には王冠を、老人には不滅への信仰をふりまいて行く。

剰窃は必要である。進歩は剰窃を含んでいる。それは一人の作者の文章をぐつとつかみ、その表現を利用し、誤まった 観念を抹消して、正しい観念で置き替えるのだ。 


一つの箴言はよく作られるために、訂正されることを要求 しない。それは発展させられることを要求する。

魂はーつだから、人は記述の中に感受性、知性、意志、理性、想像カ、記憶を入れることができる。

ぼくは生まれたということ以外の恩寵を知らない。公平な精神は、それで完全だと見るのだ。
(イジドール・デュカス「ポエジ ⅠⅡー未来の書の序文」  渡辺広士訳『ロートレアモン全集』 思潮社 1969年)

これで充分だろう。ロートレアモンは天才だった。ロートレアモン伯爵という架空の書き手を操ったイジドール・デュカスはそれ以上の天才だった。時をかける少年、その少年こそイジドール・デュカスの正体に他ならない。


】霊告【  春うらら手つなぐ稚児と母親のしずしず歩むこころ楽しも


■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

★ダンボールの部屋へようこそ!!! ⇒
コンテンツ総目次&本文へのリンク
 


【霊告月記】第四十二回 単独決起が世界を変える  船橋秀人とグレタ・トゥーンベリ

2019年04月01日 10時00分00秒 | 霊告月記41~45

【霊告月記】第四十二回 単独決起が世界を変える  船橋秀人とグレタ・トゥーンベリ
          
     イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724-1804)

】霊告【 この動画公開によって、竹中平蔵=インチキ経済学者で政商=日本を売った男の没落が始まるだろう。  by イマヌエル・カント

★☆★遂に公開された!!!  東洋大立て看同好会主催!!!  竹中平蔵批判の船橋秀人による学生向け自主講座!!! ★☆★  この船橋秀人さんの竹中平蔵批判の動画公開によって、竹中平蔵=インチキ経済学者で政商=日本を売った男の没落が始まるだろう。これは、事件だ! 国民必見!!! 

 
 「単独決起」:これは船橋秀人さんが学生向けの自主講座で語った言葉である。この言明に私は強いインパクトを受けた。船橋さんは東洋大学での竹中平蔵批判を開始するにあたって、どの政治勢力や党派にも私は属していない、 親は反対したが単独決起したと述べた。単独決起するには強い信念とその信念を支えるに足る深い思想的内実が要る。彼は東洋大学で哲学を学んだ。卒論でもカントを中心とする啓蒙思想に関する内容を書いたのだと自主講座で語っていた。彼の勇気ある行動が多くの人の共感を呼んだのは、この「単独決起」というスタイルにある。


 返歌  「竹中は嫌だ!」と君が言ったから1月21日は決起記念日


欧州に於いても単独決起した若者がいた。スウェーデンの高校生グレタ・トゥーンベリさんである。彼女の単独決起をきっかけに欧州の少年・少女は一斉に立ち上がりその波は地球規模で広がりつつある。「単独決起」が世界を変える。今はそういう時代なのである。





 
船橋秀人さんの単独決起は日本を変えるだろうか? 分からない。だって批判された彼は余裕しゃくしゃくで、内心こんなことをほざいているのにちがいないのだから。⇒「さあさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。 公共財の大安売りだ! 正社員の権利売りとばします! 水道利権も売りますよ! 辺野古を米国に売ったのは私です! 日本の公共財すべて売りとばし予定! 」 許せますか? こんな男を?

竹中平蔵の悪だくみ阻止! グレタ・トゥーンベリさんにノーベル平和賞を! 船橋秀人さんには国民栄誉賞を! 我らの戦術はただ一つ。

              単独決起!!!


※同内容でツイートも投稿しました。ツイッターIDお持ちの方へ。もし共感されたならリツイートして船橋さんの声を拡散して頂けませんか? リツイートもまた「単独決起」の行為なのです!⇒ twitter.com/romanticism2010

 
※次の決起はいつにしようか?>みんな。船橋さんは1月21日に起った。だから4月21日はどうだろう? 春夏秋冬(4/21、7/21、10/21、1/21)の記念日には必ず決起するんだ。誰にも相談せずに(別に相談してもいいけど)自分一人で決断して「単独決起」するんだ。決起記念日には決起あるのみ!

 】霊告【   さあさ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。 公共財の大安売りだ! 正社員の権利売りとばします! 水道利権も売りますよ!  漁業権も売るよ! 辺野古を米国に売ったのは私です! ああ、郵政事業を売りとばしたのも俺様だ! それがどうした? いいですか、国民は貧乏になる自由がある。そして私にはガッポリ儲ける権利がある。そういうことだ。結論を述べよう。日本の公共財はすべて売りとばし予定! かく云うわたくしは、インチキ経済学者で政商の、当用大学グローバル・ノータリンセンター所長の武中兵造でございます。  

 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 

★ダンボールの部屋へようこそ!!! ⇒ コンテンツ総目次&本文へのリンク