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好日5  エロスとタナトス

2007年03月01日 05時00分00秒 | 好日1~5

 


  好日5  エロスとタナトス


  サルサを始める前と後でぼくの人生は変わってしまった。新しい音楽に伴奏され、新しいステップを踏みながら、新しい人生の中にぼくは入って行った。
 サルサにはエロスがある。エロスの神が偏在する場所としてのサルサ。例を示そう。あるパーティからの帰り道、ぼくはこんな電子メールを発信した。
「パーティではなるべくおおぜいの人と踊りたいという気持ちはもちろんあります。でもあなたと手をつないだ瞬間に、そういう気持ちは消え失せてしまいます」
 このメールを発信する瞬間に、エロスの女神が微笑んだのだ。そうぼくは信じる。
「サルサに何を求めるか」と人に聞かれたことがある。その時ぼくは「百二十歳まで生きるための基礎体力作り」と答えた。
 人生の勝利なくして思想の勝利はありえない。だから、エロスの神に援助を求める姿勢を誰も避けてはならない。
 エロスとタナトスが闘っている時には、常にエロスの側に組すべきである。人生と思想に勝利するために。それは最も大事な智慧であり、欠くことができない戦略なのだ。
 これは、『オディール』(レーモン・クノー著・宮川明子訳・月曜社刊)と、『あさま山荘一九七二』(坂口弘著・彩流社刊)の二冊の書物を同時並行して読んだ時のぼくの感想でもあった。「ワニがやにわにオディールをかじる」(クロコディール・クロコディール)という語呂合わせを、ロランが思い浮かべた時には(『オディール』三七頁参照)エロスとタナトスが闘っていた。この言葉にはタナトスが潜在している。しかしエロスの勝利は、そこに含まれる奇妙なユーモアによって予め保証されている。「すいとん、すいとん」と、ある革命戦士がつぶやいた時にも(『あさま山荘一九七二』下・二八五頁参照)エロスとタナトスの拮抗があったはずだ。総括の精神が前進する山岳アジト。そこにはユーモアのかけらもなかった。遊びがなかった。それはタナトスの大々的な勝利の前触れであったのだ。
 『オディール』は、レーモン・クノーがシュールレアリスムの総帥アンドレ・ブルトンに出会ってから決別するまでの経験を凝縮した小説であり、『あさま山荘一九七二』は、森恒夫・永田洋子に次ぐ連合赤軍の幹部であった坂口弘による連合赤軍事件の総括の記録である。
 シュールレアリスムと連合赤軍事件。ぼくの青春の記憶をよぎっていったこの二つの精神運動。一方はエロスの、もう一方はタナトスの化身と目されそうな二つの運動であるが、シュールレアリスムの運動の中にも混乱と悲哀と消耗は隠されており、したがってタナトスは潜在していた。タナトスだけが乱舞するかに見える『あさま山荘一九七二』という書物の中にも、たった一瞬であるがエロスの神が横切っていく。陰惨な頁を読み進む果ての果てにその場面は待っていた(第二九章「武装闘争の清算と出国拒否」参照)。一瞬の光。あとは闇。
 個人の生活にも、ここに紹介した書物の中にも、そして今この世界の上でも、エロスとタナトスは相争っている。「見失うなエロスを、屈するなタナトスに」。呪文のように、ぼくはこう呟く。



坂口弘は日本赤軍による出国要請を拒否し死刑囚として獄中に残る決断をした。


好日4  未来は長く続く

2007年03月01日 04時00分00秒 | 好日1~5

    好日4  未来は長く続く             


  水底の岩に落つく木の葉かな
 この丈草の句は、時間が停止したある瞬間を切り取っている。映画のフィルムを逆回転するように時間を溯ってみよう。木の葉は岩から離れ、水面に向かって上昇を続ける。水面を浮遊しつつある時点で木の葉は空中へと飛翔を始める。螺旋を描いて、木の葉は今故郷である木の枝の先端に戻ってきた。茶から、緑へ、そして色が剥がれていき、葉は白くなり、ずんずん小さくなっていく。やがて木は種子に還元され、種子は自らを育んだ元の木へ帰る。遠くはるかな植物の生命の元素へと至る時間の旅。生命の発端へ至る旅。かくして読者は、生命の発端からみはるかすのだ。時の終点たる水底の岩に落ついた木の葉を。ここでいう「落つく」という措辞は、それほどの時の経過を意味する。どんな生命も木の葉同様に、生命の発端からの時の経過を、それ自らの中に含んでいる。そんなことを直観させてくれる丈草の句だ。
 旅の記憶をひとつだけ語ろう。大阪に旅行して、道頓堀にあるカプセルホテルに泊まったことがあった。道頓堀の通りに立ち、ビルの上階にあるカプセルホテルに昇ろうとしてエレベーターのボタンを押した。通りの向かい側に居た小さな男の子が、さきほどから私の様子を伺っていたのに気付いた。何を思ったかその子が、こちらの方にトコトコと歩いてきたのである。そして「泊まるんか?」と聞いてきた。ずいぶん人なつこい子供だと思いながら、私も大阪弁で、「そうや、泊まるんや」と答えると、その子はにっこりと笑って、「ほんまか」と言い、大きくうなづいて、またトコトコと元のところへ戻っていったのである。その時私は大阪への旅情を真に感じた。あの人なつっこさは大阪特有のものだと思った。何年も昔の対話であったが、心に染み透る言葉を交わした記憶として、私の心の中に今もはっきりと刻み込まれている。
 時を溯っていく。その主体の意識の中に「旅」という概念は生まれる。木の葉の旅と人間の旅。木の葉もまた自らの「旅」の意識を持つだろうか。おそらく持つだろう。さすれば、われらみな「木の葉の旅」を続ける同類なのではなかろうか。「水底の岩に落つく木の葉かな」。すべての生命に向かって捧げられた弔辞なのか、それは。いや、賛辞だ。水と岩と木の葉の出会いを用意したはるかな時間への、それはオマージュなのだ。
 ずいぶんと長い時が過ぎたものだ。そんな実感をもてあそんでいた私に。衝撃的な書物が待ち伏せていた。ルイ・アルチュセールの自伝『未来は長く続く』だ。未来を語るのは反動的だとは誰の言った言葉だったか。しかし、死者は蘇りて未来を照らす。そこにこそ真実があった。これほどまでに真摯に自己を語り、自己を語ることが同時に思想を語る書物に、私はいままで出会ったことがなかった。時が用意する出会いというのが確かにある。だが、「ここに記したよりも多くを知り、多くを語ることができると思う者は遠慮なく発言していただきたい」と書いた五年後に、アルチュセールはこの世を去っている。
 こんな短文であっても、書き始めるのはむずかしく、書き終えるのはもっとむずかしい。しかし私はここに記したよりも多くを知り、多くを語ることができる。それはやがて証明されるだろう。なぜならば「未来は長く続く」からだ。Q・E・D

南国の夜、日野てる子


 


好日3 君は小林秀雄を見たか

2007年03月01日 03時00分00秒 | 好日1~5

 好日3 「君は小林秀雄を見たか」   


最近観た映画ーデビッド・リンチ「マルホランド・ドライブ」
最近読んだ漫画ー竹宮恵子『天馬の血族』全二十四巻
最近聴いた音楽ールービンシュタイン演奏のショパンの夜想曲
最近読んだ小説ージャック・ケルアック『路上』
最近聞いた愉快な一言ー「だまされたっていいじゃないか」
最近笑った駄洒落ー(別件です)「ベッケンバウアーです」

 情報誌の中に小林秀雄の講演の記事を見つけた時は目を疑ったものである。まず本当にこれはあの小林秀雄の講演なのだろうかという疑いがあった。もしかして同姓同名の学者か何かの間違いかもしれない。もしそういう人がいるとしてだが。しかし福田恒存のシェイクスピアに関する講演の後に小林秀雄の登場で、しかも演題「無題」とくれば、これはやはり本物の小林秀雄の可能性が高いと思わざるを得ない。そこで私は出かけることにした。
 会場の三百人劇場ではどこから情報をかぎつけたのか開場一時間前だというのに、既に長蛇の列が続いていた。私が列に並んだころには既に会場の定員をとっくにオーバーしており、それからも続々と入場希望者は駆け付けた。やがて開場になったが、主催者の発表では入場者は六百人に達したそうで、そのほとんどが小林秀雄の講演目当てで集まったのは疑いようもなかった。
 約一時間で福田恒存の講演が終り、真打ち登場という感じで小林秀雄が登壇した。満場の拍手。小林秀雄は演壇の椅子にどっかと腰を下ろした。拍手は鳴り止んだ。一瞬の内に静寂が支配した。コンサートでピアニストが着席し、演奏の開始を待つ一瞬に似た光景。しかしなかなか小林の演奏は始まらなかった。小林秀雄はまず会場をゆっくりと眺め渡した。しばしの時間が経過する。観客は固唾を呑んで小林秀雄を注視している。椅子の座り心地にもようやく慣れ会場のウオッチもすまして得心がいったかに見えた小林は、講演をしにきたのに今初めてきずいたかのように、次の動作に移った。腕時計を外してから話し始めようと考えたようであった。ところがこの腕時計がなかなか外れなかった。何度も外そうとするのだがどうしても外れない。すでに着席してから何分も経過している。会場の観客は、腕時計が外れないと、小林秀雄の講演は始まらないのを直観的に悟ったようであった。そこで誰も一言の不満も口にせず、小林が腕時計を外すのを待ち続けた。
 あれは本当に奇妙な時間だった。六百人もの人間が、一人の腕時計を外すだけの動作に、何の不満も示さずじっと見入っていた。やがて腕時計は無事に外れ、小林秀雄の講演が始まったが、それは言霊が六百人の観客を支配した希有の光景であった。

 記憶は魂に刻み込まれた真実であり、切れ切れに浮かび上がるそれらの光景は、一見たがいに無関係に見えようとも、ちょうど深海の底がすべての海に繋がっているように、人格の同一性によって根底において繋がっている。分析力が、浮かびあがった切れ切れの記憶をとりまとめ、その内的な繋がりを極めようとして思考を開始する時、私とは誰かという古くからの永遠の問いが新たになるのであろう。真理は海のようであって波頭と底の両方を持つ。時間の永遠性と海の宏大さ。白紙の中に私はいつも海を見た。


【小林秀雄 講演】 昭和五十一年三月六日   於・三百人劇場


好日2 絶対との遭遇

2007年03月01日 02時00分00秒 | 好日1~5

 好日2 「絶対との遭遇」


 夏にはいつも帰省することにしている。福井県の若狭高浜。そこがぼくの故郷だ。家族と日本海側最大の海水浴場がそこには待っている。夏は、それゆえぼくのイメージでは、海と田舎と家族の思い出にいつもつながっている。
 今年の夏は、鈴木道彦訳・プルーストの『失われた時を求めて』の第一巻を携えて帰郷した。すでに全巻読み了えたのであるが、もういちど冒頭の第一巻・第一部「コンブレー」の部分を再読したいと思ったのだ。
 大きな物語が終わった後の余韻のような趣が「コンブレー」の章にはある。『失われた時を求めて』という物語は終わりから始まっている。全体を直観できる人のみが、じつは「コンブレー」の最良の読者であり、まだ物語の全体を知らない人には非常にとっつきにくいわかりにくさが秘められている。プルーストの無意識がそのまま無造作に投げ出されているかのごとき印象。
 例えばこういう一節がある。
「光の感覚はまるで夏の室内楽のように、ハエどもが目の前で奏でるちょっとした音楽会によっても与えられる。人間の音楽にも、たまたま美しい季節に耳にしたために、次に聞くときこの季節を思い出させる旋律があるが、ハエの音楽はそのような仕方で光の感覚を喚起するのではない。もっと必然的な絆で夏と一体になっているのだ。よく晴れた日々に生まれ、そのような日々とともにでなければ蘇生することのない音楽、そのような日々の本質をいくぶんか内に潜めているいるこの音楽は、ただ単に私たちの記憶のなかに夏の晴れた日々のイメージを呼びさますだけではない、その日々がたち戻ってきたこと、それが実際に目の前にあり、私たちをとりまき、直接近づけるものになっていることを保証しているのである」
 なんと美しい文章であることか! プルーストの魂の奥底からわき上がる透明な泉の水のような美しさに充ち満ちた文章。夢みる人プルーストには、ハエの音楽がただちに無意識の記憶を呼びさます。プルーストはその記憶と一体になった音楽によって包まれてしまっている。なんと無防備な生活者であることか、プルーストは。しかし危険なまでの無防備さで夢みつづけたプルーストの生涯は、一冊の書物の中に、宇宙に匹敵するほど宏大な世界を建立する奇跡を実現したのである。
「自分の存在を生活する代わりにこれを夢みる人間は、必ずや絶えずその過去の歴史の無数の内容を目前に開展してゐることであろう」(高橋里美訳・ベルグソン『物質と記憶』)
 ベルグソンが理論によって予告したことを、プルーストは芸術作品の完成の中において実現した。
 プルーストの後にもなお文学は存続できるであろうか。できるとすればどのような方法によって。どんな内容によって。ロープ際に追い詰められたボクサーのような気分を携えて、ぼくは故郷から東京に舞い戻ってきた。平成十四年の秋、それでもぼくはまだ生きていかねばならない。自分自身を克服する旅はまだ続く。
 宇宙は豊かである。貧しいのはただ自分の心だけだ。プルーストはそのことを万人に告げた。
 いまはただプルーストへの敬意をここに記すのみ。


 
若狭高浜:
日本海側最大の海水浴場


好日1 絶対への入口

2007年03月01日 01時00分00秒 | 好日1~5

 ぼくは絶対への入口を探していた。
 ベルナール・アンリ・レヴィが来日し、その講演会があるということで、期待は大きかったので、お茶の水の日仏学院には一時間も前に着いたのだが、講演開始はさらに予定より一時間も遅れることを知らされたのであった。
 そこで仕方なく、日仏学院の廊下をぶらぶらしたり、中庭を眺めたりして時間をつぶしていた。建物や中庭はまるでパリの一角をそのまま切り取って持ってきたような印象があった。内部の見物にも飽きた頃に、休憩のコーナーにビデオ映画が上映されていることに気付き、なにげなく見始めたのだが、講演を聞きにきた事も忘れてしまうほど、その中身に引き込まれてしまったのである。
 映画の内容は、ブルジョワの青年が、夜のパリの中を恋人を必死になって探し回るだけものなのであるが、妙にリアリティがあって、きっと何かの文学作品の支えがあると思われた。エンドタイトルで、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の「スワンの恋」を脚色したものと知ったのであった。
 ベルナール・アンリ・レヴィの講演は「哲学と文学のあいだ」というテーマで行われた。これほどの知性、これほどの情熱が、一回の講演に注がれた例を、ぼくは他に知らない。公演が終わってから、彼の著作『人間の顔をした野蛮』を読んだけれども、あの独特の緊迫した語り口は、翻訳ではほんの少ししか伝わってこない。いずれにせよ、哲学は、一回性の演劇ごときものとして、再現不可能な、ただ記憶の中にだけその本質をさらけだすものとして、私の前に、その日登場したのであった。
 ところで、プルーストの『失われた時を求めて』であるが、映画の「スワンの恋」をその日見たことは、かえってプルーストの世界への入り口を遠ざける原因になってしまった。というのも、映画の「スワンの恋」は、原作のエッセンスを、一夜の緊迫した劇に構成し直しており、その映画に感動してプルーストを手にしたものの、原作の「スワンの恋」は数年の長い事件であって、その事件や場面にはしばしば哲学的なコメントがはさまって、息の長い、奥行きの深い、映画とは対照的なリズムを持っているのであった。映画と似た感動を期待していたぼくは、すっかり肩透かしを食わされたのであるが、二十世紀最大の古典への入口は、やはりあの日に開かれていたのだと思わざるを得ない。
 これほどまでの遠回りをした後で、つい最近、鈴木道彦氏訳の「スワンの恋」を読み、映画の「スワンの恋」とは対照的な、文学作品としての「スワンの恋」の楽しさ・面白さ・奥深さを知ったばかりなのである。今となっては『失われた時を求めて』ほどの傑作を、ぼくから遠ざけておいてくれた機縁を、感謝したい気持ちでいっぱいなのである。
 『失われた時を求めて』という作品は、絶対への入口を探し求めた作家プルーストの創造的自伝である。無名の語り手は、永遠を魂の中に確実につかみとり、作品を書くことを決意して、その物語は終わるのであるけれども、ぼくもまた絶対への入口を求めて、お茶の水駅に降り立った十七年前の記憶が、いまや鮮明に蘇ってくるのである。

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ベルナール・アンリ・レヴィ