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好日15    全世界を獲得するために

2007年03月01日 15時00分00秒 | 好日11~15

 


 好日15    全世界を獲得するために



 サルトルが亡くなったのは一九八〇年だが、その同じ年に父が亡くなった。父を失った時にぼくは失業中だったからとてもよかった。というのも子供のころからぼくは父によくなついていた。自営業でわりと暇だった父の後に金魚のふんのようにくっついていろんなところへ行った。父は、子供の頃のぼくにとってはまず遊び友だち、そして対等に議論できる兄弟、時々は何でもいうことを聞かせることのできる家来だった。世間でよくある父親への反抗心は、ぼくにはまるでなかった。さすがに成人してからはそれほど親しい仲でもなくなったが、父の死は自分にとっても貴重な幼年時代が失われるに等しく、巨大な精神的打撃であり、約半年間ほどは立ち直れない状態に陥ってしまった。どうせ何もできない状態だったので、失業中だから丁度よかったのだ。

 最近シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『別れの儀式』を読んでいてとても感動的な一節に出会ってしまったので抜き書きする。

 ボーヴォワールがサルトルに質問する。
――あなたが全面的に敬意を抱いている人びとは、十九世紀に言われていたような「絶対への渇望」を持っている人びとではないですか。
 サルトルはこう答えている。
――そう、きっとそうだな。すべて[全体]を欲する人びとだ。それこそわたし自身欲したものだ。もちろん、すべてに到達しはしない。けれどもすべてを欲すべきなのだ。

 この対話に示された考え方こそ、六八年五月革命の精神である。部分的な譲歩ではなく、全世界を獲得することを望む。これこそ永遠の青春が掲げる〈絶対的反逆〉のマニュフェストなのだ。

 六八年五月の精神はいまどこを漂っているのだろう。もはやそれは決定的に失われてしまったのか。歴史のエピソードでしかないのか。いや、六八年五月の精神は復活しつつある。
 種々の兆候がそのことを証し立てている。まず兆候としてサルトルの復活がある。今年の秋に邦訳されたベルナール=アンリ・レヴィの『サルトルの世紀』。これはサルトルを二〇世紀を体現する全体的知識人としてとらえ、総括的な評価を与えようと試みた野心作である。次にサルトル生誕一〇〇年記念の国際シンポジウムの開催。これらのイベントを通して、新しいサルトル、始まりのサルトル、生きているサルトルが、二一世紀に身を現したのである。少なくとも私にとって、サルトルは今年初めてその本質が開示された新しい思想家であった。

 歴史に名を成したサルトルと、無名の庶民であった私の父。

 一九八〇年には、サルトルの死は私にとって蟻一匹の死くらいのリアリティしかなかった。それに対して父の死は巨大な遊星の墜落のような衝撃であった。とはいえ二五年も経ったのだから、いつまでも甘えてばかりいられない。そろそろぼくも父から精神的に自立しなければならない。今は父よりサルトルの方が大事だ。というとかわいそうな事になるので、サルトルと父はほぼ同格だ。

 二〇世紀を体現する全体的知識人ジャン・ポール・サルトル。この人を必死になっていまぼくは追跡している。何のための追跡なのか? 答え-全世界を獲得するために。

★サルトルと論争したアルベール・カミュ  ノーベル賞受賞時の映像★


好日14   わが友アドルフ

2007年03月01日 14時00分00秒 | 好日11~15

 


  
好日14   わが友アドルフ
 


                   
  大きなリスクをあえて引き受ける際には、自分自身を客観的に突き放して見つめる精神的余裕が必要であろう。自分自身が、ある状況の中にいる当事者であるにもかかわらず、その状況の中から一歩抜け出でて、状況を高みから見下ろすことのできる第三者的視線が必要なのである。

 ではそのような第三者的視線はどうすれば獲得できるのか。それにはまず自己自身の出自を不断に問い返すことにより、いまいるこの場所は異郷であるとの意識を研ぎ澄ますことが必要であろう。それにより自分を異邦人とみなすのである。

 だがそれだけではまだ足りない。孤独宇宙の闇の中から手を伸ばし、自分に与えられた使命を掴み取るのだ。
 さて危機に耐えるには、魂のパワーを増幅しておかねばならない。不屈の精神力を養成するには、芸術とりわけ詩と音楽の力を借り、幻視力を鍛えることが必要である。その幻視の中身とは、物語の原型であるところの貴種流離の感覚=流され王の予感を心中に育むことに尽きるのであるが、これは現実と夢の境界線で生きることに他ならないから、実行するとなると多大の危険を伴う。夢見る才能は、そこに社会的な実績が伴わなければ、変人もしくは狂人扱いされてしまう恐れがある。

 欧州の伝説によれば、悪魔の前身は天使であった。この堕天使の話も、一種の貴種流離譚であり、そのバリエーションである。「ベルリン天使の歌」で天使役を演じたブルーノ・ガンツが、「アドルフ・ヒトラー最後の十二日間」でヒトラー役を演じたことは、極めて適切な配役であったと言える。天使を演ずることのできる者のみが、悪魔を演ずることができる。悪魔は堕天使だからである。ヒトラーには通常の悪人や狂人とは同列にみなせない堕天使の相貌が漂っていた感がどうしても否めない。あらゆる時代や民族から距離を置いた異邦人の感覚を保持してヒトラーは語っていた。

「概してどんな時代でも、ほんとうに偉大な民衆の指導者の技術というものは、第一に民衆の注意を分裂させず、むしろいつもある唯一の敵に集中することにある。(略)これが自己の正義に対する信頼を強め、正義を攻撃するものに対する憤激を高めるのである」(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』平野一郎・将積茂一訳)

 小泉純一郎氏の政局を作り出す類い稀なる才能も、本質的にはここに述べられた技術の応用に他ならない。しかし貴種流離の感覚=流され王の予感を自らの内に育むことができる者だけが、ここに述べられたような技術を駆使できるのであって、それは誰にも使こなせる技術ではそもそもない。小泉純一郎氏の「わが闘争」の原理が考察できたからといって、直ちに小泉純一郎氏を越える政治家が出現するだろうと期待するのは早計なのである。

 トオマス・マンは、リヒャルト・ワグナーについての講演の中でこう語っている。ー「賛嘆の天分、愛し学ぶ能力、わがものにし、同化し、改変し、個性的に造り上げていく力が、あらゆる偉大な天賦の才の根底にある」(岩波文庫『リヒャルト・ワグナーの苦悩と偉大』青木順三訳)。そう、その通りなのだ。

 足許がぐらぐら揺れている。地球が揺れている。自らのフットワークによって地球の揺れを止める新しい肉体の創造を! 必要なのは新しい肉体である。

★1900年のベルリン  この年ヒトラーは11才


好日13   信じることと知ること

2007年03月01日 13時00分00秒 | 好日11~15

 


  好日13   信じることと知ること                          



 昨年末のスマトラ沖地震の際に、タイのプーケット島では、まず引き潮が起こり、次に津波が襲った。津波のメカニズムに極めて無知であったタイ当局は、警報を出すこともなく、そのため被害は拡大したのであった。ところで、竹内均の仮説によれば、これと同じ現象は聖書にも記載があり、モーゼによるエジプト脱出のエピソードがそれである。

 紀元前千四百年頃、エーゲ海のサントリニ島で火山の噴火があり、噴火口の大陥没が起こった。その陥没に向かって海の水が引き寄せられた。この引き潮によって、海が開き、モーゼに率いられたユダヤ人は、紅海を徒歩で渡った。サントリニ島では、やがて海水が柱のように立ち昇り、それが落下し、紅海へ向かって津波が押し寄せた。ユダヤ人を追うファラオの軍勢は、海の水に呑み込まれて、藻屑と消えたのである。古代のユダヤ人は、エーゲ海で起こった巨大地震のことを知らなかったが、モーゼの行った、海を開くという奇跡は、そのままに信じた。信仰という神秘。心の不可思議。信じることは魂の働きであり、知ることは脳の働きである。

 川端康成の『掌の小説』の中に、記憶に残る、印象的な一編がある。正確には覚えていないが、きっとそれはこんな話だった。・・・・・

  恋人が急死したので、急いで旅を切り上げ、恋人の自宅に戻った。枕元に座ると、母親は気をきかせて、部屋から出て行こうとする。出掛けに母親は、「娘はそれは苦しみましたのよ。でも貴方が帰って来てくれて、これで安心ですわね。ゆっくりと会ってやってください」と私に告げた。悲しみのただ中で、静かにさとすようなその物言いが、私には不審であったが、その謎はすぐに解けた。覆いを取るとそこに現れたのは、苦しみながら死んでいった恋人の顔である。どれほどの苦痛の時が流れたことであろう。この顔は、その苦痛のほどを確かに物語っている。私が死目には間にあわないだろうと悟った時の恋人の苦しみは、いかばかりであったろう。その苦痛は小さくあってくれと私は願った。いや限りなく大きくあってほしいと考え直した。どちらであってほしいのか分からない。心は千々に乱れた。

 目の前には恋人の顔があった。その顔は私が記憶している恋人の顔とは違っている。ゆがんだ唇をもとに戻した。指でまぶたを押さえてみた。手を頬に当ててさすった。気がついた時、そこには、いつもと変わらぬ恋人の顔が戻っていた。その時、部屋に母親が入ってきた。「ああ、娘が、娘の顔が! 迷いが去ったのですわ。あんなに苦しんでいたのに。貴方に会えて、それだけで娘は・・」。

 そうではないんですよ、お母さん、と説明をしかけて、私は口を噤んだ。何を知っているだろう、この私が。母親の心の中で生じたこと。それこそ知るに値する神秘ではないか。母親は私と娘の間に起こった愛の奇跡を心から信じている。そうだ。信じることは知ることより格段に難しく価値あることだ。心眼に映った恋人の顔。その顔は私に「戻してくれ」と確かに訴えていた。恋人は私の手を一瞬だけ神の手に変えてしまったのだ。そんなことをその時、私はぼんやりと考えていた。・・・・・

 川端康成の掌編小説のこの要約は、元のものと異なっている。「信じることと知ること」というテーマに添って、私は元の小説を書き換えてしまったからである。川端康成の撒いた物語の種子は、私の心の中で育ち、いま妖しい花を咲かせたのだ。

★小林秀雄の聲、それはひとつの"奇跡"★


好日12    諸学の統一

2007年03月01日 12時00分00秒 | 好日11~15

 


    好日12    諸学の統一


 

  諸学の統一は、デカルトが三五〇年前に抱いた野望であった。その野望が達成される時期が、刻一刻と近付きつつあるという気配が、私の実感によれば、濃厚なのである。

 諸学の統一だって? 統一どころか、学問はますます細分化されつつあり、同じジャンルの研究者だって隣の研究室で何を研究しているか分からない。統一どころではない。事態はまったく逆の方向へ進んでいる、それが現代の常識ではないか、とあなたは言うかもしれない。しかし・・・

 二十一世紀の科学は、次第に脳研究へ向けて収斂されていく気運が濃厚である。脳研究は科学の最後のフロンティアとも言われている。ところが、この脳研究において、従来の科学の方法論はまったく無効とまではいえないものの、科学のそれぞれの領域から科学者がそれぞれに持ち寄った知識と方法論を駆使して研究しても、なお成果は微々たるものであり、方法論それ自体の模索がなお続いているというのが現状らしいのである。

 その意味で脳科学はいまだガリレオ出現以前の段階にあり、新たな方法論の確立に向けて、深い混沌が支配している状況である。心と脳の関係を根本的に問う新たな学問の樹立を待ち望む精神的雰囲気が、次第に色濃く立ち現れてきているのである。

 すなわち、諸学の統一の理念の再生なくして、二十一世紀の科学のメインテーマである心脳問題の解決はない。したがって論理的な必然性によって、諸学の統一は今世紀中に達成されるであろう。これが今年になって私に訪れた最初の直観であった。

 ところで、そういう課題を誰が担うことになるのか、それは分からない。ただ、晩年の小林秀雄は繰り返しベルクソンの『物質と記憶』という書物の重要性を語っていた。そして心脳問題の理解を深めていく課題を自らに課していた。その努力は極めてデモーニッシュなものであり、大著『本居宣長』はその神懸かり的な達成であったという見方も可能である。小林秀雄は、新たなるデカルト輩出の準備を整えて、あの世へ去っていったのだ。

 「真理を探求するためには、一生に一度は、あらゆる事柄について、可能なかぎり疑わなければならない。」(デカルト『哲学原理』三輪正・本田英太郎共訳)

 このデカルトの孤独な決断が、二十一世紀のいまここで、もう一度だけでいい、その全き姿で蘇らなくてはいけないのである。

 正月休みに帰省した。その時にこんなふうな反省を私はしたのだった。この家で生まれ育った私は、東京へ旅立つことになった時に、どんな初志をいだいたのであったか。金持ちになりたいと思ったのであったのか、権力を持ちたいと思ったのか、名誉が得たいと思ったのか。いや、それらのどれでもなかった。勿論それらの欲望も、少しはあったけれども、最大の志は学問を究めること、知の究極に達することであったはずだ。あの時の少年はいまどこにいるのか。いったい今の自分に、どれだけの確実な知があるだろう。あれやこれやと彷徨っただけで、確実なことは何一つといって身に付いていない。無知の極みではないか。これが自分の結果ということであっていいのか。初志を、その一念を忘れないで、もう一度再出発したい。これが、平成十七年度の初春に抱いた私の感慨であった。

 一生に一度の決断を実行する時節が今私にも訪れたのである。


★代数学と幾何学の間に橋を架けたルネ・デカルト ★


好日11   二十一世紀のゲーム

2007年03月01日 11時00分00秒 | 好日11~15



  好日11   二十一世紀のゲーム



 インターネットで簡単に株が変えるという話を聞いて、さっそくオンライントレード専門の証券会社から資料を取り寄せて申し込んだ。まず証券会社に自分の口座を作り、そこへ金を振り込んでおく。あとは発行されたIDとパスワードを使って、買いたい銘柄と購入したい株数を入力するだけで、用意した資金分の株がすぐに買えてしまう。パソコンの端末を通して外国の会社の株でも簡単に買うことができるのである。中国の株などはまだ値段がずいぶん安くて知名度の高い会社でも一株五十円くらいで二千株買うのに十万円くらい資金を用意すれば買うことができる。

 いつでも株が買える状況を作っておくと、いままでよりもずっと株の世界が心理的に身近に感じられるようになった。インターネットを利用した株の取引は二十代の若い世代にも拡がっており、誰もが世界市場とダイレクトにコンタクトを取ることが可能な時代である。携帯のユーザーが十代にまで拡がったと同様に、あと十年もすれば、株式取引も一挙に低年齢化し、株式市場でゲーム感覚で遊ぶ世代が大量に参入するだろう。

 ところで、株式市場は、買いで一致すれば暴騰し、売りで一致すれば暴落する。混沌の世紀がこれから本格的に始まるのではないか。いままで誰も経験したことのないゲームがもうすでに始まっているのだ。楽天・ライブドア・ソフトバンクといったIT企業によるプロ野球参入の動きなどはその序曲である。

 一年ほど前は八千円くらいした西武鉄道の株価が、十一月に入って四百円を切った。西武株の購入単位は二千株だから、一千六百万円で買ったものが八十万円にまで下がった勘定になる。一銘柄だから問題は小さいが、一国経済に換算すれば、破滅的な大恐慌の数値である。無名の中小企業ライブドアが一挙に全国区になったのとはあまりに対照的である。一千六百万円が一年で八十万円になるということは、その逆も理論的にはありうるということである。無数のバブルが泡立ち、恐慌の嵐が吹き荒れる。何が起こるか分からない時代が始まったのだ。そこでは思考スピードがますます加速されていくだろう。

「三年後には、わが社のつくる製品はすべて時代遅れになるだろう。唯一の問題は、われわれがそれを時代遅れにするか、それともほかの誰かがそうするか、である」(ビル・ゲイツ著『思考スピードの経営』大原進訳)

 通信と金融が、思考スピードの革命が大きく進展している二大領域である。通信も金融も精神的価値と無縁の世界に見えて、じつは決してそうではない。まず通信は感覚の拡大であるし、金融工学は主観の変動を確率の予測に組み込んだ推測のテクノロジーへと進化している。文学と数学がハイテンポで歩み寄りつつある気配がある。簡単に言えば、言葉に頼り過ぎるのも、数字に頼り過ぎるのも、もはやどちらも時代遅れなのである。

 ランボーのアンドロイドを復活させて、二十一世紀中葉に向けて解き放ちたいと思う。この思考実験の中で、意義のあるのはただ一つ。あらゆる天才は金銭感覚も人と違ってユニークであったということ。ランボーは十代の少年の頃、金利生活者を夢み、放浪詩人の時代を経て、砂漠の商人として果てた。我々もまた、ランボーのアンドロイドと一緒に、二十一世紀のゲームを再開しようではないか。ランボーの歩みを、まねようではないか。 


 ★砂漠の商人アルチュール・ランボー★