好日15 全世界を獲得するために
サルトルが亡くなったのは一九八〇年だが、その同じ年に父が亡くなった。父を失った時にぼくは失業中だったからとてもよかった。というのも子供のころからぼくは父によくなついていた。自営業でわりと暇だった父の後に金魚のふんのようにくっついていろんなところへ行った。父は、子供の頃のぼくにとってはまず遊び友だち、そして対等に議論できる兄弟、時々は何でもいうことを聞かせることのできる家来だった。世間でよくある父親への反抗心は、ぼくにはまるでなかった。さすがに成人してからはそれほど親しい仲でもなくなったが、父の死は自分にとっても貴重な幼年時代が失われるに等しく、巨大な精神的打撃であり、約半年間ほどは立ち直れない状態に陥ってしまった。どうせ何もできない状態だったので、失業中だから丁度よかったのだ。
最近シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『別れの儀式』を読んでいてとても感動的な一節に出会ってしまったので抜き書きする。
ボーヴォワールがサルトルに質問する。
――あなたが全面的に敬意を抱いている人びとは、十九世紀に言われていたような「絶対への渇望」を持っている人びとではないですか。
サルトルはこう答えている。
――そう、きっとそうだな。すべて[全体]を欲する人びとだ。それこそわたし自身欲したものだ。もちろん、すべてに到達しはしない。けれどもすべてを欲すべきなのだ。
この対話に示された考え方こそ、六八年五月革命の精神である。部分的な譲歩ではなく、全世界を獲得することを望む。これこそ永遠の青春が掲げる〈絶対的反逆〉のマニュフェストなのだ。
六八年五月の精神はいまどこを漂っているのだろう。もはやそれは決定的に失われてしまったのか。歴史のエピソードでしかないのか。いや、六八年五月の精神は復活しつつある。
種々の兆候がそのことを証し立てている。まず兆候としてサルトルの復活がある。今年の秋に邦訳されたベルナール=アンリ・レヴィの『サルトルの世紀』。これはサルトルを二〇世紀を体現する全体的知識人としてとらえ、総括的な評価を与えようと試みた野心作である。次にサルトル生誕一〇〇年記念の国際シンポジウムの開催。これらのイベントを通して、新しいサルトル、始まりのサルトル、生きているサルトルが、二一世紀に身を現したのである。少なくとも私にとって、サルトルは今年初めてその本質が開示された新しい思想家であった。
歴史に名を成したサルトルと、無名の庶民であった私の父。
一九八〇年には、サルトルの死は私にとって蟻一匹の死くらいのリアリティしかなかった。それに対して父の死は巨大な遊星の墜落のような衝撃であった。とはいえ二五年も経ったのだから、いつまでも甘えてばかりいられない。そろそろぼくも父から精神的に自立しなければならない。今は父よりサルトルの方が大事だ。というとかわいそうな事になるので、サルトルと父はほぼ同格だ。
二〇世紀を体現する全体的知識人ジャン・ポール・サルトル。この人を必死になっていまぼくは追跡している。何のための追跡なのか? 答え-全世界を獲得するために。
★サルトルと論争したアルベール・カミュ ノーベル賞受賞時の映像★