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好日45 アジア主義とは何か

2013年05月17日 08時42分14秒 | 好日21~45

 日本を罵る中国人は醜い。中国を罵る日本人も同程度に醜い。隣国を非難して止まないこうした下等人類は日中双方に同程度の比率で存在する。かつその比率は年々増加している。アジアの道徳的堕落が進行しているのだ。だが絶望するのはまだ早い。日本にも朝鮮にも中国にもアジア主義は生き続けている。

 アジア主義とは誰が最初に言い出した言葉なのか。それは私は知らない。だが、はっきりとアジア主義という論題を掲げて公衆の面前で演説した人間がいる。孫文である。

「惟うに我亜細亜というのは即ち世界文化の発祥地である、世界最初の文化は即ち亜細亜から発生したのであります(拍手)今日欧羅巴の一番古い文化の国である所の希臘の文化にしても、又羅馬の文化にしましても、夫等の文化は総て亜細亜の文化から伝えられたのであります(略)。 

 東洋の文化はこの四百年において確に欧洲文化に及ばないけれども、彼等の文化というのは何であるかというと、即ち唯物質的文化であり、又武備武力によって現れる所の文化である(拍手)即ち亜細亜の昔の言葉を以て評すると、欧洲の文化というのは霸道を中心とする文化でありまして、我亜細亜文化とゆうのは王道であります(略)。

 この大亜細亜主義というのは何を中心としなくちやならぬかというと、即ち我東洋文明の仁義道徳を基礎としなくてはならぬのである(拍手)勿論今日は我々も西洋文化を吸取しなくてはならぬ、西洋の文化を学ばなくてはならぬ、西洋の武力的文化を採り入れなければならないけれども、我々が西洋文化に学ぶというは決して之を以て人に圧迫を加えるのでなく我々は単に正当防衛のために使うのである、欧洲の武力による文化を学んで非常に進んだのは即ち日本でありまして、今日日本の海軍力も陸軍力も自国の人により自国の技術により、製造力により海軍をも用い、又陸軍をも完全に運用し得たのである。

 そうして又西の方におきましてモウ一ツ土耳其という国があります、これは欧洲戦争の時には独逸に加担して、そうして負けましてから殆ど欧洲各国に分割される境遇になったのであるが、彼等国民の努力獲闘によりまして、之を打破して全く完全なる独立を今日得たのである、即ちこの亜細亜の東において日本あり、又西においては土耳其あり、この二ツの国は即ち亜細亜の一の防備であり、亜細亜の最も信頼すべき番兵である。」(「大アジア主義」孫文氏演説 戴天仇氏通訳)

 このようにして大正一三年神戸において孫文は、日本とトルコがアジア主義を支える二本の柱であることを闡明した。この事実はいまもかわらない。日本とトルコの間には堅き友愛の絆が現に存在する。その友愛の歴史的根拠こそ孫文云うところのアジア主義なのである。

 オリンピックの開催地を巡ってイスタンブールと東京が争っている。2020年度オリンピックはトルコと日本の共催に決定した。たとえイスタンブールと東京どちらの都市に決まろうとその事実は動かせない。日本はトルコが好きだしトルコは日本を愛しているのだから。アジア主義再建の要石は日本とトルコの絆の内に置かれている。日本とトルコの友愛は永遠に不滅である。 

★孫文と宮崎滔天の友愛がアジア主義の土台を築いた★


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完成まで12年6ケ月を費やした労作⇒『好日』 全五十編・ 目次&本文へのリンク


好日44 舌頭に千転せよ

2013年03月08日 22時51分24秒 | 好日21~45

 芭蕉は「舌頭に千転せよ」と弟子たちに教えた。これは千回推敲せよと教えたに等しい。芭蕉の数々の名句はこのようにして生まれた。千回推敲してもなお未熟な作品しか書けていないと反省し続けたのが芭蕉の人生であり志であった。『奥の細道』は百枚足らずの紀行文だが、推敲に推敲を重ねたがついに決定稿が得られないまま芭蕉の寿命は尽きた。未定稿として残された『奥の細道』。「舌頭に千転せよ」の教えを文字通り実践した芭蕉の人生を象徴するにふさわしい作品である。

 連衆(れんじゅう)。「俳席に一座して連句を作る仲間」のこと(『連句辞典』の定義)。「芭蕉は常に新しい連衆を求めて諸国を旅し、それによってマンネリズムを避けた」とある。

 さて、ある日ある時ある場所に連衆が集って連句一巻を満尾するとする。連句の座は通常まず最初に挨拶の句を連衆が創作・享受することをもって開始する。

 ハイデッガーはヘルダーリン講義の中で言葉としての挨拶について次のように述べている。

「神聖な挨拶とは、挨拶されているものに対して、そのものに当然帰せられるべき本質の高さを約する語りかけであり、かくしてこの挨拶されたものをその本質の高貴よりして承認すると共に、この承認を通して、その挨拶されたものをそのあるところのもので有らしめる、そのような語りかけである」

 例。荒海や佐渡に横たふ天の川 芭蕉。これは佐渡に対する神聖な挨拶であろう。近景に海がある。視線を少し上げれば佐渡の島。さらに頭をもたげれば光の渦が目に飛び込む。視線を下降させてふたたび佐渡が目に入り、荒れた海が身近にある。そこでまた視線は上昇を続け、しかるのちにその視線の旅を総括するかの如く、荒海や、佐渡に横たふ、天の川と言葉を連ねる。これらの言葉たちは舌頭に千転されている。しかしその前に芭蕉の旅は脳中に千転していたのである。

 行く春を近江の人と惜しみけり。この句の解釈については既に有名なエピソードとして語られている。例は他にも数多あるが芭蕉の挨拶の意義に関してはハイデッガーの規定がすべてあてはまることだけが分かれば足りる。

 では、友情について、ハイデッガーはどのように語ったか?

「友情は、各個人の可能な限り大きな内的自立からのみ生じてくるのであり、その自立はもちろん我欲とはまったく別のものである。決断における個々人の隔絶にもかかわらず、このとき、ある隠された調和、隠されていることを本性とする調和が成就している。この調和は基本的につねにひとつの秘密である。(ハイデッガー『言葉の本質の問いとしての論理学』)。

 この発言を踏まえて初めて理解できる挨拶がある。「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」。芭蕉の発句に付けた野水の脇句「たそやとばしるかさの山茶花」。この応答には、個々人の隔絶にもかかわらず、ある隠された調和が成就している。

 旅の孤独。そしてつかの間の出会いの喜び。芭蕉においては言葉と心と行動は常に一致していた。それゆえ日本語を母語として生きるすべての人にとって芭蕉はいまなおなつかしい師の面影を宿す存在であり続けている。

★ 芭蕉から遠ざかれば遠ざかるほど芭蕉に近づく  Juice=Juiceだって例外じゃない ★


好日43 ツイッターはペンよりも強し

2012年11月21日 14時05分46秒 | 好日21~45

私が最近注目しているのは大阪市の橋下市長です。ネットでの会見を見たりすると、彼のコミュニケーション・スキルの高さに瞠目させられる瞬間が多々あります。コミュニケータとしての橋下市長には学ぶべき点が多いと感じています。彼は電子ネットワーク時代のコミュニケーション・ツールであるツイッターも完璧に使いこなしている。新しいタイプの政治家の出現を我々は目撃しているのであり、日本維新の会の代表代行でもある橋下市長は、米国におけるバラク・オバマにも匹敵する才能あるコミュニケータであることは間違いありません。

「力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である」(パスカル『パンセ』五章二九八節、中央公論社「世界の名著」)

この断章の意味はこういうことでしょう。力のない正義=旧社会党。正義のない力=政権党時代の自民党。力も正義もない政党=ご存知民主党。正義と力が結合した希な組織=大阪維新の会。では日本維新の会はどうか?

「僕のもの、君のもの。『この犬は、僕のだ』とあの坊やたちが言っていた。『これは、僕の日向ぼっこの場所だ』ここに全地上の横領の始まりと、縮図とがある」(パスカル『パンセ』五章二九五節)。この坊やが成長してその後東京都知事になったならどんなことが起こるか。パスカルはすべてお見通しでしたね。尖閣問題での石原の発言は日本を窮地に追い込みました。

現大阪市長が元東京都知事を呑み込んで出立した日本維新の会。太陽は維新の旗の中に没しました。それは「ツイッターはペンよりも強し」という格言を証明した日であったという意味で歴史的です。コミュニケータとしての橋下徹の才能は石原慎太郎の作家的才能を上回っているという客観的事実がその背景にあります。

①悪を欲して悪をなす。②善を欲して善をなす。③悪を欲して善をなす。④善を欲して悪をなす。さて歴史はこの四種の勢力が入り乱れて形成されます。それゆえに歴史は一筋縄では解けないのである。橋下徹現象というものがある。橋下氏はどのタイプに属するだろうか。おそらく回答は四等分されるでしょう。どれか一つが正解であるとして回答が四等分されたとするならば自分の回答が誤っている確率は75%ある。自分の直観を絶対に正しいと信じるは愚の骨頂である。誰も万能の視力を持っているわけではないのです。神ならぬ人間に歴史を見通すことは不可能です。過去・現在・未来共にこの法則は変わらない。

石原慎太郎と橋下徹の同盟はまことに奇っ怪な結合です。彼らが今後なすであろうことは果たして善行なのか、はたまた悪業のみなのか。当分日本維新の会の動向には目を離せません。

とはいえ私の立場は、紅旗征戎わが事にあらず、であって、政治家の離合集散に、あるいは時事問題にいささかなりとも興味・関心を抱いているわけではない。あるのは純粋に人間的興味であり、歴史の理念の行く末への関心です。詩と歌の領野こそ我がパトリである。それゆえ「手術台の上のミシンとコーモリ傘の不意の出会いのように美しい」と語ったロートレアモンにならって、「ミシンよ、コーモリ傘よ、万国の吸血鬼たちよ、全地上を手術台に変えよ!」とアジテーションを放っておこう。

Marlene Dietrich - Lili marleen song and text


好日42 三島由紀夫と連合赤軍

2012年08月14日 13時08分28秒 | 好日21~45

三島由紀夫の自決と連合赤軍の総括。このふたつの事件は地下でつながっている。その内在する論理はどのようなものであったか。ハイデッガーの一九三四年フライブルグ講義の一節より引用する。

「前線兵士の同朋〔戦友〕意識の基は、彼らが遠く離れた異郷にあって他の人間がいないので自分達だけで集まっていなければならないという点にあるのでもなければ、〔勝利という〕共同の感激をまず初めに誓い合ったという点にあるのでもなく、その基は最も深くそして唯一次の点にある。すなわち、犠牲の死がすぐそばにあることがみんなをあらかじめ同じ虚無性の中へ置き入れており、そのためこの虚無性が絶対的な相互帰属の原因となったのであった。各々の個人がひとりで死なねばならぬ死、各々の個人をこの上なく孤独にする死、まさにこの死と、そして死の犠牲となる覚悟こそが、そこから同朋意識が生まれる共同社会という空間をあらかじめまず第一に創り出すのだ」。(木下康光/ハインリヒト・トレチアック訳『ヘルダーリンの賛歌 「ゲルマーニエン」と「ライン」』 ハイデッガー全集第39巻83頁)

犠牲の死。しかも絶対的な孤独の中の死。これが三島由紀夫の自決と連合赤軍兵士の総括による大量死をつなぐ共通項である。そして彼ら彼女らの抱いた覚悟こそ、「そこから同朋意識が生まれる共同社会という空間をあらかじめまず第一に創り出すのだ」と、ハイデッガーにならって私も断定しておく。戦中・戦前に存在した日本の信念体系は敗戦によって崩壊した。この崩壊した信念体系の再建に向けて行動を起こした最初の自覚者が三島由紀夫であり、それに続いたのが連合赤軍である。発端は三島にある。鍵は橋川文三が握っている。

『鏡子の家』は三島由紀夫の戦後の歩みにとって転機となる作品であった。この批評家たちが「酷評」した『鏡子の家』を橋川文三が、そして橋川文三だけが、ある独自の観点から「評価」した。「元来、ぼくは、三島の作品の中に、文学を読むという関心はあまりなかった。この日本ロマン派の直系だか傍系だかの作家の作品のなかに、ぼくはあの血なまぐさい「戦争」のイメージと、その変質過程に生じるさまざまな精神的発光現象のごときものを感じとり、それを戦中=戦後精神史のドキュメントとして記録することに関心をいだいてきた」。(橋川文三「若い世代と戦後精神」)。この「評価」に三島由紀夫は心打たれた。そしてその後の長く続く三島と橋川の思想的交流が始まったのである。

「御高著『日本浪曼派批判序説』及び『歴史と体験』は再読、三読、いろいろ影響を受けました。天皇制の顕教密教の問題、神風連の思想の正統性の問題など、深い示唆を受けました。いつかそんなあれこれのことについて、ご教示をいただきたいと思ってをります」(昭和四十一年五月二十九日付橋川文三宛三島由紀夫書簡)。

 三島由紀夫の自決と連合赤軍の総括。両者共に謎の多い事件である。このふたつの事件に覆蔵された真理を解き明かすことは日本の思想的再建に不可欠の課題であるだろう。

  ※参考※ ⇒ 橋川文三の文学精神  内容目次@本文リンク


【反撃のデリダ】 「問いを立てるとはどういうことか?」という問いを立てたデリダの陳述



◇今回の記事にはコメントも付いていますのでご参照下さい。クリック  ↓


好日41 吉本隆明への論理的弔辞

2012年05月01日 14時47分30秒 | 好日21~45

バフチンの云う如くドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は究極の対話文学であろう。吉本隆明にとってドストエフスキーは手に余る存在だった。ドストエフスキーにあって吉本に徹底的に欠けていたものは何であったか。吉本隆明の致命的な欠陥、それは一言でもっていえば対話の精神の欠如である。

吉本は本質的にモノローグ作家であった。「ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想 によって ぼくは廃人であるそうだ」。かってこのような表白に私は魅せられたし今もその孤独の場所に無縁ではない。しかし同時にこうも思う。ドストエフスキーの天体に比べてなんと貧弱な世界であることか。

「人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の状況を決定するのは関係の絶対性だけである。ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、じぶんの発想の底をえぐり出してみる。そのとき、ぼくたちの孤独がある」(吉本隆明「マチウ書試論」)

「関係の絶対性」というような最低最悪の概念に影響を受けた多くのインテリ達がいる。彼らはバフチンを求めずドストエフスキーから遠ざかった。「神はあるか、ないか」という問いは彼らに無縁であった。吉本信者達はイワンやアリョーシャに何のリアリティも感じなかった。対話の精神を彼らは追放した。

「関係の絶対性」という概念の貧弱であるであることは吉本自身によっても気づかれていた。「関係の絶対性」は対幻想の領域の発見により、個的幻想・共同幻想との三層による全幻想領域の形に置き換えられる。しかし発端の貧しさはその後どのように取り繕うとも覆いえなかった。吉本は彼の宿命を生きた。

多様な声を聴き取ってその声への応答の内容そのものが思想となり文学となる。それは稀有の事態でありほとんど奇跡である。そのようなことが可能になるには、まず第一にずば抜けた才能が必要であるし、時代的な背景や環境条件も必要である。ユーラシアの地図を広げて対話の精神の高峰を辿ってみよう。

古代ギリシャ。ソクラテスが現れて美青年アルキビアデスと対話を始める。ギリシャから東へ。『アラビアンナイト』の世界。これも対話文学である。さらに東へ。ギリシャ哲学と仏教思想の対話が行われた。『ミリンダ王の問い』はその記録。『法華経』もまた壮大な対話の記録に他ならない。中国・朝鮮を経て日本へ。

『源氏物語』は歌を贈り歌を返す男女による歌の応答が物語の核心にある。紫式部の傑出した天才と、時代的な背景や環境条件が相まって、『源氏物語』はインド・中国・朝鮮の文化を摂取し咀嚼した汎世界的文学として屹立した。既に日本人は平安朝にその美的対話精神を世界に差し出していたのである。

時代は下って、芭蕉の出現。連句は文字通り対話文芸である。前句と付句は別人による一つの詩句の産出である。俳諧の発句に切字があるのは、発句は前句を欠くからだ。一句の中に対話性を導入する工夫である。「行く春を近江の人と惜しみけり」芭蕉。この「と」の一文字に対話性の核心が秘められていた。

★吉本隆明に匹敵する支持を集めた60年代のカリスマ=ヴェルベット・アンダーグラウンド★