解題:葦原風太郎様より管理人宛にて玉稿を寄稿頂きました。一語をも加減せず全文を掲載させて頂きます。なお葦原様の前回の寄稿の掲載はこちらです。
⇒ 【寄稿】 我々日本人こそ世界平和を築く中心勢力となるべき 葦原風太郎
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「国際平和支援法」(恒久法)・「国際平和共同対処事態」規定の、
「言葉は便利、方便だよね!」を指弾する。
葦原 風太郎
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祖国のために散華した「英霊たち」また「多大の戦争犠牲者たち」は、このようにして進む政治過程をどう見ているだろうか。
先の大戦で亡くなった全ての人たちが、再び「栄ある大日本帝国」の再来・再建を望むだろうか。
私、私たちの望むのは「平和国家」であり、「民主主義国家」であり、日本の政治としては「平和路線」であり、「戦争をしない国々・世界」を、望んでいるのではないか。
ウクライナの戦闘で涙に暮れた老婆が「……なにより、平和が欲しい」と言っていた。同感だ。
私自身は「日本の独立・永世中立」を願う。よって自衛隊は国防軍であり「日本領土・国民を守る」とする。
よって「海外派兵・武器売却」などは認めない。「専守防衛」で良い。「国防軍が他国にいる」と誤解が生まれやすい。
そして片方の口で積極的平和主義と言い、片方の口で軍事協力を言いイスラエルにF-35などの部品供給するような「敵を作り、敵よりの守り」を言うのは、全くの詭弁であり間違っていると思う。
今まで日本人は「テロに巻き込まれる」ことはあっても「テロの直接標的になる」ことはなかったのだ。アラブゲリラ達さえ「日本人」は識別し、時には尊敬さえしてくれていた。もう「気楽に世界旅行」など考えられなくなった。
今国会で、総理は「反動を生みつつ、踏み潰し、冨国強兵策を貫徹する」と言ってのけているようだ。
なのに野党議員は、誰も総理の真意が読めないようでもある。今は「平和国家日本の危機」なのだ。
私、私たちは『我々日本人こそ世界平和を築く中心勢力となるべき』ではなかろうか。
武力の『武』の字は「二つの矛の交わりを止める」と書く。その意味である。よって武力の本来的意味は「積極的平和主義」のことである。もしくは「二つの矛の交わりを止める」武力であるだろうか。それは「平和外交」ー政治・討論による認識と互いの肯定ー「仲良くしよう・半分こしよう」のことであるだろう。
「戦後70年・敵を作らないー平和国家建設」そのブランドこそが、日本の繁栄の秘密であり基軸であり、それが世界の人々よりの信頼と称賛を勝ち得たのだと考えている。
よって本来、日本の総理大臣が国会や国連で言うべきは、N・マンデラ氏の言であるだろう。
「勇気ある人は平和のために許すことを恐れない」
「報復するよりも情けをかける方が、この世界ではより多くのことを成し遂げられる」
「人は憎しみを学べるのなら、愛を教えてもらうこともできるはずだ。
なぜなら、人の心にとって愛することは憎むことよりも自然なことだから」
ならば、私たち日本人が言うべきは「普遍的正義と平和」の事柄であるはずだ。
私たち日本国民の歴史を振り返れば……、大航海時代以降の帝国主義の勃興、18世紀ー産業革命の成功により欧米列強は世界各地に植民地を求めた。アジア・アラブ・アフリカ・中南米などは「近代兵器」戦法の前に為す術が無かった。それ以前は「奴隷制・人身売買」そしてこの頃には「植民地争奪戦・支配」となる。
西洋列強が中国・清に目の向く間、日本は「脱亜入欧」を目指し、明治維新・大日本帝国の成立の形を成した。そして「日清戦・日露戦・日韓併合・満州事変(大東亜共栄圏ー満州国)・連盟脱退2.26・日中戦争・ノモンハン(対ソ戦)・太平洋戦争」へと国民総動員しながら、「沖縄地上戦・大空襲・二発の原爆(人体実験)→敗戦」米国下占領統治を受けるに至った。
「神国日本・八紘一宇・大東亜共栄圏」の発想にあるのは帝国主義の理念であり、戦時スローガンとしては「ABCD包囲網 → 狭い日本にゃ住み飽きた・王道楽土 → 進め一億火の玉だ」そして 「万歳突撃→ 一億玉砕」へと向かっていった。これが亡国の論理でなくて何だろうか。
日本という国は大東亜戦争の敗北を受けるまで「他国による侵略・占領」など体験したことが無かった。
日本の軍隊が外敵より国家を守るが為「日本軍」の呼称も不思議でもなんでもなかった。
しかし「一億総懺悔」の無念さと「占領軍GHQ」支配による恥辱も知るなら、まして「廃墟と化した日本」を見たなら「平和への希求」は当たり前の事の筈だった。
だが、今はどうだろうか。
なのに政府自民党・公明党は「敵を作り出し」戦争の準備を始めようとしている。
「国際平和支援法」(恒久法)・「国際平和共同対処事態」との概念を国民の前に提示しようとしている。
「アメリカなら大丈夫だよ」の判断だろうが、如何なものか。
20世紀だけで「我が国との対戦」も含めて、
交戦国として、アルゼンチン・チリ・ハイチ・ハワイ・ニカラグア・中国・朝鮮・パナマ・フィリピン・キューバ・プエルトリコ・グアム・ホンジュラス・サモア・ドミニカ・ハイチ・メキシコ・ドイツ・ユーゴスラビア・グアテマラ・エジプト・レバノン・トルコ・エルサルバドル・イラン・ウルグアイ・ギリシャ・プエルトリコ・ベトナム・ラオス・インドネシア・アンゴラ・リビア・レバノン・グレナダ・ボリビア・バージン諸島・リベリア・サウジアラビア・クウェート・ソマリア・ボスニア・ハイチ・クロアチア・ザイール・リベリア・アルバニア・スーダン・アルバニア・アフガニスタン・イエメン・マケドニア
と、そりゃもう「政治的暗躍・恫喝・内乱誘発・クーデター関与・大統領暗殺・傀儡政権樹立」などなどと「世界の保安官」ぶりを発揮している。
およそインディアンを虐殺するなんて平気だし「黒人射殺」もポリスなら、あ・た・り・ま・え! 暴動鎮圧に軍隊の出動も日常茶飯事のお国がら。インディアンの人権や民主主義なんてどこ吹く風でしかない。
日本が「副保安官」として名乗りを上げるなら、相当の「出費と流血の覚悟」は必要だ。
まして自衛隊の皆さんが外地に赴くなら「敵は区別しない」だろう。しかし「血を流しての血盟」を、誰が望んであるだろうか。
★東日本大震災の時、「トモダチ作戦」などと現地救援を言いながら、「福島原発事故」の発生を知り、彼らが、「即・Uターン」したことを、もう忘れたか?! 安全確認して後の、再度のゴーサインだった。
安倍総理がこのようにして軍国主義化を急ぐのは、「湯川氏・後藤健二氏の惨殺」が「契機」であり、我が国総理の、発言と行動であったことを忘れてはならない。
◆『イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。』
◆安倍総理大臣の中東政策スピーチ-2015年1月17日 於・日エジプト経済合同委員会(一部抜粋)
この三日後に「ISIL・身代金二億ドル要求・邦人二名殺害予告」のニュースが流れた。ここで日本国民・政府に対して、ジハーディ・ジョンの「テロル宣言」さえ出て来た。
時に総理は「テロに屈せず・テロと戦う」を連呼する。「闘う」がどう文字化けしようが、「ISILと闘う」と米国を中心とする処の国際社会に向けて発表し続けた。「邦人二名を救うための緊急会見・報道」など、微塵も考えなかっただろう。
そして後、「国会答弁」をニュースなどで見る限り、「★為政者による未必の犯罪」を誰一人として暴くものも無かった。よって「人命は地球より重し」の政治判断が以前にはあった。これが今の日本の国会なのだ。軍靴の響きが聞こえないかい?!
「邦人二名、テロリストにより惨殺」されることよりも、一億二千七百万人の「毎日、飯を食う」事に比べれば些細な事なのだろう。そりゃ、こっちのほうが大切だろうけれども。
為政者たちは「二人の惨死」を理由とし、これよりテロ対策・邦人救出を理由とし「集団的自衛権ー安保体制強化ー軍備増強ー憲法改悪」へとシナリオ通りに進めている。
そりゃそうだろう。日本のビジネスマンは中東ばかりでなく世界中に展開しているし、またイスラム過激派も世界中に展開しようとしているのだから……。
しかしながら「敵を作り出し、軍備増強ー安保法制ー改憲論議」は、如何なものか。
メディアによる調査では、日本国民の「四分の三」近くが軍国主義化に反対しているというのに……。
しかしながら、我が国では「イスラム過激派・極悪人説」が罷り通っている。
彼らを作りだした第一次大戦後の「先進国によるアラブ処理(サイクス・ピコ協定やバルフォア宣言など)」や「南北間格差」などは問題にもされない。
彼らのテロは「野蛮だ・非道だ」が一般見解とされ、また中共の軍事大国化もあり、「日本も相応に備えるべきだ」という意見が「あたりまえだろ」となってきている。
「テロリストたちの言い分を聞く・話し合い」など全く考えもせず、「壊滅・殲滅する」とオバマ大統領の言う。ならば各国首脳も「頭右」となりはてる。彼らを「鬼っ子」に仕立てて「アラブ原住民」を放逐してゆく。これは、まるで西部劇を見るかのよう。
およそ一般世論もメディアも「ゲリラは極悪非道」と決めつけ「テロより日本人を守るー戦争を準備する」ことに不思議を感じていない。
およそ「材料の全てをまな板の上に上げて」語ることもせず、「双方の言い分に耳を傾ける」こともなく、「メディアの流し続ける一方的な情報」を鵜呑みにして「テロリスト―悪逆非道」とするのは、如何なものか。 また「有志国連合の情報・ニュースの鵜呑み」は、如何なものか。
例えばそれが中国や北朝鮮での「ミサイル戦」を想定するのであっても、それ以前の「外交」-国際政治の在り方や、「国際政治家の不在」などが問題なのではないか。これらは「以前に手を打つ」ことができるのではないか。
繰り返すが、 私、私たちは『我々日本人こそ、世界平和を築く中心勢力となるべき』ではなかろうか。
それは「問答無用」ではなく、それこそ「相手に語り掛ける」事より始まるのが「積極的平和主義・外交」だと思う。
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