【霊告月記】第二十回 村上春樹から、大江健三郎へ
村上春樹の『騎士団長殺し』を読んだ後、それと同じくらいに、できればそれ以上に面白い小説はないものだろうかと思っていたところ、加藤典洋氏が大江健三郎の『水死事件』をツイッターで絶賛しているのを見つけて読んだのだが、圧倒的に読み応えのある小説であった。
そこで次に読んだ『取り替え子』は大傑作だった。驚愕した。更に『M/Tと森のフシギな物語』、次に『懐かしい年への手紙』を読み、そして更に・・・以下、略。現時点で八冊読了。
そんなわけでいま私は大江健三郎の小説を読み耽っている。参考までに加藤典洋氏のツイッター記事を紹介しておきます。
===== 加藤典洋 @ten_kato 4月6日のツイート =======
今日発売の『すばる』に「『水死』のほうへ——大江健三郎と沖縄」と題する大江論を書きました。大江は二〇〇五年に沖縄集団自決(強制死)をめぐって稲田朋美を含む右翼の弁護団らから名誉毀損で訴えられます。二〇〇九年発表の『水死』はその彼らへの意想外な応答であり、反撃でした。
2(承前)そのことが、この作品を沖縄集団強制死裁判とのつながりで読み解くことでわかると論じています。今話題の村上春樹の新刊『騎士団長殺し』もこれと並べて読むと、何が村上作品に足りないのかがよくわかります。それは大江にとって現実からの擦過傷を生じるフィクションの「戦い」でした。
3(承前)大江のこの作品は傑作。それが企てた試みの大きさに比してこれまで正当に評価されてきたとはいえません。時代が大江のこの作品に追いついていなかったからです。私にいまこのような受けとり方を促したのも二〇一一年以後、とりわけ現在の安倍政権下の日本社会における「しずけさ」です。
4(承前)大江が晩年、いかに新しい展開を見せる小説家へと進化していたか。その「踏みだし」の意味をこの『水死』論でようやく明らかにできたと思っています。なお、この論のほか、シン・ゴジラ論などを収めた『敗者の想像力』という本を5月に『敗者の想像力』と題して公刊します(集英社新書)。
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】大江健三郎の霊告【 おれはおれの過去のハピイ・デイズに向ってまっしぐらに遡行し、その過去の細部のある一点を、はっきりとうかびあがらせるために必要なら、現実の自分をどのようにも恣意的に改変するつもりだからね。 (大江健三郎『みずからわが涙をぬぐいたまう日』1972年)
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