【霊告月記】第四十回 劇団ノラクラフト旗揚げ公演評 駄菓子屋ROCK
海賊ジョン・シルバー
★60年代の小劇場運動。その非日常的空間を切り開いたのは唐十郎のこの歌。
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劇団ノラクラフト旗揚げ公演「拝啓 空の中より、」評
拝復 空の中へ、
by ダンボール
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劇団ノラクラフト旗揚げ公演を観た。初日の舞台がはけた後の新宿三丁目の通りを、地下鉄の駅に向かって歩きながら、僕はたったいま見たばかりの劇の印象を反芻していた。
主人公の少女の名はナオミ。ナオミは放射能で汚染された区域の境界に建つ壁の見張りの高時給バイトをしている。名付け親で花火師でもあった叔父さんの四十九日の命日の出来事だ。ナオミはその叔父から贈られた小さな金庫を携えている。壁の中からゴトウと名乗る男がとつぜん現われて少女とお互いの秘密を徐々に解き明かすかのような神妙で深遠な会話を始めるのだ。少女にしか見えない他界の生き物もその対話に立ち会う。不思議な状況、不思議な登場人物たち。しかしそこでは極めてリアルで緊迫した密度の濃い劇がたしかに演じられていたのである。
この劇の作・演出の谷口由佳は、当日配布されたチラシで、主催あいさつとして次のように述べている。
年初めに劇場に足を運んでくださり、誠にありがとうございます! これまで学内公演を打つにあたって、劇場という 「空間」 の持つカを毎回思い知らされて参りました。
じっと席に座って、何か日常では出会わないものをいつの間にか期待してしている・・・私にとってはそんな場所です。
この作品から、 この場所に足を運んでくださった皆さまが何かしらをふっと拾って持ち帰れるような、そんな時間をお送りできれば幸いです。
谷口由佳
かくも簡潔に演劇の魅力と可能性を語った言葉を僕は他に知らない。真の演劇ファンならば、このあいさつ文を読んだだけで、作者の才能と演劇愛に心打たれ、劇を見逃したことに後悔の気持ちを抱くことだろう。
肉声によってのみそして生身の肉体によってのみ言葉が伝達され享受される空間、それが劇場である。その言葉は虚構であっても、役者は現実の肉体である。虚構と現実が境を接して共存する、非日常性と日常性がメビウスの帯のようにつながっている、そのような空間と時間を確保しているのが演劇というメディアの内部構造の秘密であろう。劇場とは、指の先に地球を乗せ念力をかけ地球の自転を止めることができると同時に、フッと息を吹きかけるだけで自転を再開させることも可能にする魔術的空間である。
劇の内容に戻る。登場人物の少女ナオミとゴトウ、この二人は生者だが、ハレルヤの叔父さんと精霊は他界の生物である。現実と虚構が入り乱れて劇が進行するが、彼ら彼女らを導く情念は〈愛〉である。少女ナオミに注がれる愛と、少女ナオミの抱く愛がこの劇を進行させる動因である。劇の進行それ自体もそうであるし、個々の登場人物の台詞も、時には大胆な、時には秘めやかな、愛のエッセンスを込めた言葉たちであった。
であるからして、僕はルソーのフラグメントを引用して、素早く今回の劇の批評を締めくくりたいと思う。千年に一人の大思想家ジャン=ジャック・ルソーの援用による、まさに〝神の一手〟と了解されたし。
愛は女性の領域です。愛に掟を与えるのは女たちです。なぜなら自然の秩序に従って、抵抗は女性に属するものであり、男たちは自分の自由を犠牲にしてはじめてこの抵抗に打ち勝つことができるからです。こういった種類の芝居のーつの自然な結果は、したがって女性の支配力を拡げ、女や娘たちを公衆の教師にし、さらには彼女たちが自分の恋人に対してもつのと同じ力を観客に対しても及ぼすことであります。
(ルソー『演劇に関するダランベール氏への手紙』西川長夫訳)
※参照⇒ 【霊告月記】第三十二回 演劇『薄明の彼方へ』感想
】霊告【 大人が子供を幸福にしようと努力する。するとあべこべに子供が大人を幸福にしてくれる。そんな懐かしい景色を再現する駄菓子屋ROCKは本物だ!
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