【霊告月記】第五十九回 大魔王観音北一輝
】 天使の霊告 【 さあさ、みんな寄っといで。ダンボールさんのお話が始まるよ。
お題は〝大魔王観音北一輝〟だよ。おもしろいよ。寄っといで。 by オルゴールの中に潜む天使
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大魔王観音北一輝
▼第二回社会批評研究会 (於:本郷会館A会議室 2020/09/19)
▼ダンボール(=川端秀夫)の報告要旨
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第二回社会批評研究会(於:本郷会館A会議室 2020/09/19)
■報告者:川端秀夫
テーマ:「 北一輝と紫式部 副題:世界思想と世界文学 」
■報告書作成:村尾望 <報告の発表の要約>
「 」内の・・・は途中省略したことを示す。
参照ブログは右クリックすると別画面でリンク先にとびます。
▽前口上。この報告は三部構成で、第一部「純粋北一輝」はすでにテキストがWEBに公開済み。第二部「大魔王観音北一輝」は本日の報告であり、第三部「紫式部のDNA」は次回に報告したい。本日の報告は肉声による表現の可能性を追求したい為、レジュメなしとし資料はホワイトボードに貼り付ける。日本語でつづられた思想と文学の可能性を追求し、さらに世界思想と世界文学のありうべきヴィジョンを描いてみたい。本日はその第一歩としたい。
▽前奏曲として1933年のオーストリア映画『未完成交響楽』で歌われている「シューベルトのセレナーデ」をまず聴いて頂きます。
※注:☛ ブログ記事の最後のところにこのセレナーデをリンクした。
▽宮嶋繁明『橋川文三 野戦攻城の思想』が弦書房より8月に刊行された。この本のチラシの紹介文に、「橋川を知ることは、丸山真男、柳田國男、吉本隆明、鶴見俊輔、三島由紀夫、竹内好らの精神を考えること」「独学者として野戦攻城を続けるごとく思索の旅を続け、きわめてオリジナリティーが高い精神史を紡いだ」とある。橋川文三の決定的な伝記であり完成度が高い。宮嶋氏の20年に及ぶ橋川文三研究の到達点が記されいる。
▽「純粋北一輝」は三年前の夏に草稿は書きおえていたがこのたび決定稿として仕上げた。北一輝に関しては大学生の時に橋川文三の北一輝論に触れて衝撃を受けて以来ずっと関心を抱き続けている。今後とも北一輝研究の旅は続けたい。
△▼管理人よりのお知らせ▼△
《試論「純粋北一輝」への川畑泰氏からの質問に回答する》
上記回答文書が本日付けでちきゅう座に掲載されました。
北一輝の天皇論と対外政策の二点に絞って詳細解説。
※こちらで参照可☛ http://chikyuza.net/archives/106075
▽ブログでは最初に北一輝碑の大川周明撰による碑文を紹介した。「・・・歴史は北一輝君を革命家と伝えるであろう。然し革命とは順逆不二の法門その理論は不立文字なりとせる北君は決して世の革命家ではない。・・・後半生の二十宥余年は法華経誦持の宗教生活であった。一心不乱に慈悲折伏の本願成就を念じ・・ 人間界の縄墨を超越して仏魔一如の世界を融通無凝に往来して居た・・・かくして北君は生前も死後も一貫して正に不朽である」。北の判決後の一句は「若殿に兜取られて負け戦」で、天皇に軍隊をとられたために負けたと2・26事件を総括している。そこで「酋長に兜取られて負け戦」という替え歌を作った。酋長は愚人島のトップという意味で使った。
2013年6月に参院選があり【霊告】を創作した。「憲法違反の選挙で選ばれた国会議員に憲法を改正する資格なし、正義と人権の至上価値を掲げ平成の維新革命を断行せよ、次は最高裁、その次は最高祭。 北一輝」とした。
(注:霊告は北一輝と妻が毎日の読経中に得た神のお告げを書き留めたもの。1987年に松本健一編で『霊告日記』」として復刻出版された)
(右ブログ参照)☛維新革命の本義は実に民主主義にあり=北一輝氏建碑式
▽次に死刑判決の時に冷凍保存されていた北が復活し参院選に立候補したという掌編小説を書いた。立候補演説の第一声~「革命とは然り然りか、それとも否否か、ふたつにひとつである!ほかに選択肢はない!・・・すると聴衆から然り然りの声が沸き上がる。・・・北は、そこで「余興として、アルチュール・ランボーの詩をひとつ紹介しておこう。余興じゃないな。じつはこれが本論だ。なぜなら革命とはエラン・ヴィタール(生命の飛躍)なのだから。詳しくは言うまい。一語で覚れ。・・なぜなら革命とは順逆不二の法門その理論は不立文字なりが真実だからだ・・」と言って、北はランボーの「夜明け」という詩を朗読する。
(右ブログ参照)☛「日本改造法案大綱」根本見直し……北一輝氏の獅子吼
▽立候補した北一輝にインタビューする中で北がももクロのファンであるというフィクションを描いた。(注:ももクロは、ももいろクローバーZ。「Z伝説~終わりなき革命~」を歌っている)
(右ブログ参照)☛ 維新・北一輝氏、ももクロを激賞
▽小説の続き。バーチャル空間を自在に泳ぐ北一輝。時空を簡単に超えるその才能に困惑する時代遅れの自称左翼と右翼と政治家たち。これらの有象無象をしり目に北一輝は特異な選挙戦を展開する。〝魔王〟北一輝の面目躍如。
(右ブログ参照)☛北一輝氏選挙戦に「協力したい」…複数アイドルが応援
▽ここまでの北一輝へのアプローチは文学的なものであるが、これ以降は思想史的ないしは社会科学的分析を加味していく。
北一輝の思想の柱は、生物進化論と国体論批判である。北の革命思想の根底には生物進化論からくる「性愛原理主義」(=私の造語)がある。キーワードは雌雄競争で、『国体論及び純正社会主義』より引くと、「類神人は神人に進化せんがために激烈な雌雄競争をなす。・・・生物はこの雌雄競争の為めに異性の中より自己の最も善にして最も美なりとしてする者を選択して獲んと望み、而して其の望みを達せんが為めに同性中に於て自己を最も善く最も美ならしめて他の競争者に打勝たんとするの努力を生じ、其の努力の為めに異性各々自己をより善により美ならしめて、其の生れたる子なる新らしき自己を遺伝と出生後の教育とによりてより善なるより美なる自己となす。・・・」(北一輝『国体論及び純正社会主義』第三篇第六章)
フィクションの霊告1「私のかんがえる真の戦いとは、歌うことである、あるいは同じことだが歌うがごとく語ることである。・・・師の抱いた信条であるところの「野戦攻城」の志を忘れるな。」
霊告2「これまでにもさまざまな時代があり、さまざまな反逆があった。戦いには勝利の時もあれば敗北の日もある。順風の朝もあれば逆風の夜もある。風に左右されてはいけないさ。どんな場面に遭っても固く自らを持せ。そしてひるまず進め我らが友よ。」
(右ブログ参照)☛ 北一輝の性愛原理主義、そして】霊告【
▽大正8年6月、いとこの星野すえ宛て上海からの北の手紙は感動的である。婿取りの相談にきっぱり断るよう勧めるもの。
「・・・二十四歳は決して婚期に遅れたのでハなくて・・・是れからが人生の門出である・・・亡くなられた叔父叔母に対するお前の悲しみ、誠に思ひやります。しかし・・人並みすぐれた人になると云ふことが何より両親に対する孝行なのだから極度に悲しんでハなりませぬ。・・・人の道徳的行為にも厳然たる因果律といふものがある。・・・御前の宝ハ御前の其の清き情深き人格である・・・凡ての幸福は此の打ち出の小槌より出るのことを信じなさい。人格の低きものは錦衣王食するも乞食より下等なものである。御前は・・・此の宝を持って生ま・・・磨くことができたのだから、御前こそ千万金の富豪より貴き女であるのだ。・・・」
(みすず書房『北一輝著作集』第三巻508~509頁)
(右ブログ参照)☛ 「橋川文三の文学精神」第12回 北一輝の性愛原理主義
▽次いで「アジア主義の生誕=美しいアジアの私たち 宋教仁の日記」という作品を掲載した。私のブログの文章中では最高の出来ではないかと自負している。
宋教仁の日記は橋川文三が翻訳した。1906年12月2日の日記では、民報一周年記念大会に行き、孫逸仙、章炳燐次いで日本人来賓の池学吉、北輝次郎、萱野長知、宮崎滔天らが順次演説したことを記している。ここでの北一輝の初めての公開演説の内容はどのようなものであったか。「かれは『民報』の主張する君主専制政体の打倒に期待をよせ、「世界革命」をねがうがゆえに中国の革命にのぞみを託する、とのべて聴衆をわかせた」のである。(狭間直樹著『中国社会主義の黎明』岩波新書)。
(ブログの一節)「アジア主義は空虚な理想ではない。アジアが獲得すべき唯一の生産的で価値ある思想である。アジア主義の理念が生誕し、美しいアジアの私たちという概念が実質を獲得した記念すべきその日を、宋教仁はヴィヴィッドに描き出している。我々は皆この日に戻って再出発すべきなのだ。」
「アジアは美しい。アジアのもっとも美しい日が、このように宋教仁によって記録され、橋川文三によって日本語に翻訳された。ここに出現したのはまばゆいばかりに美しい言葉のつらなりである。中国語も日本語も、アジア主義の理念の前では、その異なる存立根拠を解消されてしまっている。いや、むずかしいことは言うまい。議論は無用だ。美しい日本の言葉、いやアジアの美しい言霊がここに在る。この言霊こそ「アジア主義」なのだ。」
<宋教仁の葬式を取り仕切った時の北の写真を提示>
このエッセーには私の伝えたかった中心的なメッセージが含まれている。
(右ブログ参照)☛ アジア主義の生誕=美しいアジアの私たち
▽北一輝の最後の霊告は「大海ニ波立ツ如シ」である。(2・26事件で警視庁に出頭当時の写真提示)。北は、中国人に会う時は洋服を着るが、日本人に会う時は中国服、欧米人に会う時は和服だった。逮捕の際に北が中国服を着ていたのは〈異界〉の人であるというメッセージを含んでいると思う。
(右ブログ参照)☛【霊告月記】1回 北一輝の霊告「大海ニ波立ツ如シ」
▽1911年11月5日の北一輝の手紙は重要である。『支那革命外史』には辛亥革命への深い歴史的洞察が示されているが、その著書のエッセンスが込められているのがここに引用したこの手紙である。【霊告月記】の第31回(2018.5)で私は次のように書いた。
「日露戦争後に出現した天才思想家北一輝は日本と中国のありうべき将来を大胆に予言した。その言葉は霊告と呼んでさしつかえない洞察力に満ちたものであった。もし日本人が北一輝の忠告を受け入れて王道のアジアを築くことを試みていたならば、日本の歴史はいや世界の歴史は、いまよりもずっとましなものになっていたはずである。アジア主義が勝利した20世紀の世界を思い描いてみよう。それはなんと素晴らしい絵であることか。だが日本は北一輝の霊告を聞き逃した。これは痛恨の一事と云っても過言ではない。日本は道を失ったのだから。はっきりと知るべきことがある。いまなお北一輝の肉声は失われてはいない。21世紀の東アジアを我々はいかに構想すべきか。南北朝鮮が握手を交わし歴史の転換が刻まれようとする今こそ北一輝の霊告を傾聴する意義あることを私は強調したい。そこからのみ道の回復はなされるであろう。」
長いので朗読は省略するが、この手紙は北一輝書簡中もっとも重要で資料的価値が高いものである。
(右のブログ参照)☛ 【霊告月記】第三十一回 北一輝の霊告「日本は革命党の父である」
▽フェイスブックで矢田部氏と「来たるべきアジア主義」というテーマで対話を交わした。その時の対話の総集編をブログに転載した。ここでの霊告は「連帯を求めて孤立を恐れず。我らみな実存的ロマン主義に徹すべし!」で、欅坂45の傑作「不協和音」にリンクを掛けた。
(右ブログ参照)☛ 【霊告月記】第四十一回 来たるべきアジア主義 欅坂46&北一輝&宋教仁
『現代日本思想大系 9 アジア主義 竹内好 編』
近代日本の歴史認識を根底から問う名著。 版元:筑摩書房 初版刊行:1963年8月
▽西郷隆盛は維新革命の体現者であるが、西郷がいまもし生きていたらどういうことを言ったかと考えて、「西郷隆盛の霊告」を創作した。
「日本を罵る中国人は醜い。中国を罵る日本人も同程度に醜い。隣国を非難して止まないこうした下等人類は日中双方に同程度の比率で存在する。かつその比率は年々増加している。アジアの道徳的堕落が進行しているのだ。だが絶望するには及ばない。日本に中国にそして南北の朝鮮にアジア主義は生き続けている。 西郷隆盛」
<西郷洞窟の写真提示> 「城山の洞窟を出て自決し、・・・敬天愛人の思念はこの洞窟の中に封印されたままである。」
(右ブログ参照) ☛ ●●● 西郷隆盛の霊告 ●●●
▽「来たるべきアジア主義」を2014年5月にブログ公開した。序文の最後の部分を心を込めて読んでみる。
「私は今ここに、この国の考える力を支えてきた現代思想=アジア主義の復活を高らかに告げる書物を、電子ネットワーク環境のただ中に開示する。アジアに住まうすべての心ある生活者のあつい支持を希う次第である」
(序文全文は右ブログ参照)☛ 『来たるべきアジア主義』 序文
▽子安宣邦氏の『日本人は中国をどう語って来たか』青土社2012は今年の7月に中国語に翻訳出版されて台湾のみならず中国本土でも関心を集め話題になった。その本の帯には「北一輝」の文字がとひときわ大きく描かれている。その理由は、思うに、著者による気迫に満ちた冒頭の北一輝論が、『支那革命外史』で北は何を伝えようとしたかを述べていたこと。そして北が真の革命家であり同志の宋教仁が孫文の革命路線とは違う革命家であったことを示して、中国の人々の驚きを引き出したからだろう。子安氏の書は今後の中国の行く末に煩悶している中国の若い世代に何らかの啓示を与えうるのではないかと思っている。
▽辛亥革命が起こったとき宋教仁は黒龍会の内田良平に「北はいつ来るか」という内容の電報を送った。しかし北が中国に行って具体的に何かできるわけではない。できることは辛亥革命を真の革命たらしめようとする宋教仁の真の友として北が身近にいることだっただろう。
▽本日の報告のまとめとして子安宣邦氏の著書より引用する。
≪・・・北はいう、「支那が排満の民族的革命を求めたるは・・・真の近代的組織有機的統一の国家を建設せんが為めの」・・・それは間違いなく国家民族主義革命である。そこでは近代国家の自立的建設への変革的要求と民族的自立の要求とは一つである。・・・辛亥革命とは中国ナショナリズムの最初の表現である。そして北はこの中国の国家民族主義革命運動に連帯する光栄を日本が持つというのである。それはアジアの最初の国家民族主義革命である明治維新を日本が遂行したからであり、このアジアの革命という思想遺産の正統な継承者こそ中国革命であるからである。北は中国革命の正統な遂行者である宋教仁と革命を共にした。・・・少なくとも北は宋に寄り添った。・・・『支那革命外史』にわれわれが読むべきなのは、北によって告げられた宋の遺言である。≫
(子安宣邦『日本人は中国をどう語ってきたか』青土社2012年42~43頁)
▽最初に聴いてもらったシューベルトのセレナーデは、恋人に来てほしいという願いの歌だが、宋教仁が北を呼び求める歌としても聴くことが出来る。宋教仁が黒龍会の内田良平に送った電文もこの歌の思いと同じと私は考える。最後にもう一度この歌を聴いて本日の報告の終わりとさせて頂きます。
▽発表者の補足
宋教仁の電報文の紹介が本日の報告のクライマックスのような気がするので正確な文面を確認しました。その電文の正確な文面は、「北君何時立ツカ、返待ツ」(宋教仁発内田良平宛 明治四四年十月十九日)でした。したがって結論は、 「北君何時立ツカ、返待ツ」=「 わがこころ さわげり まてる われに いでこよ きみ いでこよ」が、私の心霊学的な解釈となります。マルタ・エゲルト(ハンガリー出身の女優・
※今回のブログ記事の作成にあたり社会批評研究会の村尾望氏の報告文を全面的に参照・
】 霊告 【 『支那革命外史』に読むべきなのは北によって告げられた宋の遺言である。 子安 宣邦
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▲ 今回の記事にはコメントも付いていますのでご参照下さい。コメント追加も歓迎 ▼
★☆★☆★ ブログ更新のお知らせ 【霊告月記】第五十九回 ★☆★☆★☆
北一輝と宋教仁の盟約の意義を世界史的視野で考察した。今回の記事は子安
宣邦氏の著書からの引用もあり読者に北一輝像のコペルニクス的転回をもたら
すであろうことをお約束する。皆さまのアクセスをお待ちしています。 著者
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「純粋北一輝」の続編「大魔王観音北一輝」を堂々公開!!!
▽解題: 先般ちきゅう座に掲載頂きました「純粋北一輝」の続編「大魔王観音北一輝」をブログに掲載しました。〝大魔王観音〟を大げさな形容と感じる方もいらっしゃるかと思いますが、これは北の友人であった大川周明が彼への親近感を込めてつけた綽名です。ではこの「大魔王観音北一輝」の名称にふさわしい北一輝像とはいかなるものだろうか。そういう観点も含めて今回この作品をつくりました。電子ネットワーク時代の環境にふさわしいアーティクルになるよう種々工夫を凝らしたつもりです。手数ですが下記該当ページにアクセスしてご鑑賞をお願いできますでしょうか。どうぞ宜しくお願い致します。 川端
ちきゅう座掲載先リンク
☛ http://chikyuza.net/archives/106140