世間の人達は、なぜ自分独りで考える事が出来ないのでしょうか。
まず、自分に自信が無い、つまり、自分を信じず、周りの反応・世間の評判を信じている事が挙げられます。自分に自信が有れば、周りの反応・世間の評判等を気にせずに、影響もされないものと思います。
そして、世間の人達の多くが、「基準」や「根拠」、「規範」を持っていない事が挙げられます。自分の考えや物事の捉え方、判断の仕方、生き方、人の理解の仕方等は、それら「基準」・「根拠」・「規範」にするものが何であるかが最も大事であり、また、どの様な「レベル」に置くかが大事であると思います。つまり、自分の「拠り所」が大事な訳です。結局、世間の人達が「基準」にしているものは、周りの反応・世間の評判・「空気」・テレビや新聞等の「マスコミ」の言う事を「基準」・「拠り所」としているだけなのです。
何が本当に正しくて何が間違っているのかを理解出来ずに、世間の反応や評判、「空気」を基準にして判断しているに過ぎないのです。
世間の多くの人達は、正しいとも限らない一般常識や「世間にとっての普通」(これは一個人にとっては不自然で無理している状態)を安易に疑う事も無く信じてしまい、また、「真実」にも無関心である様に思います。
第一、「空気」を読んでばかりいたり、常識や普通を信じてばかりいたり、「既得権益」(金銭のみでなく、出世や社会的成功、世渡り上手等を含む)にしがみつく様な状態が続くと、この社会・世間は悪いまま、おおよそ理想とはかけはなれた現実のままで変わる可能性は有りません。
自分の意志では無く、周りの反応や評判によって自分の行動を決めている世間の人達を、私は憂います。
本ブログ過去の関連記事↓↓
・2013/11/10付「『道徳の教科化』により日本人は変わるのか」
・2013/09/25付「同性愛・同性婚の間違い(2)・・・ロシア・プーチン大統領の正義と、イスラムの「旧約聖書」を基にした正しさと毅然さ & 規範・根拠を持たない日本人・世間の人」
まず、自分に自信が無い、つまり、自分を信じず、周りの反応・世間の評判を信じている事が挙げられます。自分に自信が有れば、周りの反応・世間の評判等を気にせずに、影響もされないものと思います。
そして、世間の人達の多くが、「基準」や「根拠」、「規範」を持っていない事が挙げられます。自分の考えや物事の捉え方、判断の仕方、生き方、人の理解の仕方等は、それら「基準」・「根拠」・「規範」にするものが何であるかが最も大事であり、また、どの様な「レベル」に置くかが大事であると思います。つまり、自分の「拠り所」が大事な訳です。結局、世間の人達が「基準」にしているものは、周りの反応・世間の評判・「空気」・テレビや新聞等の「マスコミ」の言う事を「基準」・「拠り所」としているだけなのです。
何が本当に正しくて何が間違っているのかを理解出来ずに、世間の反応や評判、「空気」を基準にして判断しているに過ぎないのです。
世間の多くの人達は、正しいとも限らない一般常識や「世間にとっての普通」(これは一個人にとっては不自然で無理している状態)を安易に疑う事も無く信じてしまい、また、「真実」にも無関心である様に思います。
第一、「空気」を読んでばかりいたり、常識や普通を信じてばかりいたり、「既得権益」(金銭のみでなく、出世や社会的成功、世渡り上手等を含む)にしがみつく様な状態が続くと、この社会・世間は悪いまま、おおよそ理想とはかけはなれた現実のままで変わる可能性は有りません。
自分の意志では無く、周りの反応や評判によって自分の行動を決めている世間の人達を、私は憂います。
本ブログ過去の関連記事↓↓
・2013/11/10付「『道徳の教科化』により日本人は変わるのか」
・2013/09/25付「同性愛・同性婚の間違い(2)・・・ロシア・プーチン大統領の正義と、イスラムの「旧約聖書」を基にした正しさと毅然さ & 規範・根拠を持たない日本人・世間の人」