狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「宗教組織」による「創作」(2)・・・人間マリアの「偶像」と、「懺悔室」の傲慢

2014-01-19 21:50:23 | 宗教組織
 人間であるマリアは、確かに「処女懐胎」を経てのイエス・キリストをお産みになられた事は「事実」です。しかし、それは飽く迄も唯一の神によって成し遂げられた事であり、マリア自身の能力によって成された訳ではありません。創造主が、マリアを使っただけに過ぎないのです。勿論、神によって聖別されて選ばれたマリアは幸せであり、また、その使命をプレッシャー等が有るにも関わらずに素直に受け入れたマリアは、一般的な人達に比べて素晴らしいと思います。因みに、イエスをお産みになられた後に、ヨセフとの間の子でイエスの弟と妹に当たる子供たちをマリアは産んでいます。
 しかし、飽く迄もマリアは人間で、神ではありません。偶像崇拝が禁じられている事が旧約聖書に書かれているにも関わらず、マリア等の「偶像」を建てていたり、華美で派手な装飾を施した壮大な教会を建てていたりと、宗教組織は聖書の記載から離れた事を行なっています
 次に、宗教組織の間違いの根源としての言葉の誤用が有る、聖書の記載箇所が次に有ります。
 新約聖書・マタイの福音書16章16~19節シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン(※ヨナの子シモン)。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロ(※ギリシャ語で「ペトロス」)です。わたしはこの岩(※ギリシャ語で「ペトラ」)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。
 同書18章18節まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
 「国際時事情報誌・エノク~2013年5月号(No,362)」(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2013/5/1)の「カトリックの新法王とは何か」より、「本当の十字架は、首につけているペンダントの十字架のように単なる信仰のシンボルではないのである。これもまたイルミナティたちによってすり替えられたものである。カトリックなどのいわゆるキリスト教団体が彼らの手足となって使われている
 新しい法王が登場したが、それは新約聖書・マタイの福音書を見れば完全に恐るべき謀略であることがわかるのである。
 どうして人間が人間を支配するのであろうか。どうして人間が人々の苦しみの告白を聞いて許しを与えることができるのであろうか。絶対にそのようなことは聖書には書かれていない。」。
 また、「ここでカトリックの指導者たちは失敗したのである。それは何か。ペテロ(ペトロス)と『岩』(ペトラ)を同じとしたのである。すなわちペテロこそがイエスの弟子たちの集まり、すなわち集会(あるいは教会)の基礎であるとしたのである。しかもペトロが地上で人々の罪を許すならば、その人の罪は天においても許されることになる、としたのである。
 イエスがペテロを岩とし、ペトロこそがこの地上におけるイエスの最大の代理者であると解釈したわけである。
 しかし、これこそがすべての間違いの根源なのである。世界に12億人のカトリックの信徒がいるが、彼らはこのわずかな言葉の誤用によって、誤った方向に行ってしまったのである。
 ペトロと岩はまったく別である。ペトロはペトロス、岩とはペトラなのである。
 ペテロというひとりの人物が、ある人の懺悔を聞いて許すとか許さないとかできるはずはないのである。しかし、カトリック教会の中には『懺悔室』というのがあって、そこで神父なるものがイエスの代理人としてそれを聞き、かつ許すのである。何という傲慢なことであろうか。」。
 そして、「人間が人間の罪を許すことなどできるはずもない。カトリックの組織は聖書を誤用し、…(中略)…。
 カトリックの宗教組織の内容は何か。それは権威主義であり、またピラミッド型である。あらゆる宗教がピラミッド型で組織されている。教祖、監督、法王などと言われているものがその三角形の頂点に立つのである。……(後略)」。

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「宗教組織」による「創作」(1)・・・クリスマス、誰が勝手に12月25日と定めたのか

2014-01-19 20:49:28 | 宗教組織
 クリスマス、誰が勝手に12月25日と定めたのでしょうか。
 イエス・キリストの誕生日とされている12月25日から1ヶ月近くが経とうとしています。しかし、実は、12月25日がイエス・キリストの誕生日では有りません。キリストの誕生日は「聖書」には書かれていません
 キリストの昇天後、後年に宗教組織が異教等に影響を受けて定めたものに過ぎません。人間によって、勝手に創作されたものでしかありません。
 12月の頃はパレスチナ地方は雨季に当たる為に夜空に星が見える事は少なく、又その時期に羊飼いが野宿して夜番をする事は無いと言う事で、聖書の記述と矛盾して合わない事となります。
 因みに西暦の紀元元年がイエス・キリストの誕生年とされますが、実際にはずれがあります。
 実際には紀元前4年頃が生年とされ、昇天されたのが紀元30年頃であるとされています。
 「ウィキペディア『西暦』」より、「西暦元年とイエス生年のズレ:ディオニュシウスの求めた紀元は、今日推定されるイエスの生年から4年ほどずれている。現在では、イエスはヘロデ大王の治世の末期、紀元前4年頃に生まれたと考えられている。これは、新約聖書の2つの記述『大規模な人口調査が行われた年にイエスがベツレヘムで誕生した』という記述がルカ福音書2章にあり、人口調査は紀元前4年に行われたとされている。『救世主イエス誕生の話を耳にしたヘロデ大王が、新たな王の存在を恐れ二歳以下の幼児を虐殺させたためにイエスと両親がエジプトに避難した』という記述がマタイ福音書2章にある、が根拠となっている。
 これらの記述自体に歴史的な裏づけはないが、ヘロデ大王在位中にイエスが誕生したことは明らかであり、ヘロデ大王の死は当時の文書などにより紀元前4年と確定しているので、イエスは少なくとも紀元前4年には誕生していたと考えられている。」。
 また、「同ウィキペディア『ナザレのイエス』」より、「イエスの生年:一般に、イエスの生年は紀元前7年 - 紀元前4年頃とされている。紀元前7年とみなす説を採っているのがエテルベルト・シュタウファー(ドイツ語版)(Ethelbert Stauffer)や弓削達であり、荒井献や八木誠一は紀元前4年説に立っている。
 これは、『マタイによる福音書』2章の、イエスがヘロデ大王の治世(紀元前37年 - 紀元前4年)の末期に生まれたという記述、および『ルカによる福音書』から推定されているものであるが、キリスト教以外の史料には該当の既述がないため、断定は困難である。」。
 また「同『ナザレのイエス』」より、「イエスの十字架での死:福音書から、ローマ皇帝ティベリウス治下でユダヤ属州の総督だったポンティウス・ピラトゥスのもとで、十字架刑に処されたと考えられている。
イエスの死が十字架刑であることは、福音書に先行する『パウロの書簡』にも記されており、イエスの実在性とともに蓋然性が高いとされる。なお、十字架の刑は、当時のローマ法の規定によるものであった。
 イエスの没年は、ポンティウス・ピラトゥスの総督在任期間が(26-36年)であること、既述のとおりイエスの生年の下限が紀元前4年と考えられること、イエスが30歳ごろに宣教を始めたというルカによる福音書の記述(3章23節)などから判断して、おおよそ紀元後30年前後という想定は学界ではおおむね一致している。シュタウファー、弓削、土井正興は紀元後32年とみなしているが、紀元後31年説もあり、荒井は紀元後30年説を採る[1]。八木は紀元後32年か紀元後31年としている。
 いずれにしても、没年や福音書に記録されている祭典の回数などを信用すれば、イエスが宣教を行った期間は、1年か2年、長くても3年ほどという非常に短い期間だったことになる。
 それらの「根拠」となる聖書の記述は、下記となります。
 

 新約聖書・マタイの福音書2章1節~3節、「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。』それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。」。
 同書2章4~6節、「そこで、王は、民の祭司者たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。彼らは王に言った。『ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』』」。
 同書2章7~12節、「そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。『行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。』彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家にはいって、母マリアとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。」。
 同書2章13~15節、「彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。『立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。』そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、『わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。』と言われた事が成就するためであった。」。
 同書2章16~18節、「その後、ヘロデは、博士たちにだまされたことがわかると、非常におこって、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。その年令は博士たちから突き止めておいた時間から割り出したのである。そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。『ラマで声がする。泣き、そして嘆き叫ぶ声。ラケルがその子らのために泣いている。ラケルは慰められることを拒んだ。子らがもういないからだ。』。
 同書2章19~23節、「ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現われて、言った。『立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。』そこで、彼は立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地にはいった。しかし、アケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行ってとどまることを恐れた。そして、夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して、『この方はナザレ人と呼ばれる。』と言われた事が成就するためであった。」。


 新約聖書・ルカの福音書2章1節~7節、「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリアの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリアもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を生んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」。
 同書2章8~14節、「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」。
 同書2章15~20節、「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』そして急いで行って、マリアとヨセフと飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」。


 同書3章23節、「教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。……」。


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   「教えて!goo『クリスマスはキリストの誕生日ではない?』」
   「ウィキペディア『西暦』」
   「同ウィキペディア『ナザレのイエス』」

 

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