人間であるマリアは、確かに「処女懐胎」を経てのイエス・キリストをお産みになられた事は「事実」です。しかし、それは飽く迄も唯一の神によって成し遂げられた事であり、マリア自身の能力によって成された訳ではありません。創造主が、マリアを使っただけに過ぎないのです。勿論、神によって聖別されて選ばれたマリアは幸せであり、また、その使命をプレッシャー等が有るにも関わらずに素直に受け入れたマリアは、一般的な人達に比べて素晴らしいと思います。因みに、イエスをお産みになられた後に、ヨセフとの間の子でイエスの弟と妹に当たる子供たちをマリアは産んでいます。
しかし、飽く迄もマリアは人間で、神ではありません。偶像崇拝が禁じられている事が旧約聖書に書かれているにも関わらず、マリア等の「偶像」を建てていたり、華美で派手な装飾を施した壮大な教会を建てていたりと、宗教組織は聖書の記載から離れた事を行なっています。
次に、宗教組織の間違いの根源としての言葉の誤用が有る、聖書の記載箇所が次に有ります。
新約聖書・マタイの福音書16章16~19節、「シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン(※ヨナの子シモン)。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロ(※ギリシャ語で「ペトロス」)です。わたしはこの岩(※ギリシャ語で「ペトラ」)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」。
同書18章18節、「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。」。
「国際時事情報誌・エノク~2013年5月号(No,362)」(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2013/5/1)の「カトリックの新法王とは何か」より、「本当の十字架は、首につけているペンダントの十字架のように単なる信仰のシンボルではないのである。これもまたイルミナティたちによってすり替えられたものである。カトリックなどのいわゆるキリスト教団体が彼らの手足となって使われている。
新しい法王が登場したが、それは新約聖書・マタイの福音書を見れば完全に恐るべき謀略であることがわかるのである。
どうして人間が人間を支配するのであろうか。どうして人間が人々の苦しみの告白を聞いて許しを与えることができるのであろうか。絶対にそのようなことは聖書には書かれていない。」。
また、「ここでカトリックの指導者たちは失敗したのである。それは何か。ペテロ(ペトロス)と『岩』(ペトラ)を同じとしたのである。すなわちペテロこそがイエスの弟子たちの集まり、すなわち集会(あるいは教会)の基礎であるとしたのである。しかもペトロが地上で人々の罪を許すならば、その人の罪は天においても許されることになる、としたのである。
イエスがペテロを岩とし、ペトロこそがこの地上におけるイエスの最大の代理者であると解釈したわけである。
しかし、これこそがすべての間違いの根源なのである。世界に12億人のカトリックの信徒がいるが、彼らはこのわずかな言葉の誤用によって、誤った方向に行ってしまったのである。
ペトロと岩はまったく別である。ペトロはペトロス、岩とはペトラなのである。
ペテロというひとりの人物が、ある人の懺悔を聞いて許すとか許さないとかできるはずはないのである。しかし、カトリック教会の中には『懺悔室』というのがあって、そこで神父なるものがイエスの代理人としてそれを聞き、かつ許すのである。何という傲慢なことであろうか。」。
そして、「人間が人間の罪を許すことなどできるはずもない。カトリックの組織は聖書を誤用し、…(中略)…。
カトリックの宗教組織の内容は何か。それは権威主義であり、またピラミッド型である。あらゆる宗教がピラミッド型で組織されている。教祖、監督、法王などと言われているものがその三角形の頂点に立つのである。……(後略)」。
しかし、飽く迄もマリアは人間で、神ではありません。偶像崇拝が禁じられている事が旧約聖書に書かれているにも関わらず、マリア等の「偶像」を建てていたり、華美で派手な装飾を施した壮大な教会を建てていたりと、宗教組織は聖書の記載から離れた事を行なっています。
次に、宗教組織の間違いの根源としての言葉の誤用が有る、聖書の記載箇所が次に有ります。
新約聖書・マタイの福音書16章16~19節、「シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン(※ヨナの子シモン)。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロ(※ギリシャ語で「ペトロス」)です。わたしはこの岩(※ギリシャ語で「ペトラ」)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」。
同書18章18節、「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。」。
「国際時事情報誌・エノク~2013年5月号(No,362)」(著者:宇野正美氏、出版社:エノク出版、出版日:2013/5/1)の「カトリックの新法王とは何か」より、「本当の十字架は、首につけているペンダントの十字架のように単なる信仰のシンボルではないのである。これもまたイルミナティたちによってすり替えられたものである。カトリックなどのいわゆるキリスト教団体が彼らの手足となって使われている。
新しい法王が登場したが、それは新約聖書・マタイの福音書を見れば完全に恐るべき謀略であることがわかるのである。
どうして人間が人間を支配するのであろうか。どうして人間が人々の苦しみの告白を聞いて許しを与えることができるのであろうか。絶対にそのようなことは聖書には書かれていない。」。
また、「ここでカトリックの指導者たちは失敗したのである。それは何か。ペテロ(ペトロス)と『岩』(ペトラ)を同じとしたのである。すなわちペテロこそがイエスの弟子たちの集まり、すなわち集会(あるいは教会)の基礎であるとしたのである。しかもペトロが地上で人々の罪を許すならば、その人の罪は天においても許されることになる、としたのである。
イエスがペテロを岩とし、ペトロこそがこの地上におけるイエスの最大の代理者であると解釈したわけである。
しかし、これこそがすべての間違いの根源なのである。世界に12億人のカトリックの信徒がいるが、彼らはこのわずかな言葉の誤用によって、誤った方向に行ってしまったのである。
ペトロと岩はまったく別である。ペトロはペトロス、岩とはペトラなのである。
ペテロというひとりの人物が、ある人の懺悔を聞いて許すとか許さないとかできるはずはないのである。しかし、カトリック教会の中には『懺悔室』というのがあって、そこで神父なるものがイエスの代理人としてそれを聞き、かつ許すのである。何という傲慢なことであろうか。」。
そして、「人間が人間の罪を許すことなどできるはずもない。カトリックの組織は聖書を誤用し、…(中略)…。
カトリックの宗教組織の内容は何か。それは権威主義であり、またピラミッド型である。あらゆる宗教がピラミッド型で組織されている。教祖、監督、法王などと言われているものがその三角形の頂点に立つのである。……(後略)」。