狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

前例から原発爆破の脅し、核の傘による平和の享受、真の独立の為の核兵器開発、偉大な微生物群

2015-08-13 21:14:34 | 災害・地震・戦争
 先日8月11日、九州電力は川内原発1号機の原子炉を起動し再稼働させた。東日本大震災における福島原発事故後の新規制基準合格後初の事で、これにより「運転ゼロ」が2年で終了する事となった。
 次の本を読んだ。
 「原発はいらない」(著者:小出裕章氏、出版社:幻冬舎ルネッサンス、出版日:2011/07/15)
 福島原発事故は、人工地震兵器・気象兵器によるテロ攻撃で爆破された。東日本大震災だけではなく、阪神大震災も人工地震兵器によると言われている。核兵器工場の在る中国四川省における四川大地震も同じくして起こされた。
 福島原発爆破後、事故対応が全く不可能であった。原発と言う科学は、人間の能力をはるかに超えてしまっている。原発事故が起こってもどうする事も出来ないのである。誰もが手に負えない。そしてパニックが起こらないようにと、情報隠蔽・情報操作が行なわれていた。騙され隠されている間に多くの人達が被曝した。
 また現日本国憲法には、国際法では認められ主要各国が皆持っている緊急事態に対する国家緊急権が存在せず、それによっても事故対応に制限が掛かっている。戦前の憲法には存在した。
 戦後、米国と米国に従い原発利権を手にする政財界の日本人CIAスパイがあえて活断層上や津波を被る海岸沿いに原発を建てた。福島原発爆破の前例が作られた事により、その事が日本への脅しとなり、原発が存在する限り、今後日本は再度の人工地震兵器による原発爆破に怯え続けなければならない
 日本の政府の奥の裏側に存在する支配階級は、日本の真の独立と自立を求めている。その為にプルサーマル等と言う名目でプルトニウムを多く溜め込んでいるが、核兵器開発を行なっていると推測されている。現実の世界においては核兵器を所有する国が発言力を持ち、日本も米国の核の傘に入って来たお陰で平和を享受する事が出来た。決して現日本国憲法のお陰では無い。そしてその間に、中国と北朝鮮は核兵器を所有する事となった。
 プルトニウムの毒性はウランの20倍も有り、プルトニウムは破局的事故の可能性を高めているとの事。
 福島原発後、汚染水は流され続け、内部被曝量は増えている。年間被曝限度の1mSvは外部被曝のみを対象とし、内部被曝は無視している。内部被曝による症状は、直ぐには表れず、将来的に癌の発症が考えられる。また被曝線量に安全値はないとの事である。
 地球温暖化の原因はCO₂ではないのだが、原発がCO₂を排出しない為に自然環境に貢献するとの宣伝によって今まで稼働させて来た。しかし原発稼働にはその過程において、多くのCO₂を排出している現実が存在しているとの事。
 青森県六ヶ所村における再処理工場からは放射性物質が排出されつづけている。原子炉等規制法の対象から外して濃縮規制をせず、放射性物質を捕捉せず海中放水管や排気塔はら全量が放出されているとの事。また稼働率20%で破綻状態であるとの事。
 事故原発からは出来るだけ遠くに避難する事。放射線量は距離に反比例する。ゼオライトは放射線物質を吸着して回収する事が出来るが、その廃棄物を持って行く場所が無い。光合成細菌やEM菌等の有用微生物により放射性物質を分解・除去することが出来る。また日本の伝統食である味噌汁や納豆等の発酵食品を食べる事によって体内放射性物質を分解・除去する事が出来る。人間は原子力と言う科学に手を負えないが、微生物は放射性物質を消し去る程に偉大な力を持っている。

 「原発はいらない」(著者:小出裕章氏、出版社:幻冬舎ルネッサンス、出版日:2011/07/15)
「原発はいらない」(著者:小出裕章氏、出版社:幻冬舎ルネッサンス、出版日:2011/07/15)
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「東洋のユダヤ人」、「血のネットワーク」を持つ客家・・・「客家・中国の内なる異邦人」を読んで

2015-08-13 18:46:46 | 東アジア
 「東洋のユダヤ人」と言われ、「血のネットワーク」を持つ客家
 次の本を読んだ。
 「客家・中国の内なる異邦人」(著者:高木桂蔵氏、出版社:講談社、出版日:1991/06/20)
 大勢に流されやすい中国人と異なり大勢に流されず大義に殉ずる客家。一般中国人に溶け込まずに山岳地帯・山奥に住む少数民族として、多くの文化人を輩出して来た客家。流浪の民で、土着では無く他所から来た人々という意味の客家。軍人・政治家・革命家・学者・哲学者が多い客家
 シンガポールを建国したリークアンユー元首相と二代目ゴーチョクトン前首相、元・中華人民共和国の最高指導者・小平氏、李鵬元首相、太平天国の乱の洪秀全氏、辛亥革命を起こした孫文、元台湾(中華民国)総統の李登輝氏、陽明学の王陽明氏、朱子学の朱子氏等は客家人である。
 客家精神は、強い団結心、進取・尚武の精神、文化・伝統保持への自信、教育の重視、政治への高い指向性、女性の勤勉性に特徴があるとの事。また、「刻苦耐労」、「剛健弘毅」、「創業勤勉」、「団結奮闘」の4つの精神を持つとの事。また、客家人は裏切らないとの事。
 科挙に強い客家人は、「読書耕田、忠臣孝子」、田を耕しつつ学問に励む事を理想とするとの事。
 客家には第二次埋葬法が残る。埋葬後の4~5年後に白骨化した遺骨を椿油で清め、陶製のカメに納めてから再び埋葬するとの事。山奥に住んでいた事と移住が多かった事によるとの事。
 人民解放軍は共産党の軍隊であって国軍では無く、極めて独立性が高いのであるが、本書出版当時の1991年頃において、北京中央の共産党に属するはずの人民解放軍が各地の有力者の軍隊となっており、客家が多く存在する広東省が事実上軍隊を持つ事となっているとの事。その広東省を含む広州軍区の軍隊は当時中国最強と言われていたが、北京に充分対抗出来る力を持っていたとの事。その広州軍区は香港を通じてイスラエルから近代兵器の導入を図っていたとの事。その様に当時、広東省の独立性が見えていたとの事。
 その客家人が多く存在している広東省、福建省、台湾による華南経済圏が当時独走し成長していたとの事。

 「客家・中国の内なる異邦人」(著者:高木桂蔵氏、出版社:講談社、出版日:1991/06/20)
「客家・中国の内なる異邦人」(著者:高木桂蔵氏、出版社:講談社、出版日:1991/06/20)
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独立を維持し自尊心・自信を持ちつつ自分の弱さを認め謙虚である事による力・・・「負ける力」を読んで

2015-08-13 16:37:32 | 孤独・独立・自尊心
 独立を維持し自尊心・自信を持ちつつも、自分の弱さを自分自身が認め、傲慢とならず謙虚である事が大事である。
 次の本を読んだ。
 「負ける力」(著者:藤原和博氏、出版社:ポプラ社、出版日:2013/12/05)
 日本には「柔よく剛を制す」の精神を基とする柔道や、自分の力の弱さを認めて相手の力を利用する合気道等、日本人の高い精神性から生まれたものが昔から多く存在し、特に戦前の方が戦後よりもそれらの精神性が重んじられていた。
 しかし敗戦後、多くの事がアメリカナイズされてしまい、戦前までの日本の高い精神性、日本人としての自尊心が自虐史観の植え付け等によって弱められたり失われてしまった。
 帝国主義の欧米列強は罠を掛け、騙し、武力の力で強引に、アジア・アフリカ諸国を植民地にして来た。そのように欧米人・白人は日本人とは異なり、力により強引に従えようとする
 本書は、その本来の日本人独特の高い精神性に通ずる、謙虚な心による「負ける力」を唱えている。
 日本の戦後の義務教育世間一般の常識・慣習・空気・雰囲気等から来る「正解主義」、「前例主義」、「事勿れ主義」が、この「負ける力」、「ベクトルの和」を邪魔しているという。そうでは無く、それぞれ「修正主義」、「先例主義」、「事あれ主義」であれと説く。
 常識化されて一応正解とされている事を鵜呑みにせずにそれに対して疑問を持ち、周囲を恐れずに人と同じ事をせず自分が率先する程の気持ち・姿勢を持ち、失敗を恐れずに例え失敗してもそれを教訓にすれば良い。
 教育委員会における権限の分散により、無責任体質が存在すると言う。戦後GHQによる日本人への戦争責任の植え付けと共に、日本人の精神性を破壊させる為の日教組設立と同様のものではないかと思えるのであるが、その戦後体制の内の一つである教育委員会改革を唱えている。
 「みんなと一緒」より「それぞれ一人ひとり」の成熟社会へとも言っている。その通りである。日本の世間一般の人達はあたかも「世間教」という宗教を信じて、人の顔色や反応をあたかも神のように崇めて、その顔色・反応を恐れて生きている人達が多い

 旧約聖書・箴言 29章25~26節
  「人を恐れるとわなにかかる。
  しかし主に信頼する者は守られる。
  支配者の顔色をうかがう者は多い。
  しかし人をさばくのは主である。」

 人を恐れないと言う事は、人のうわさ話、陰口、悪口、誘惑、煽り立て等の「雑音」に惑わされず、嫌われたり笑われたりする事を厭わず、人からの評価を求めず、人から認められようとしないことである。そして創造主を恐れて主に従う事が大事である。

 「負ける力」(著者:藤原和博氏、出版社:ポプラ社、出版日:2013/12/05)
「負ける力」(著者:藤原和博氏、出版社:ポプラ社、出版日:2013/12/05)
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自分のアイデンティティを重んじ自尊心を高める事が自信・誇りとなり、ひとりで生きる強さとなる

2015-08-13 14:49:54 | 孤独・独立・自尊心
 私は現在46歳(2015年時点)で未婚であり独身である。また独り・孤独である事を全く苦に思わず、寂しいと感じる事も全く無い。一日中黙っていても全く苦にならない。私はその様な性格であり、その事が世間の中に在っては私のアイデンティティや個性となっており、世間一般の目からすると特異に見えているものと思う。
 世間一般的、特に日本に於いては、孤独という言葉の悪いイメージが定着してしまい、孤独であることがあたかも悪い事と思い込んでいる者達が多い。しかし私は逆に、孤独である事が値打ちの高いものであると思っている。
 世間一般の人達は、理由も無く思い込んでいる事が多い。孤独に関しても、「みんなが言っている事だから」という様な理由だけで悪く捉えている場合が殆どである様に思う。
 しかし孤独である事は自由であり、他から干渉される事も無い。自分で考えて自分で判断し、それを自分の言動に繋げるという様に、孤独は精神的な「自立」に繋がる。安易に人に頼らず、自分で解決出来る様になる。
 世間の多くの人達には理屈・理論が存在しないが、孤独であれば熟考する事で自分の内に理屈・理論が生まれ、それが自分の哲学となる
 世間の多くの人達は真実に興味が無く、ただただ周囲の反応を恐れ気にするあまりに周囲の人達と同じ事をして嫌われなければ良しとしているだけである。しかし、孤独であれば真実を追求する様になる事が出来る。
 また孤独は、黙想・祈り・悔い改めに繋がり、周囲・空気・雰囲気に流されず、自分の内側を見つめ、自分の精神・心を高める事が出来る
 その様に、孤独である事の方が自分自身のレベルを高くする事が出来、或いはその可能性を秘めているのである。
 次の本を読んだ。
 「新・シングルライフ」(著者:海老坂武氏、出版社:集英社、出版日:2000/05/22)
 本書は世間の中で寂しさを感じている人達向けに、著者自身の本著作時65歳に至るまで独身である事からのシングル者への共感を込めての自身の経験等からの参考文を書かれているが、私の場合は前述の様である為に、群れ・集団を嫌い世間からは一歩も二歩も身を引いている程である。
 自分自身の中には多様な独自性があると言う。私の内にも色々有る様に思う。しかし私は創造主によって自分に課された運命が存在し、それにより予め道が決められているものと思っている。その主に委ねて主に課された通りに進んで行くと「絶望」とは無縁になるのである。寂しさというのも自分の持っている希望が叶えられない事から生じてくる事の内の一つであり(例えば恋愛願望等・・・)、その様な自分の欲望を基にして自分勝手に希望や目標を持ったところで主が予め引いた路線からはみ出している為に、いつまで経っても叶う訳が無く絶望に繋がるのである。
 自分のアイデンティティを重んじる事は、自尊心を高める事である。孤独で自尊心が高いという事は、「独立自尊」の精神を持って自立している事となる。その事が自信・誇りに繋がりひとりで生きていける強さとなる訳である。

 「新・シングルライフ」(著者:海老坂武氏、出版社:集英社、出版日:2000/05/22)
「新・シングルライフ」(著者:海老坂武氏、出版社:集英社、出版日:2000/05/22)
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何も世間の人達と同じ事をする必要性は全く無い。もっと高いレベルの現実を見るべきである。

2015-08-13 12:27:59 | 世間・空気
 私は、自分を信じて世間を疑っている
 何も、此の世に存在する物事全てを行なう必要は無い。此の世に存在するものは、殆どが人の欲望の対象になるものばかりで、商売・ビジネスもその欲望によって成り立っているものが多い。
 グルメ、酒、レジャー、博打、ファッション、ショッピング、物欲、性欲、等々・・・、それら欲望にまかせて手を出し取り入れても、その時の一瞬の快楽・充足を得るだけで、また直ぐに心や頭は渇いてしまう。そして、次から次へと際限無く欲望に身を任せて手を出し続けるのである。
 要するに、欲望の対象となるものは実際は中身が空っぽである為に、何時まで経っても心が満たされないのである。取り入れた一瞬だけ充足感を感じているだけなのである。
 あの栄華を極めたソロモンでさえも、年を重ねた晩年に次の様に言っている。

 旧約聖書・伝道者の書1章2・3節
 「空の空。伝道者は言う。
 空の空。すべては空。
 日の下で、どんなに労苦しても、
 それが人に何の益になろう。」

 「色即是空」と言う言葉も存在する。此の世に存在する物事の殆どが実際は虚無であり、価値・意味が無いものが多いのである。故に、その虚無である事を行なう必要は無いのである。
 しかし、世間の多くの人達の捉え方は逆である事が多い。セックスをはじめとして、それら欲望の対象になる事を行なわなかったり経験が無いと恥ずかしい事と思う人達が多いのである。しかし前述の様に、その世間の多くの人達のその様な捉え方は間違っているのである。
 現実を見るという事は大事な事である。しかしこの点においても、世間の多くの人達は現実を見ずに空想・ファンタジーに浸っているのである。フィクションの恋愛ドラマやアクション小説を見読したり、キャバクラで虚構の恋愛に浸る等して、日々のストレスからの解放感を得たい為もあってか、「現実逃避」しているのである。
 此の世に存在するその様な欲望の対象となるレベルの低い現実に目を向けるのでは無く、国際情勢の悪化で戦争・侵略が危惧される状況下に対する国の安全保障体制の脆弱さの現実や、借金財政・財源不足による医療・介護・年金等の社会保障を削減せざるを得ない現実、大地震等の自然災害が間近に迫っている現実、金の裏付けの無い紙切れの紙幣を印刷し続けて来たが故のハイパーインフレが迫る現実、バブルである米国株価の下落が迫る現実等、そういうもっとレベルの高い現実に目を向けなければならないのである。却ってレベルの低い現実に目を奪われ続ける事によって「平和ボケ」してしまい、危機意識を持てなくなってしまうのである。
 次の本を読んだ。
 「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)
 著者は本書著作時42歳で、結婚、独り暮らし、海外旅行等をしたことが無いと言う。私も現在46歳(2015年時点)で、著者と同じくA型で未婚で海外旅行や合コンをした事も無く、キャバクラにも行った事が無い。しかし前述のとおり、私は世間の多くの人達と違ってその様な事等に関する経験の無い事を恥ずかしいとは全く思わない。タバコは吸わない、パチンコはしない、食事は粗食、服はめったに買わない。世間の多くの人達が行なっている事をやりたいとも思わず、レジャーやスポーツ観戦も今に至っては興味が無い。私は、そういう低レベルの現実に入らなくとも、全く恥ずかしいとは思わないのである。何も世間の人達と同じ事をする必要性は全く無いのである。
 本当の「大人」という者は、自分で考えて自分で判断する事が出来る、精神的に「自立」して周囲の多くの人と異なる事が出来る者の事を言うのである。

 「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)
「現実入門―ほんとにみんなこんなことを? 」(著者:穂村弘氏、出版社:光文社、出版日:2009/02/20)
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