狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

平安な日々の中で誰しもが持つ、今日明日にでも起こる人生を落とされる危機と、一人ひとりに与えられている異なった運命と役割・・・「介護退職」を読む

2017-05-09 17:59:58 | 健康・医療・暮らし 2012~2017
 次の本を読む。
 「介護退職」(著者:楡周平氏、出版社:祥伝社、出版日:2014/9/10)(単行本―出版社:祥伝社、出版日:2011/7)

 本書はフィクションの小説である。しかし、自分、隣近所、今日明日にでも起こる様な、大変リアリティに富んだ内容であり、読む事によって決して他人事にするのでは無く、我が事として関心を持ち、危機意識を持って準備・備えを考えられるものと思われる。

 以下概要
 或る大手電機メーカーの国際事業本部・部長である50歳の男性の主人公は、月に数回の海外への出張もこなすビジネスマンとして、会社の中枢で活躍し、年収は1,000万円ある。47歳の妻と、進学校の私立中学受験を間近に控える12歳の長男の3人で、東京都内の3LDKのマンションに住んでいる。正月を間近に控えた頃、秋田の実家一人暮らしをしている76歳の母親に電話をかけたが繋がらず、近くに住む叔父・叔母に連絡して様子を見に行ってもらった所、自宅周りの雪かきをしている最中に転倒し、頭を打って倒れていた。その後、病院で足の骨折で頭は異常無しという診断から手術入院、その後リハビリとなった。
 男性の自宅を一部屋空けて車椅子の母親を引き取り、4人一緒に暮らしながら、妻にリハビリの為の送り迎え等をしてもらう事にした。しかし、嫁と姑との関係や、母親の歳を取っているが故の意固地・頑固な性格、一々家事や買い物に干渉される事から、妻はストレスを感じる。
 部長は妻を慮って母親に話をするが、母親は頭の方は衰えも無く、すぐに反論を返して来る。怪我をする直前までは体は丈夫で、過疎に住む事から遠くの店まで自分で車を運転して買い出しにも出かけていた。また、地域の民生委員やボランティア活動も熟す等で付き合いも広かった。その話をする中で素直に聞かない事から、少しやり取りが荒くなり、その日の後、母親の口数が少なくなる。そして、部長は少し言い過ぎたかと後で後悔する。
 その後のある日の朝、母親が失禁をしたが自分がしていないと言い張り、他にも異変が見られた事から病院で診察を受けた所、認知症である事が判明した。そして部長の妻は、リハビリ介護サービスとの送り迎え、自宅での下の世話や食事等の介護と、余計に負担が掛かる事となる。また、息子の入試の事も気になる。そしてその後のある日、介護施設の送り迎えをしている最中に、妻が倒れる。救急車で病院で運ばれると、くも膜下出血である事が解り、電話での承諾による緊急手術となる。結果、発見と処置が早かった為に命に別状は無く、後遺症も出る事無く済んだ。しかし、完全復帰までは数ヶ月は掛かる事となった。
 母親と妻の両方の世話をしなければならなくなった部長は、受験で合格した息子は妻の実家に預け、仕事の方は影響が出ると言う事で閑職にまわされ左遷となる。今までノルマや周囲からの関心、組織の枠の中で管理されていた事と異なり、時間的に融通が効き自由である事が却って、自分のプライドが満たされず虚無感を感じる事となり、また出世も閉ざされた様な事から、早期退職金4,000万円を貰って辞職する。貯金と併せて5,000万円の預金が有るものの、10年程残っているマンションのローン、長男の学費、介護費用、その他生活費等で、無職のままでは将来的に足りる訳が無く、人材会社に登録したり職業安定所で職を探すものの、技術や技能が有る訳でも無く、高齢で、しかも前歴から扱いにくいと感じられて敬遠され、閑職にまわされた事にも疑いを掛けられて、なかなか決まらず紹介もされない。また、故郷には築40年の実家と、母親の物持ちの良さから物が溢れ返っている。
 母親の介護の始まった後に5歳下の弟に相談したが、断られた。弟は大学進学で東京に出て来たものの役者志望となり、バイトを掛け持ちして続けながら結婚を機に辞め、両親が田畑を売って作った金をもらってスナックを経営して来た。自身の300万円の年収と、妻の時給800円の休みの殆ど無いパートで得る200万円との合計500万円の世帯収入で、大学受験を控える私立高校生の長男を抱える。それ故、妻を母親の介護を手伝わす事が出来ないと言っていた。しかし、そのパートで得ている分を、介護して働いてもらう事で支払うからと、手伝ってもらう事に同意を得る。
 自身の仕事も、かつての左遷される様な事をされ内心恨みに感じていた上司からの紹介で、或る会社を紹介される。同種の外国のメーカーである事から裏切りや道義に反する事になるのではないかと悩んだが、培ったノウハウを土台にしてのオリジナルでいけば問題無いと納得して再就職先に決める。
 元部長の男性は、今回の一連の不遇・困難な経験から、家族の絆を修復してそれが大事である事を改めて確認した事と、どんな事が起きてもそれが運命であると覚悟して前に進むしかないとの思いを強くする。そして、これらの事が神の思し召しではないかと悟る。
 以上概要

 私と明らかに違うのは、まず、世間一般と比較してでもあるが、地位が高く肩書きを持ち、年収も高額で、預金も多い。そしてその男性にとってストレスに感じる事、ノルマの無い事や、管理されず自由である事、時間の融通が効く事、周囲に干渉されずに済む事は、私にとってはストレスにはならず、虚しさも感じないどころか有難く感じるぐらいである。私は孤独であっても平気である。また私は職場も転々として来たし、職種も多少変更した経験を持っている為に、見栄や体裁は全く気にならず、開き直っている為に、精神的にも融通が効く様になっている。故に、少しクビになったからと言って、それで動揺等はしない。基本的に「成るように成る」と、いつも思っている。
 ただ結婚もせず孤独であるのは健康で順調な時は良いが、自分自身もいつ何時どうなるか、先の事は解らない。また、この小説の様に、身内がどうなるかも解らない。いずれにもリスクは存在する
 私は今から14年前(2003年)に怪我をした経験を持っている。その当時は一人暮らしをしていたが、入院時とその後の実家での自宅療養において、同じ県内に住む両親の世話となった。また5年前(2012年)には、自分自身のエンディングノートを書いた。
 万一、怪我や病気、死亡等で自分で行う事が出来なくなってしまったり、意思の疎通が出来なくなってしまった時の為にエンディングノートを書くのだが、自分のプロフィールや過去の経歴、連絡先、各種手続き要領、webサイトのアカウント、パソコンの内容、遺品整理における写真やデータ等の取り扱い、所有する財産、健康管理、介護について、手術の承諾について、尊厳死・安楽死についての考え、延命治療の要不要、葬儀の仕方等を、洗いざらい書き出しておく。
 現在の私は、孤独に、自立して、出来るだけ頼らずに生きる事を良しとしているが、同時にリスクも併せて考えている。生涯独身を掲げる私自身に関しては、成年後見制度生前契約が頼りとなる可能性が高い。社会システムの発達により、その辺りは安心に繋がる。
 人がこの世で生きていく上で、責任、義務、役割が重要となる。両親の介護は子の務めであり、責任であり、義務であり、役割でもある。但し、全部を放棄してしまうのでは無く、仕事や家事等の他の用事とのバランスを取る為に、その割合を減らして介護サービスに頼る事となる。また、夫が外へ出て仕事をし、妻が主婦として家事と子供の養育をして家庭を守るという事は、それぞれの役割である。それらの役割は比較するものでは無く、区別に相当するものである。主婦の役割も仕事である。仕事・務めに報酬の有無は関係ない。報酬が値打ちを表すものでは無い。フェミニズム等の平等論は論外・ナンセンスである。役割と平等は無関係である。役割分担をして、そのそれぞれに値打ちが有るのである。役割それぞれに尊卑貴賤は無い
 人それぞれに運命がある。それは創造主である神の定めである。運命は、人自身の希望通りにはなっていない。神の定めである運命は、神による各個人への命令である。この命令は絶対命令である為に、避ける事は出来ない。その事を人が悟った時、神に委ねて開き直り、「成るように成る」と気持ちも楽になる。人それぞれが置かれた状況の下で、それに応じた役割を行い、そのそれぞれの役割の上で、義の務め、責任を果たすのである。

 


介護退職 「介護退職」
   (著者:楡周平氏、出版社:祥伝社、出版日:2014/9/10)
   (単行本―出版社:祥伝社、出版日:2011/7)
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