狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

自ら考え学ぶ高い道徳感と真心から健全財政に戻す為の消費税導入を決心・・・「大平正芳の人と政治」を読む

2016-05-08 05:20:41 | 日本政治・総合 2012~2017
 「大平正芳の人と政治」(著者:田中六助氏、出版社:朝日ソノラマ、出版日:1981/06/20)を読んだ。
 大平正芳元首相の側近として、第一次大平内閣で官房長官、第二次大平内閣で自民党筆頭副幹事長を務められた田中六助氏による大平元首相についての著書である。
 寡黙、待ち、忍耐の姿勢から、マスコミや野党からは「鈍牛首相」と酷評された大平元首相。クリスチャンであった事から、寛容と忍耐、信頼と合意の精神を持っていた。その事は、田中角栄内閣時に外相として、盟友関係であった田中角栄首相(当時)と共に、日中国交正常化(1972年)を実現させる事にも繋がったのではないかとも、私は思う。
 自己を語らず、自ら考え、自ら学び、実践した大平元首相。読書好きで勉強熱心であった。
 2度目の外務大臣就任中(1972年~1974年)の1973年(昭和48年)の第四次中東戦争をきっかけとした第一次オイルショック、更に内閣総理大臣就任中(1978年~1980年)の1979年(昭和54年)の、イラン革命を契機にした第二次オイルショックの、それぞれを経験し、財政再建、資源対策、対外政策と、その諸問題から今一度日本を見つめ直す必要に迫られていた。
 大蔵省出身という事もあって財政再建を特に重視していた。当時、1979年(昭和54年)の予算は一般会計で38兆6,001億円、その内国債が15兆2,700億円(39.6%)、累積国債は40兆以上、利子だけでも毎年3兆の借金財政に陥っていた。3K(米、国鉄、健保)の改善にも迫られ、社会保障制度への不満も有る中で、その財源と、健全財政に戻そうと考える大平元首相の高い道徳感と真心から、一般消費税の導入を決心した。しかし、その消費税の導入は野党、世間一般、マスコミのみならず自民党内からも不評であった。
 当時日本は、5~6%の経済成長を維持する為の重油の98.8%を輸入、且つ全エネルギーの73%を石油に依存していた。在任中の東京サミットにおいては、その経済成長維持の為の輸入量枠を、消費国間において前年までの平均輸入量を超える量とする承認を得た。また、代替エネルギーとして原子力の実現可能性を考えていた。
 環太平洋構想、地方分権に繋がる田園都市構想家庭基盤の充実、政治・経済・社会等を含む総合安全保障体制を提唱していたが、現在それらの大平元首相の先見性ある主張が進められている
 1980年(昭和55年)5月16日の社会党による内閣不信任案決議により、衆議院解散、衆参同日選挙、5月30日選挙公示の翌日緊急入院、6月12日に壮絶な死を遂げられた。その死を代償としての自民党大勝となった。

 参考文献
 「大平正芳の人と政治」(著者:田中六助氏、出版社:朝日ソノラマ、出版日:1981/06/20)
「大平正芳の人と政治」(著者:田中六助氏、出版社:朝日ソノラマ、出版日:1981/06/20)

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