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#東北でよかった

2017-04-27 01:35:09 | 参考資料-幕末

2011年の震災が「あっち」の方でよかったといったというので大臣の首が飛んだらしい。

言い方とか表現の問題という人もいるだろうけど、私はそうは思わないですね。基本的に日本の政治家を含む「上の方」の人たちと、そこにぴらぴらくっ付いてる知性のない知識人などは基本的に、「あっち」でよかったという考えなんだろうなと思っていたから。

私は、この「あっち」という言い方に非常に、なんてか日本の基層みたいなものを感じたりもする。ぶっちゃけ、ある種の人々にとって本州中部と瀬戸内沿岸以外は「あっち」なんだろうな、などとも思う。

しかしながら、東京で見ている限り、多くの人にとって東北は「あっち」ではないようだ、という気もしている。東京生まれの東京育ちの友だちなんかは、率直に、東北の震災は心に堪えてると言っていたし、会社の後押しもあっていつまでもボランティアに通っていた人もいた。傍でここ6年見て来た私は彼女たちの言葉に嘘はないと言える。声高にせず、しかし、事態を我が事としていた。

そこでふと、おかしなことだけど、266事件の時、東京中心部の人たちが決起の将校に賛成で、その理由として国内の不景気をあげていて、そしてどこで不景気を感じていたかというと、東北の農村から娘さんたちが働きに来てる(売られてきてる、を含めて)ことをあげていたエピソードを読んだことを思い出した。そう、庶民の心は見ず知らずの中でも通っていたんだな、みたいな。

私にしてもここ数年、旅行といえば東北地方にしていた。友人知人の集会も、どうせあんたら飛行機で集まるんやし、誰かに近いけど誰かに遠いのやったらどこでもおなしやないの、ということで仙台一押しを続けている。仙台は広々してて元々とても好きな町なので、行く機会が増えてうれしい。福島市も集会ポイントとして便利。こういう地の利が重要なところはやっぱり徳川体制は譜代大名を置くんだよなぁとかいろいろ考えて、その点からも楽しい。やっぱ、欧州列藩同盟の故地を尋ねてというテーマを設定することが重要だと思ってるんだけど、忙しくて果たせない。

と、そんな中、ハッシュタグ#東北で良かった、というのが出て来たというのを見て、なんだかちょっとうるっと来た。繋がる気持ちが見え隠れすることが嬉しい。

 

■ あっちとこっち

あっちとこっちを分けて、あっちとなったらもうどうでもよいような感じを持つ、というのは要するに「えんがちょ」と通底する思考の枠組みなんだろうなと思う。

この発想は、相手を悪魔化して侵略していく発想とも通底する。

で、問題は日本の場合、いつまでもこれを「自国」と定めようともまだやってることなんだろうなぁ。迂遠なことを言うようだけど、やっぱり、東征神話とか言ってるからこうなるんだろうかと思わずにはいられない。

要するに、「あっち」が侵略対象地の言いかえになっちゃうモメントが日本史上にはある、と。

だから、実は「日本」というのは、結構同床異夢的な存在だったりするんだろうな、と。いくらNHKが絆とかいって、全員を等質な一人ひとりと仮定してみても、足元には被征服地とそうでないところ、そしてそれを差配して歴史認識で多くの人をしばろうとするエスタブリッシュメントとそれ以外の差異が組み込まれた土壌が広がってるって感じか。

 

■ 征服したがる「日本」

で、そういうまがい物の歴史記憶のようなものを極大化したイベント、明治維新がむしろ、そのあっち・こっちメカニズムに留めを刺した、と考えることができるかもしれない。

何回か書いてますが、どうやっても、戊辰戦争って、東日本征服戦争としか思えないんだもの。

一般に、白河口から入っていって会津若松城を落とすところだけにハイライトが当たってドラマ化されてるけど、実際には船舶を使って、しっかり海側から塞いで相手(同じ日本人なわけだが)を降伏させようとしていっているわけで、これって本当に誰が考えたの??と、むしろ最近不思議になっているところ。

で、そこを平定させると今度は北海道を「開拓」とかいってまた征服を続け、その流れが樺太、満洲に続く。明治期、日本の各地の自然災害で村が困窮すると、じゃあ北海道へとなるその流れは、1930年代には、食えないんだったらでは満州へというのとマジで同じだな、と。

戊辰戦争とは違うけど、台湾、沖縄方面への拡大も多分同期なんでしょう。

北は源義経、南は源為友が昔々行ってることになっている、という、なんだかこうへんな庶民のお話が明治期になって水面に出てくるというのところも興味深い。

いやしかし、これって一体どんな歴史だったんだろうなと改めて不思議に思えてくるわけですよ、私は。

近代化とか西欧化とかいう語だけでは見えてこないドライビングフォースがある。

 

一種の「通説」として、明治維新という革命を成り立たせたわりには、犠牲者が非常に少ないわけですからね、という言をしばしば見聞きするのだが、あれは革命だろうか? 歴史家の人たちは多くこれを援用しているやに見えるがためにする議論って感じ。

 


 

 

 


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2 コメント

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『断層を見える化』 (ローレライ)
2017-04-27 08:32:56
今村は『断層を見える化』する才能のある政治家である!東京政府が『蓋をしておきたい』物を表に出した。
返信する
東京なんでしょうか (ブログ主)
2017-04-27 22:35:46
ローレライさん、

東京政府なんでしょうか?私は結構関西つか西部つかってのも、実は結構影響力持ってると思ってるんですけど。特にものの考え方を規定してると思しきところはある。
返信する

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