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9月2日は敗戦の日、取られた日、抵抗の始まりの日

2018-09-02 21:34:51 | 参考資料-昭和(前期)

9月2日は第二次世界大戦終結の日であり、日本の敗戦の日。

勝者である連合国を代表する9か国が、日本による降伏を正式に受け入れた。

この出来事は写真をこう並べるのが適切だと思うな。各国語版を見比べたら、wikiロシア語版の降伏の記事はこうなってた。そこをキャプチャ。

 

で、マッカーサーだけが作業服みたいな実務的なカッコしてるけど、後ろにいる連合国の代表者である軍人さんは、栄誉式なんかに着る正装ではないが、可能な限り礼を尽くそうという意図のある戦時においての最高の服装をしていると見える。

だからマッカーサーが悪目立ちしてるというのが私の考え。

マッカーサーが連合国の代表者として署名して、その後各国を代表して以下の9か国が署名。

 

明らかに、ここまで来る価値あんの?という感じなのは、ニュージーランド、カナダ、オーストリアのイギリスの属国グループと、オランダとフランスのむしろお前は極東では負けただろといった人々。

イギリス属国グループに署名させることにしたのはイギリスの判断。英語版wikiにもある。

つまりね、イギリスは一人じゃ何にもできなかったくせして(イギリスがドイツに宣戦布告なんかするから第二次世界大戦は始まった)、最後の収拾場面になると俄然前に出てきて、属国使いながら、アメリカに花持たせて、ソ連とアメリカが決したという余韻や印象を消した、ということなんじゃなかろうかと思う。既に冷戦の設計をしてるということ。

欧州戦線は、ノルマンディー作戦などという後付けの英米による大陸戦略作戦で終わったのではなくて、ソ連赤軍が持ちこたえスターリングラードで勝負を決して、バルバロッサ作戦を粉砕し、バグラチオン作戦などで反攻して決まった。ナチスドイツの被害の75から80%は東部戦線で、つまりソ連赤軍に倒されている。ノルマンディーみたいな傷ついた兵相手の話じゃない。

そして最後には、ともあれ、このようにして終わった。

1945年4月の米ソ両軍の兵士。いわゆるエルベ川の誓いという場面。

今更なぜか「プロジェクト・フラ」

 

そして極東。現実には、何度も書いてるけど、日本はソ連が参戦して降伏を決意した。つまり、関東軍が潰れたから降伏した。

関東軍という1919年に設立されて以来様々な問題を起こして来て、最後には、関東軍特殊演習で本土から50万もの兵を連れていって、最初にいた24万だか25万だかと併せて、70万以上になっていた軍がどうやって降伏するのか、が日本の降伏プランの中で大きな割合を占めないわけはない。にもかかわらず、戦後70年一環して、日本国内の終戦のお話には関東軍は、ソ連にやられた、憎いソ連め、以外では出てこない。んなわけないだろう、ですよ。

ついでにいえば、ここも書いたけど、

関特演と1945年ソ連満洲侵攻作戦

現有勢力の捕捉じゃなくて、明らかに激増させておきながら、ソ連と日本は中立条約やってましたって、軍事的には絶対通用しないですよ、そんなの。

何度も同じこと書きますが、外交官が交渉のネタにあくまで条約に拘るのは作戦の一部としていいですが、軍事という交渉においてはこんなのまったくナンセンス。いい加減、そのへんを分けて、何が起こったかを考えられる文章、書物が日本でも出回る必要があると思いますよ、ほんと。

さらにいえば、この大演習というより、大量の成年男子を海を越えさせた大移動(本土ががらあきになるわけだが)で何をどうしようとしていたのかは今に至るまで話が半端だと思う。

ここらへんは当時の陸軍で資材をやっていた陸軍中佐(つまりモノの移動に責任がある人)による苦情。それだけの人間を動かすということがものすごい大変な話で、しかしどういう戦略で何をしようとしていたのかは現場近くの人間にもわからなかったことがただわかる。

が、いつの頃からか、司馬遼太郎は怒り続けたけど、関東軍の動向について切り込んだ話を書いた人はあまりいないのではないかと思う。どうだろうか。

陸軍の反省〈上〉
加登川 幸太郎
文京出版

 

 

話がわやわやだけど、9月2日を前にしてマッカーサーはかっこつけて厚木に降りてみたりしてるわけだし、9月2日のミズーリ―号では、上で見たように、マッカーサーには敗戦国とはいえ他国の代表者を遇するといった態度はない。

頭の中では、もうすでに「取った」という感じなんだろうななど思ってみたりもする。つまり、戦争を終結したというより、植民地を取ったという感覚。

考えてみれば、オーストリアやカナダ、NZ、そしてフィリピンを彼らは取って、自分用に作ったわけですからね。そういう感覚で日本を見ていたんじゃなかろうかと思って悪いことは何もないように思う。

そして、5年後に朝鮮戦争が起きて、ある意味待ってましたとばかりの日本の属国スキームが始まった、と。(表じゃなくて影で、日本にいる軍の指揮権を持った軍、すなわち米軍こそ実質的なここのオーナーだよ、みたいなスキーム)

朝鮮の解放と朝鮮戦争レジーム

そこから70年以上経ってみるに、実際ほんとに取られたんだなと思いが捨てられない。いやしかし、70年もあったらそこから抜け出せよ、とも思うわけだができませんでしたね、ほんと。なんで出来ないかと言うと、まず第一にそのスキームが見えないからでしょう。

ただ、日本の人々は結果的には相当この二重スキームには抵抗していたとも思う。日本国憲法を握った瞬間からここを頼りに、アメリカの無軌道な戦争に付き合えません、付き合えません、なぜならあなたがこの憲法を授けたのです、ええそうなのだす、そうだと言ったらそうなのです、みたいな無自覚であろう(多分)が、非常な「抵抗」を試みていたし、今もいる。

 

■ オマケ

つらつら思うに、現在の日本は朝鮮戦争レジームだ、ってのはもはや疑うべくもなく知られていることなのだが、メインストリーム(主流)には乗らない。御用学者も取らない。この事情をなんとかせな、ってのが現在の前線だろうと思う。停滞前線気味だが。

このへん参考になりますよ。

「日米指揮権密約の研究」by IWJを視聴した

「日米指揮権密約の研究」by IWJを視聴した (2)

 

■ オマケ2

だんだん年来の主張になってきましたが、アメリカの覇権なるものは、ソ連の人々2,700万人の死体の上に乗っていると、ますますそう思うようになった。

長くお付き合いいただいている方には耳タコだと思いますが、私自身、まさかこんなにアメとかイギリスがあからさまなまでに第二次世界大戦の推移を自己都合で書き換えつつプロパガンダしているとはつい最近まで思ってなかった。やたらにノルマンディーを持ち上げる風潮に、なんかおかしいな、ぐらいにしか思ってなかった。そして、それはおかしいと言い出したのは、実に、英米が自分のしもべだと思ってるポーランド人やルーマニア人 etc.の発言がきっかけだった。私が北米で会ったそれらの人々は、政治的にはロシア or ソ連に対する見解はいろいろだとしても、しかし、ナチスドイツを蹴り破ったのはソ連赤軍(レッドアーミー)だという主張には揺るぎはないようだった。そして、なんでアメリカ人は自分たちがドイツを破ったみたいなテレビ番組を次から次から作ってんだ、と言うのだった。1人だったら忘れたかもしれないが、全然関係ない人が3人ぐらい異口同音に同じところに疑問を持つ人に巡り合うにおよび、私は考え直しはじめた。あれらがなかったら、私は目が覚めなかったか、覚めるのがもっと遅くなっていただろう。


 


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1 コメント

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主権を失った、敗戦調印記念日 (ローレライ)
2018-09-03 06:26:59
日本が主権を失った敗戦調印記念日であることは、自覚されなければならない。
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