やるなやるなと言われていた国葬を無理くり挙行したわけですが、なんというか、びみょーな感じがして、おもわず、トンチンカン、という語が頭に浮かんだ。
トンチンカンは頓珍漢と書くのは知っていたが、思えばこれは一体どういう意味、あるいは来歴の語なのだろうかと思わずネットで辞書を引く。それによれば、
《鍛冶屋 (かじや) の相槌 (あいづち) の音を漢字を当てて表したもの。その打つ音がそろわないところから》
意味として、
物事のつじつまが合わないこと。見当違いであること。また、そのさま。
と使われると。鍛冶屋さんの作業で使われる異なる金属の異なる音がこだまする風景を思い浮かべるといいらしい。今日まで本当に知らなかった。
で、そんな中twitterで拾った、蓮池さんのコメントも、違和感の表明だと思った。
「住みやすい日本を作ってくれた」
— 蓮池透 (@1955Toru) September 27, 2022
どちらにお住まいなのか教えてほしい。
安倍元首相国葬 「住みやすい日本作ってくれた」「来れない友人の分も」 一般献花に長い列(産経新聞)#Yahooニュースhttps://t.co/XW9krayDla
普通に、いったいどこに住んでたらそんな感想になるんだろうかと実際私も不思議に思う。トンチンカン。
twitterの写真の中の人々に葬儀の佇まいが全然見えないというはどうしたことだろうとも思う。どうせ動員するならなぜ礼服を着せない? これもトンチンカン。
さりとて、これはこれで違うという感じを持つ。
安倍国葬強行 これは民主主義終焉のセレモニー
— 日刊ゲンダイDIGITAL (@nikkan_gendai) September 27, 2022
国民は二度と忘れないだろう。歴史に残る世紀の愚行と平然と中止できなかった岸田政権の情けなさ。何をやっても許されるという民主主義蹂躙の集大成が安倍国葬。日刊ゲンダイは駅売店・コンビニで pic.twitter.com/pUgNU5EwAe
民主主義かどうかなんてことじゃなくて、何やってんのこれ、って感じ。
そういえば、2019年の現在の天皇の即位式の時にも私はこんなことを書いていた。
なんというか何をしようが神意はそこにないって感じがどうもしてしまっているので、特に興味は持てないので追いかけてまで見ようとは思わなかった。
今日の場合は、弔意の不在かなぁ。心からの弔意が染みわたるような、といった風情がこの2月間まったく見られない中で「国葬」などという大仰なことを言っている。そもそも、国葬をやるとか言い出した時に、弔問外交ができてちょうどいいとか言い出してた人がいたのも、弔意がないと思ってびっくりした。
日本人は人の死をかなりプライベートなものと取るのが伝統だと思うし(地域やお宗旨によって異なるだろうが)、そもそも、死は穢れという考えを長く宿しているので、お弔いを見世物にすることはむしろタブーだったんじゃなかろうか。忌むものなんだし。(国葬自体、明治になってから西洋人の真似してやり始めたわけだし)。だから、そういう発想が根底にあるので、あるいは、ある人がまだいるので、弔問外交だの外国人が来ることを喜んでる、みたいな発想そのものに違和感を持つ人がいるのかもしれない。
そういう古い人(私か)からすると、今日の参列の人たちは、、なんというか、弔意を佇まいで表すといった文化背景が垣間見えない、という感じ。違和感いっぱいだわ、ほんと。
唯一ちょっと安心したのは、自分のまわりではいまだかつて安部ちゃんの政治が好きだった人はいないのだが、同様に国葬にも興味を持っていなかった。怒ってもいなかった。へぇ、みたいな。
これを安心というのもなんだけど、へんなものはへんなので知りませんといった態度でいる方が、むしろ健全じゃないのかと思ったりしてる。
■ 忘れられてる光景1
で、そもそもどうして国葬にしようと思ったのか、という点で、現時点では麻生さんが、理屈じゃねーんだと言って押し通したという話しがまことしやかに伝わっている。
真偽はわからないけど、誰であれ、目的としては、安部ちゃん人気を作った人たちが、支持団体として統合したものを壊したくないから、安部をシンボル化してまとめようと思った、って感じじゃないのだろうか。それによって、改憲して、尚一層武器買って、強い日本にするのだという話しになるたびに安部を出す、みたいな使い方をしようと。
だから、安部は日本のために貢献しただの、国際的に人気があった?だか、外交の安部とかいうわけのわからないキャッチフレーズをそのまま言い散らかしてここまで来た、と。
だがしかし、ふたを開けてみれば概ね外相が来てくれたりはしたが、大物が居並ぶお葬式にはならなかった。
そもそも、外交の安部とかいうのも相当嘘くさい話だった。みんな忘れてますが、こんな一幕があったんですよ!
ガラガラの国連総会!!
自然なわけはないガラガラ安倍演説
だから、かなり問題含みの存在だったという方が適切だと思う。どうしてかというと北朝鮮の問題が謎だらけだったからですね。
さらに、その2017年頃には官僚組織も振り回されて疲労困憊。福田元首相がびっくりするほど痛烈な批判をした。
で、今般、国葬に至るまでの2ヶ月間の、インチキ臭い議論の中で、こういう唖然とするような安部ちゃん時代の失敗の顛末について触れる人が非常に少なかったのも、ちょっとな~って感じがした。
これはプロパガンダを使って、波風を御しながらも最後には国葬に持って行こうとする人たちの「手腕」がさえていたとも言えるのかもしれないけど、国民の健忘症も相当じゃないの、とか思う。
■ 忘れられてる光景2
安倍ちゃんは2020年、習近平を国賓で呼ぼうとしていたあたりで、右派の中で安倍叩きが始まり、人気が凋落していった。
今、安部さんは素晴らしいとか言ってる人々は口汚くののしっていたものだった。
同じ人々はその前には、領土問題じゃなくて平和条約の話ですよ、という説明を断固拒否していた。
つまり、巷間安部のサポーターであるかのように言っている人というのは、安部のサポーターなんじゃなくて、集団Xとしての団結、みたいなものの方が強く、安部の方針が外れると罵る人たちだった。
別の言い方をすれば、安部体制というのは大人気で自民党内最強ということになっているが、それは安部がしたいことをできるというわけでもない、というなかなかやっかいな体制だった。
ということも、忘れ去られてるなぁ。
■ 安部体制
で、この先、まぁ安部さんの意思を継いでとか、新しい日米関係の構築に尽力された安部氏を思い、とかとか言いながらアメリカの子分としての立場を強化していくことになるのだろうと思う。
そもそもなぜ安部が擁立されたのかといえば、二度と再び小沢みたいな、日米同盟より国連だとかいう奴を出さないためという目的があったわけで、その目的はどうあれほぼ達成された。
お内裏様が言う通り、安部が作った日米一体化というレジームが土台になるのでしょう。
最長首相に別れ 岸田首相「土台の上に日本つくる」
軍事のみならず、金融の面でもますます一人では立てない国となっていくことは既定路線。アベノミクスのせいで日銀がどないなっとる思てんねん、という話しですが、これを再燃させないために、死者にむちうつことなくアベノミクスなる語はなかったことになるかもしれない。
で、それで一体どうなるのか?
全然わかりませんが、北朝鮮問題は残ってるし、壺が解明してみれば、拉致って何だったわけなのよ、と誰でも気づく。いや、ここもまた、死者にむちうつことなく拉致問題という語はなかったことになるのかもしれない。どうなることか。
そういうわけで、何をしようと問題山積のままであることには変わりはない。そして、その時々で都合のいいことばっかり言ってたもんで、話の整理もできない。戦後レジームからの脱却とは米国とのより一層の一体化でした、みたいな体制なのに、安部はナショナリストみたいな言葉が飛び交いもする。
安部ちゃんが首相だった頃よく書いたけど、「同床異夢」をそのままにするのがこの体制の特徴だと今もそう思う。
トンチンカンついにハーモニーを習わず、みたいな故事成語ができないようにしたいものだ、と思うものの、いいじゃん、一人一人個性があって、とか言われるのがこの同床異夢体制のような気もする。
■ オマケ
安部ちゃんの死をきっかけとして、壺こと勝共連合の話が表面化したことはとても重要。
これは多分、日本の30年代、40年代、50年代あたりの歴史の整理につながっていくと思う。安部ちゃんがどう考えていたのか、気づいていたのかどうかにかかわらず、存在自体が、朝鮮、満州関係者、対ソ戦の意味、戦犯逃れの一群、みたいなものの一塊、あるいは魑魅魍魎を塞ぐ蓋のようになっていたのではなかろうか。
同様の表現に日本が先の大戦に突き進む中での「必要の前に法律無し」や中国の反日暴動での「愛国無罪」があります。
自己の都合最優先で勝手に約束を破り、盗み犯し殺し平気でいるのです「理屈じゃあねえんだよ」と。これは人間としての存在放棄、畜生になると言う事です。
現自公政権は畜生政権。日本は畜生国家、国葬は畜生国葬、しかもこれらを世界に晒してしまいました。非常に情けなく恥ずかしく思います。