3日、駅のホームで電車を待っていると姉から電話が
「・・・が亡くなった」(電車がうるさくてよく聞こえない)
二日前まで母が入院していたのでてっきり
私「母さんが亡くなったの!」
姉「・・・だよ」
私「母さん!」
姉「・・・・だから」
よく聞こえないので一旦切って駅のトイレに行き電話をしてみるも
やっぱり「・・・・が」としか聞こえない。
また電話するからということで、一旦会社に行くことに。
電車のなかでLINEを確認すると姉からのLINEがはいってました。
実は、LINEの設定をいくら直しても通知が来ないため、
一度タップしないと通知が入らないようになってます。
で、確認すると
「父さんが亡くなりました」
・・・・・・・・
・・・
?父さん?
父は食道癌がみつかり食道を圧迫しているところにステントを入れて、食事ができるように手術はしましたが、二日前に母が退院するときに電話をしたとき父が最初に電話にでてすこぶる元気そうでした。
なので、父さんが亡くなったことで涙はでてくるのですが
頭の中は
父?父?父?なんで?どうした?へ?
って感じでした。
自宅で亡くなったため、検死と現場検証があったとのことで結構大変だったようです。
わたしも、いそぎ翌日には航空券とレンタカーの予約をいれていざ十勝へ
飛行機に乗り込もうとしたら
あれ!嵐のラッピングだ!!(こういうのはしっかりチェックする)
さらに、飛行機に乗り込んで外をみていると
あれ!ミッキーさんのラッピングだ!!
そうこうしているうちにとかち帯広空港に着陸態勢
あああああああああああ!そいういえば、3年前までガチのペーパードライバーで雪道走行に自信がない
雪とか積もってたらどうしよう!と、外を確認
雪~
十勝は太平洋に面しているので日本海、オホーツク海の地域より雪は少ないです
で、結構大丈夫かも!
畑は雪が解けてないですが、どうやら道は大丈夫そう!
無事に空港に到着
レンタカーの送迎をまつあいだきょろきょろしていると
-5度!!
だよね~
車は日産デイズ
フケがあまりよくなくて、加速が良くないですが9月にEKワゴンを借りた時も同じ感覚だったのでこの車種の特徴なのかもしれないです(多分、EKワゴンとデイズは同じもの)が、ハンドルがブレる。(EKワゴンの時はブレませんでした)
真っすぐをキープできないので調整しながら父が安置されている葬儀社へ向かいます。
帯広市内なのでカーナビにいれると、気づくと高速道路に誘導されていてビビりましたが、なんとか目的地に到着・・・・というか、この区間は無料でした。
母と姉が前日から泊まり込んでいたようでした。
二人が、父の顔が実に穏やかだからみてごらんということで、みてみると
笑っているくらいの穏やかさでした。
父の死因は出血性ショックということでしたが、原因はわからないとのこと。
3日の4時くらいに母がトイレに起きた時、茶の間のソファに座っている父をみていましたが、母が起きた7時30分にはすでに亡くなった状態だったとのこと。
倒れた時におちてきたのか、タッパーが頭にすっぽりかぶさっていて、
さらに大五郎のペットボトルを抱えていたそう。
前日の夜に母がサツマイモをふかそうとして床に置いておいたらしくそれが父のまわりに散らかっていたそうな。
てか・・・そんな姿だったんだ・・・
ただ鑑識の方がこんな穏やかな表情で亡くなる方はいないとのことで
苦しまなかったのは本当に良かったなとつくづく思いました。
翌朝、家族葬というかお別れ会という簡易的な感じにしようということでしたが
母がまさかの高熱・・
姉が付き添って病院へ行ったため
義兄と甥、姪二人と私でお別れ会を開始
そのあと火葬場へ向かうも
私は今度は旦那を空港に向かいにいくため
お骨を拾うのは義兄と甥、姪二人という形に・・・
旦那を空港から載せて葬儀場へもどりお骨を受け取って実家へ向かいますが
そのとき車を運転していたのが旦那で
やっぱりハンドルのブレが気になったようで
旦那「これ、直進制動が悪すぎないか?事故車だろ」
私の心『わたしもそんな気がしてたけど、旦那は7日までだけどそのあと10日まで一人でこの車にのらないといけないから、考えないようにしてたのに、言うか?普通?デリカシーなさすぎじゃね?』
旦那「やっぱり、なんか変だからさ事故車だよな、だから安かったんじゃないのか」
私の心『たしかに、半額になっていたからラッキーと思って飛びついたけど、めちゃハンドルがブレて運転しずらいけど、言ったら気持ち悪くなるからがまんして道路のせいにしてたのに・・・』
私「道路も悪いし、ところどころアイスバーンだしね・・・」とくるしい言い訳・・
私の心『てか、お骨持ってるときに事故車事故車と連呼するんじゃねえよ(怒)』
そんなこんなで自宅に到着
母は点滴をしてもらってすっかり顔色が良くなってました
まずはお坊様にお経をいただこうということでお寺に連絡すると
20分後に迎えに来てくださいとのこと。
旦那と二人で迎えに行くことに、
実はこのお寺の住職さんは一つ上の先輩で中学の時はイケメンの生徒会長だったので知っていたのでした。
ところが、住職さんは忙しく(師走だし)前住職の大先生が来てくれるとのこと。
大先生は目がほとんどお見えにならないということで、ちょっとハラハラしながら車まで誘導しましたが、大先生はとってもお話が好きなようです。
本来なら、葬式をせずにお経だけいただくのはルール違反のようなのですが、
わたしも初めて知ったのですが大先生と我が家は遠縁にあたるとのこと。
さらに、母の調子が悪いこともご存じなので快くお経をいただくことができました。
本来なら七日、七日、で四十九日までお経をあげて、春まで月命日にお経をあげてから納骨になるそうですが、母のこともあり、姉も離れていること、私はもっと離れていることで6日に納骨をしてしまいましょうと提案してくださったのですが、
母がお墓の中に砂利を入れたいと言い張り、石屋さんで買ってきてからじゃないといやだと駄々をこねるww
それならばと、明日帯広から姉が買ってきてお墓に行こうと提案すると、大先生がそう言うところの石は大きな石を人工的に粉砕して時にはきれいに見えるようにコーティングしてる場合があるから墓の中に入れることはあまりよくない、墓に石や砂利を入れる必要もないが、どうしてもというのなら、海の砂などを入れるほうがいいと説明をしてくれたのですが、兎に角大先生は話が好きすぎて脱線しまくるため、そのうち全員が何を聞いていたのか忘れそうになるし、母が言い張って事がややこしくなっているのに自由に行動しはじめちゃうし・・
要約すると、墓の中には自然のモノを入れなさいということのようなので、
明日の朝、旦那と一緒に海に取りに行ってきますということで、墓の中に何入れる問題は解決。
翌朝、しっかり着込んで昆布刈石海岸へ
砂もサラサラして採取しやすかった。
ショッピング袋二袋ほど砂をもって帰宅。
大先生を迎えに行って、お経をいただいてからいざ墓へ!と、思ったが
母がやっぱり調子が悪く、大先生も無理に来ることはないということでしたが
姉も私も墓の場所がわからない
母がいないとわからないですと伝えると大先生が
「ぼくはわかってますから、ぼくがナビをしますよ」とのこと
旦那も姉も私も一抹の不安というか、不安しかないというか・・・
でも、頼みの綱は大先生しかいないので信じることに
ところが、いざ出発のときに、大先生が忘れ物があるということでまずはお寺によってほしいということで車をスタートさせたら
ぴーぴーうるさい
私はてっきりレンタカーで慣れていないので”旦那”がシートベルトを忘れていると思って
私「シートベルト大丈夫?」
旦那がへんにもじもじとして「でも・・・・寺も近いし・・・そこで・・・・」
歯切れが悪いな~と思っていると
大先生「必要なことですから、ここにいったん止めてはどうですか?」
旦那「はい・・・・」
車をとめてから
旦那「お坊様のシートベルトがされてません・・・・」
大先生「あっ!ぼくでしたか!!!」
もう、後ろの席で姉と私が笑いをこらえるために必死でした。
いざ墓地へ!
ってことで仕切り直しをしまして出発しましたが、
目がほとんど見えないということでしたが、墓苑へのナビは完璧でした!
が、話が長くてここ右ですのタイミングは毎度遅かったですw
しかし、無事に納骨も済ませましたが
朝、とってきた昆布刈石の砂!実は、生前父がよく釣りをしていたところの砂だったんですよね。
なんだかとても感慨深かったです。
兎に角、こういったことの知識がないため、
この後どうしていいかわからずお寺に電話をしたところ
大先生が電話口にでて
大先生「今は、年寄りのほうが電話にでております」とはじまりましてww(わかってるしww)
9日が初七日なのでそこでお経をあげて、そのあとは寺のほうでお経をあげますから、次は1月3日の初めての月命日に家でお経をあげて、そのあとは8月のお盆でいいとのこと。
先に納骨を済ませたことで、いろいろと簡略化していただけました。
母が一人になるため、どうしようかと思っていたら、大先生もいろいろと考えてくださって本当にありがたい。
のに、
大先生は話が長いとか母が言っていてバチあたりだわ~とか思ったりして・・
わたしも10日に川崎に戻る予定だったので、初七日までやることができて本当に良かったです。
姉と一緒に父の遺品を整理していると
でるわでるわめっちゃ靴下やら服やらが出てきた。
しかも、まだおろしてないものまで。
新しいものやCDなんかは姉が売りに行ってくれて、
それ以外の捨てるものを直接ごみ処理場へもっていくということで
姉の車と私の車の二台に詰めるだけ詰めて帯広の処理場までもっていきました。
姉の車についていったのですが、初めに連れていかれたところは業者用の場所だったらしく、姉がUターンしていく。
私もついていこうと一旦ゲートを通ったところで、姉の姿が無い!
へ?こんなところに放置??
姉に電話しても通じない・・・
マジで、こんなところに放置とか悲しすぎるでしょ!
大昔、子供のころに姉と姉の友達が遊びに行って私も遊んでほしくてついていったら、二人にまかれて一人ぼっちになった時のような気持ち・・・
仕方がないのでもう一度ゲートに戻って係の人に説明をしてもらって出発
姉が一体どうなっているのかわからないが、ごみでいっぱいの車のまま帰るわけもず一般車両ようのゲートを探す
見つけた・・・
良かった~と思って処理場内にいくと姉が居た
とりあえずよかった・・・
処理場のお兄さんに分別を教えてもらって処理をしていく。
初めての経験をしました。
その帰りに遅い昼食のために柳月のパーラーへ
ペペロンチーノと
私の大好物である三方六が乗ったパフェをいただきます。
4時には暗くなるので、ここで姉と別れて帰宅。
暗くなる前にと思ったのですが、すっかり暗くなり先頭を走るのはとてもいやだったのですが、誰もぬいてくれない・・・
譲り車線でだれかにぬいてもらおうと思ったのに、中央線だけをみて走っていたためゆずり側に入りそびれ、結局先頭を走る羽目に・・・
ほとんど涙目で自宅に到着しましたw
父の突然の死にびっくりしましたが、もしかするといちばんびっくりしたのは父なのかな~と思ってます。
不謹慎かとおもいつつ懐かしすぎて買ってしまった
赤飯・・・・
甘納豆が入っているんです
久しぶりに甘納豆入り赤飯を食べました。おいしかった
そして、
ようかんちぎり
中はクリームで外はチョコならぬ羊羹なんですw
これもひさしぶりにおいしかったです。
怒涛の一週間でした。