平泉!
一度は行ってみたかった。
東北新幹線”はやて”に乗ってお出かけです。
グリーン車で快適です。
しかも、おしぼりドリンクのサービスが付いてます。
このサービスは、”はやて”と”こまち”だけらしいです。
お約束の駅弁である。
旦那様は新幹線でお出かけする時は、
必ず崎陽軒のしゅうまい弁当です。
わたしは、赤飯弁当をチョイス。
そして、まい泉のヒレかつサンド・・・
2人ですが、弁当は3個あります。
一関駅に到着です。
この日は、岩手交通さんの定期観光バスに乗ります。
天気予報では、曇りのち雨でず~っと曇天・・
いつ降ってもおかしくない空模様です。
一関駅10時30分出発の舟下りコースに乗り込みます。
バスに乗ると、わたしと旦那様そして、70歳のおじいちゃん3人組の5人しかおりません。
しかし、おじいちゃん陽気で元気なので盛り上げてくれました。
そして、出発です。
コースは
厳美渓
↓
達谷窟
↓
毛越寺
↓
中尊寺
↓
猊鼻渓
です。
厳美渓(げんびけい)
おだんごで有名なところです。
さっそく、だんごをゲットしよう!!
先ずは、カゴに個数分のお金をいれて、
ちなみに、3本セットで400円
それから、横にある板をたたくと
川向こうのだんごやさんがカゴを引っ張ります。
すると、カゴが帰って来ました。
かっこうだんごゲットでございます。
ちゃんと、お茶もついてくるのが気がきいてます。
おだんご食べ終わるとそろそろ、バスの集合時間。
さて、定期観光バスは次ぎの目的地
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ
入り口で、説明をしてくれるおばちゃんと合流します。
おばちゃんのあとについていく参加メンバー
はっきり言って、すばらしいです。
ただ、こちらの云われは
坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷の頭悪路王を成敗し、
この勝利は毘沙門天のおかげと言う事で、
京の清水の舞台をまねて造り、百八躰の毘沙門天を祀ったとの事。
しかし、度重なる野火にあい、現在では二十八躰となっている。
毘沙門天は戦いの神でもあるため、伊達家にも大切されたそうな。
分かりにくいですが、
ド真中あたりに顔があります。
日本最北の磨崖仏(まがいぶつ)です。
先人の技術に感嘆しながら、
毛越寺(もうつうじ)へ向かいます。
奥州藤原氏の二代目、藤原基衡(ふじわらのもとひら)により建立
とにかく、庭園がすばらしく
ぶーくんのデジカメでは広くて美しい庭園を撮ることは不可能でした。
あやめまつりが開催されてました。
しかし、超ダメな写真です。
中尊寺へ向かいます。
中尊寺へ向かう為
最強角度の月見坂を登ります。
ぶーくんもかなりきついと思うような坂を
一緒のバスの70歳のはずのおじいちゃんが、
さっくっさくと、登っていきます。
回りをみると、杖をついたおばあちゃんも登ってました。
中尊寺の金色堂を目指しますが
金色堂はかなり遠いです。
弁慶堂
等身大弁慶の立像が安置されてますが、撮影NGです。
途中、松尾芭蕉の像が立ってました。
有名な、
夏草や兵どもが夢の跡この歌は奥州藤原氏の滅亡と義経・弁慶について歌われているのですね。
その地に立って改めてこの歌を詠むと胸にしみます。
登って、登ってようやく到着ですが、
金色堂は撮影不可で、外観もなんとなく撮影してはいけないような気持ちになったので、写真はなしです。
中尊寺は、
奥州藤原氏一代目にあたる
藤原清衡(ふじわらのきよひら)により造られます。
清衡は、戦いに継ぐ戦いで民が疲弊しているのを見かね、
平和な世の中を願い中尊寺を建てたたとのこと。
金色堂は金箔と螺鈿細工により、煌びやかで荘厳で当時の奥州藤原氏の力がよくわかります。
のちに、マルコポーロがジパングの黄金伝説として伝えてます。
金色堂の美しさに感激しながら、
おみくじを引きました。
ブラボー!!
大吉です。
お参りを済ませて、
来た道をもどりますが、すっかりお腹がペコペコです。
おそばの義家さんです。
旦那さまは、ざるそばと丼物セットです。
ぶーくんはせっかくなので平泉式のわんこそばです。
これを、
薬味と一緒に自分のペースで食べます。
いろいろな味を楽しめるので、大変楽しくおいしかったです。
わんこは12枚1重ですが、自信がなく1重で食べましたが多分3重くらいないらイケそうです。
定期観光最後は
猊鼻渓(げいびけい)です。
朝に行った厳美渓(げんびけい)は、川幅も狭く、岩が多く、流れもはやい。
しかし、この猊鼻渓(げいびけい)はほとんど流れも無く静かな時が流れます。
こちらの、川くだりは船頭さんがさお一本で船を進めていきます。
行きは、川や岩など自然についての説明をしてくれます。
船のメンバーは、バスツアーの5人と、若いカップルが1組の7人でスタート!
すれ違う船は20名ちかくのキッツキッツですが、
こちらは、全員足を伸ばしてゆったりです。
自然のすばらしさを体感です。
この川は、砂鉄川と言ってその昔、砂鉄や砂金が採れたそうだ。
魚の跳ねる音と、鳥の羽ばたき、船頭さんのさおが立てる水音がすべての音です。
桃源郷とは、このようなところをいうのでしょう。
ちなみに、帰りは船頭さんが美声を聞かせてくれます。
歌をききながらゆったりした気持ちになりました。
途中、一度船を降りる場所があり、
歩いていると、このような場所があらわれる。
一見すると、いのししが横を向いているような模様になっていて、
その目に当る部分、赤丸してあるところですが、
ここに、
これを、投げ入れます。
5個で100円
一つ一つに、寿とか愛とか書いてあって、多分それが入れば成就するとかそんなことだろうと思う。
結構、遠くて無理っぽいが全力投球した。
微妙に届きそうだった。
二投目、修正して気合で投げた。
ジャストミートした!!
人生で、全力で上手投げすることなんぞそうそうないので、
自分がびっくりである。
すると、例のおじいちゃん達が興奮MAXである。
「かぁちゃんすごいぞ!!」と、はやし立てる。
調子に乗って投げるも、穴の付近までは届くが入らず、
五投目にはすっかり体力がなくなり、川にそのままドボンであった。
すると、おじいちゃん達、
今度は旦那様に向かって
「とうちゃん!がんばれ!」と、旦那をはやし立てる。
しかし、入らない。
すると、おじいちゃん達
「かぁちゃんは入ったぞ!とうちゃんがんばれ」と、言われながら
10個投げたが最後は失速である。
船に戻っても、しばらく
「とおちゃんだらしね~な」と、いわれていた。
しかし、旅行でのミニゲームで旦那さまに勝ったのははじめてである。
韓国ではボーリングをやったが負ける
日光江戸村では、手裏剣を投げるもぶーくん1個も刺さらない(手裏剣は難しいです)
旦那様、あっけなく手裏剣を壁に刺してた。
会津では、弓を射ったとき、あっけなく的に当てられ
意地で的に当てた。
今回は、私の勝である。
このあと、一関駅で解散して、
ぶーくん達は、宿泊先のホテル武蔵坊のある平泉駅に向かいます。
平泉の駅からのメインストリートは、
スーパーや民家に至るまで白壁に瓦葺の情緒のある町並でした。
ホテル武蔵坊での夕食です。
前沢牛のすき焼き付です。
とても、おいしゅうございました。
そして、席には一人一つづつこのようなものがおかれてました。
「かわらけ」と、言って平安時代お酒を飲んだり、祭事に使用していたそうです。
以前、横浜の博物館でこの特集をやってました。
最後は、温泉に入りに行きましたが、
独り占めでした。
夜はものすごい強い雨が降ってました。
雨音を聞きながら夜は更けていきました。
一度は行ってみたかった。
東北新幹線”はやて”に乗ってお出かけです。
グリーン車で快適です。
しかも、おしぼりドリンクのサービスが付いてます。
このサービスは、”はやて”と”こまち”だけらしいです。
お約束の駅弁である。
旦那様は新幹線でお出かけする時は、
必ず崎陽軒のしゅうまい弁当です。
わたしは、赤飯弁当をチョイス。
そして、まい泉のヒレかつサンド・・・
2人ですが、弁当は3個あります。
一関駅に到着です。
この日は、岩手交通さんの定期観光バスに乗ります。
天気予報では、曇りのち雨でず~っと曇天・・
いつ降ってもおかしくない空模様です。
一関駅10時30分出発の舟下りコースに乗り込みます。
バスに乗ると、わたしと旦那様そして、70歳のおじいちゃん3人組の5人しかおりません。
しかし、おじいちゃん陽気で元気なので盛り上げてくれました。
そして、出発です。
コースは
厳美渓
↓
達谷窟
↓
毛越寺
↓
中尊寺
↓
猊鼻渓
です。
厳美渓(げんびけい)
おだんごで有名なところです。
さっそく、だんごをゲットしよう!!
先ずは、カゴに個数分のお金をいれて、
ちなみに、3本セットで400円
それから、横にある板をたたくと
川向こうのだんごやさんがカゴを引っ張ります。
すると、カゴが帰って来ました。
かっこうだんごゲットでございます。
ちゃんと、お茶もついてくるのが気がきいてます。
おだんご食べ終わるとそろそろ、バスの集合時間。
さて、定期観光バスは次ぎの目的地
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)へ
入り口で、説明をしてくれるおばちゃんと合流します。
おばちゃんのあとについていく参加メンバー
はっきり言って、すばらしいです。
ただ、こちらの云われは
坂上田村麿(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷の頭悪路王を成敗し、
この勝利は毘沙門天のおかげと言う事で、
京の清水の舞台をまねて造り、百八躰の毘沙門天を祀ったとの事。
しかし、度重なる野火にあい、現在では二十八躰となっている。
毘沙門天は戦いの神でもあるため、伊達家にも大切されたそうな。
分かりにくいですが、
ド真中あたりに顔があります。
日本最北の磨崖仏(まがいぶつ)です。
先人の技術に感嘆しながら、
毛越寺(もうつうじ)へ向かいます。
奥州藤原氏の二代目、藤原基衡(ふじわらのもとひら)により建立
とにかく、庭園がすばらしく
ぶーくんのデジカメでは広くて美しい庭園を撮ることは不可能でした。
あやめまつりが開催されてました。
しかし、超ダメな写真です。
中尊寺へ向かいます。
中尊寺へ向かう為
最強角度の月見坂を登ります。
ぶーくんもかなりきついと思うような坂を
一緒のバスの70歳のはずのおじいちゃんが、
さっくっさくと、登っていきます。
回りをみると、杖をついたおばあちゃんも登ってました。
中尊寺の金色堂を目指しますが
金色堂はかなり遠いです。
弁慶堂
等身大弁慶の立像が安置されてますが、撮影NGです。
途中、松尾芭蕉の像が立ってました。
有名な、
夏草や兵どもが夢の跡この歌は奥州藤原氏の滅亡と義経・弁慶について歌われているのですね。
その地に立って改めてこの歌を詠むと胸にしみます。
登って、登ってようやく到着ですが、
金色堂は撮影不可で、外観もなんとなく撮影してはいけないような気持ちになったので、写真はなしです。
中尊寺は、
奥州藤原氏一代目にあたる
藤原清衡(ふじわらのきよひら)により造られます。
清衡は、戦いに継ぐ戦いで民が疲弊しているのを見かね、
平和な世の中を願い中尊寺を建てたたとのこと。
金色堂は金箔と螺鈿細工により、煌びやかで荘厳で当時の奥州藤原氏の力がよくわかります。
のちに、マルコポーロがジパングの黄金伝説として伝えてます。
金色堂の美しさに感激しながら、
おみくじを引きました。
ブラボー!!
大吉です。
お参りを済ませて、
来た道をもどりますが、すっかりお腹がペコペコです。
おそばの義家さんです。
旦那さまは、ざるそばと丼物セットです。
ぶーくんはせっかくなので平泉式のわんこそばです。
これを、
薬味と一緒に自分のペースで食べます。
いろいろな味を楽しめるので、大変楽しくおいしかったです。
わんこは12枚1重ですが、自信がなく1重で食べましたが多分3重くらいないらイケそうです。
定期観光最後は
猊鼻渓(げいびけい)です。
朝に行った厳美渓(げんびけい)は、川幅も狭く、岩が多く、流れもはやい。
しかし、この猊鼻渓(げいびけい)はほとんど流れも無く静かな時が流れます。
こちらの、川くだりは船頭さんがさお一本で船を進めていきます。
行きは、川や岩など自然についての説明をしてくれます。
船のメンバーは、バスツアーの5人と、若いカップルが1組の7人でスタート!
すれ違う船は20名ちかくのキッツキッツですが、
こちらは、全員足を伸ばしてゆったりです。
自然のすばらしさを体感です。
この川は、砂鉄川と言ってその昔、砂鉄や砂金が採れたそうだ。
魚の跳ねる音と、鳥の羽ばたき、船頭さんのさおが立てる水音がすべての音です。
桃源郷とは、このようなところをいうのでしょう。
ちなみに、帰りは船頭さんが美声を聞かせてくれます。
歌をききながらゆったりした気持ちになりました。
途中、一度船を降りる場所があり、
歩いていると、このような場所があらわれる。
一見すると、いのししが横を向いているような模様になっていて、
その目に当る部分、赤丸してあるところですが、
ここに、
これを、投げ入れます。
5個で100円
一つ一つに、寿とか愛とか書いてあって、多分それが入れば成就するとかそんなことだろうと思う。
結構、遠くて無理っぽいが全力投球した。
微妙に届きそうだった。
二投目、修正して気合で投げた。
ジャストミートした!!
人生で、全力で上手投げすることなんぞそうそうないので、
自分がびっくりである。
すると、例のおじいちゃん達が興奮MAXである。
「かぁちゃんすごいぞ!!」と、はやし立てる。
調子に乗って投げるも、穴の付近までは届くが入らず、
五投目にはすっかり体力がなくなり、川にそのままドボンであった。
すると、おじいちゃん達、
今度は旦那様に向かって
「とうちゃん!がんばれ!」と、旦那をはやし立てる。
しかし、入らない。
すると、おじいちゃん達
「かぁちゃんは入ったぞ!とうちゃんがんばれ」と、言われながら
10個投げたが最後は失速である。
船に戻っても、しばらく
「とおちゃんだらしね~な」と、いわれていた。
しかし、旅行でのミニゲームで旦那さまに勝ったのははじめてである。
韓国ではボーリングをやったが負ける
日光江戸村では、手裏剣を投げるもぶーくん1個も刺さらない(手裏剣は難しいです)
旦那様、あっけなく手裏剣を壁に刺してた。
会津では、弓を射ったとき、あっけなく的に当てられ
意地で的に当てた。
今回は、私の勝である。
このあと、一関駅で解散して、
ぶーくん達は、宿泊先のホテル武蔵坊のある平泉駅に向かいます。
平泉の駅からのメインストリートは、
スーパーや民家に至るまで白壁に瓦葺の情緒のある町並でした。
ホテル武蔵坊での夕食です。
前沢牛のすき焼き付です。
とても、おいしゅうございました。
そして、席には一人一つづつこのようなものがおかれてました。
「かわらけ」と、言って平安時代お酒を飲んだり、祭事に使用していたそうです。
以前、横浜の博物館でこの特集をやってました。
最後は、温泉に入りに行きましたが、
独り占めでした。
夜はものすごい強い雨が降ってました。
雨音を聞きながら夜は更けていきました。